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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

はたしてその人は自分の味方か

「紙屋研究所」の記事の前半を転載。
引用した部分の末尾は参考になる。へえ、そういうものか、というわけだ。


社会保険労務士産業医たちは基本的に「経営者側」なので、労働者が相談をするとひどい目にあうことが多い。(p.29)


というのは、考えれば当たり前かもしれないが、自分が困っている時は、他者を性善説的に期待してしまうものだと思う。会社も同僚も味方であるよりはむしろ敵であることが多いのではないか。というのは、同僚としては、仲間の味方をしたら会社に睨まれることは明白なのだから、自分の仲間に有利な証言はしないだろう。医者だって、カネが欲しくてその仕事をしているのだから、産業医なら会社の側に立つのは当然だ。


(以下引用)



今野晴貴『会社員のための「使える」労働法』Add Star



ブラック企業から身を守る! 会社員のための「使える」労働法 類書はたくさんある。

 だから、正直「今さらまたこのタイプの本か」というような気持ちで手にとった。

 だが、つい終わりまで読んでしまった。そして読み終わると思いを新たにしたことがある。


知らなかった知識もある

 一つは、そうは言ってもやっぱり知らなかったこと。

 基本的なことだけど、傷病手当と、労災と認めてもらってもらう休業補償給付の違い。その違いに着目してググればそう難しい違いではないのだが、そもそもその違いに頭を向かせること自体が、あまりない。



頼ってはいけないもの

 二つ目は、頼ってはいけないものを教えていること。

自分で弁護士を探しても、多くの弁護士がハズレだ。(p.28)

手頃なのが、会社にある労働組合。企業ごとに作られている労働組合である。/でも、これはぜんぜん使えない場合が少なくない。(p.87)

社会保険労務士産業医たちは基本的に「経営者側」なので、労働者が相談をするとひどい目にあうことが多い。(p.29)

 厚労省の出先である地方労働局の「総合労働相談コーナー」でどういう人が相談者として雇われているかを聞いたことがある。職員は「例えば社会保険労務士の方ですとか……」と答えた。本書にも労基署の「総合相談窓口」の職員は「社労士労務関係者のアルバイトが対応する」(p.45)とある。

 まあ、そういうことだ。


 労基署については駆け込むことを本書では推奨しているが、「労働基準監督署は、確実に解決しそうなケースしか動こうとしない」(p.43)と述べ、証拠固めなど3つのポイントを示し、それをやった上での相談(正確には「申告」)を勧めている。

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調理に沸騰した湯を使うのは間違い

西洋の「料理迷信」に関する記事だが、下の部分は東西共通の迷信だろうから転載した。
実際、コーヒーを淹れる時に、沸騰した湯と90度くらいの湯とでは後者が圧倒的に美味いのである。(そのほか、紙フィルターは二枚重ねにすると雑味がかなり濾過されて消え、美味くなるというのは私の体験。)
沸騰した湯(つまり100度という温度)は大半の食材にとって高すぎる温度だというのは一般論として覚えておくといいのではないか。
茹で卵は65度くらいで作れる、というのも事実である。まあ、「温泉卵」は60度くらいで作るというのは、知っている人は知っている。





調理には沸騰した湯を使う。

料理初心者は沸騰した湯にパスタを投入し、沸騰させたまま茹でるが、その必要はない。というのも、水は沸騰すると100度に達するが、これは大半の食材にとって高すぎる温度なのだ。「調理の間中、湯を沸騰させたままにしておくと、茹で上がった後で食感が損なわれてしまいます」とオモンは言う。つまりパスタはゴムのようになってしまう。パスタを茹でるなら、80度が理想の温度だ。「卵は65度で火が通ります。一方、野菜や米、パスタやクスクスのスム―ルなどのデンプン類は80度で茹でましょう」




企業の見えない不正行為

これは或る意味、天才的な発想だと思う。たいていの人は何度やってもつながらないとあきらめてしまうだろう。
開設は1秒でつながり、解約はまったく電話を取らないというのが、このプロバイダーだけでなく現代の多くの企業の経営方針や経営姿勢を示している。





さんがリツイート

昔某社のネットプロバイダー契約を解約しようと「解約はこちら」にある番号に何度電話しても何十分待っても「大変混み合っております」で繋がらなかったので、「開設はこちら」と書かれている番号に電話したら1秒で繋がってそこから「解約したいんで担当に繋いでくれ」とお願いして解約できた。






周囲からは気づかれない身体障害

この種の、自分では気づかない身体障害というのは結構あると思う。特に、目や耳である。
私は自分の聴覚が一般人よりかなり低いことを老年に至るまで気づかず、他人の話が半分聞き取れない状態で*0年以上も生きてきた。漫画家の田中圭一も、やはり他人の話が半分聞き取れない、と自分のツィッターに書いている。そういう人は案外多いのかもしれず、それが原因で他人の中に入れない性格になることも多いだろう。当然である。
若いのに補聴器を付けるというのも気恥ずかしいだろうが、自分の弱点をはっきり外部に示したほうが生きやすくなると思う。近眼の人は、眼鏡をファッションにさえしている。



そういえば、はじめて近視用のメガネを作った時、長年囚われていた原因不明の不安感が雲散霧消したことを思い出しました。




自分単独の力で目的を達する能力

人間の本物の知性というのを測る方法を考えたのだが、たとえば、大の大人であっても、無一文で未知の場所(野山でも町中でもいいが、野山がいいか)に投げ出された場合、200キロほど離れた自宅まで自力で帰る手段を考えることができるかどうか。それが1000キロだったらどうか。あるいは異国で、しかも自分はその国の言葉がまったく話せないとしたらどうか。
それを期限付きに設定すると、小説のネタにもできそうである。