忍者ブログ

独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

無料低額診療制度

或る記事の一部だが、こういう情報は政府や地方自治体が率先して周知すべきことだろう。逆に、なるべく隠したいと思っているのかもしれないが。

(以下引用)



経済的に困っている人が、医療費の減免を受けられる仕組みがある。「無料低額診療」の制度だ。対象となるのは山田さん、飯島さんのような低所得者、鈴木さんのように病気やケガ、失業などで収入が減少したり、なくなったりして医療費に困っている人。また、ホームレスやDV被害者などの生計困難者だ。

 無料低額診療を利用するには社会福祉協議会、福祉事務所、無料低額診療を実施している医療機関で、現在の経済状況などをまず相談する。制度の利用が認められた場合、交付された無料(低額)診療券を持参して無料低額診療を実施する医療機関を受診すれば、低額もしくは無料で医療を受けることができる。

 援助につながる場所は住まいの近くにたくさんある。例えば、地域包括支援センターや地域の民生委員、いつも通っているクリニックなどの医療機関、薬局などだ。



PR

就学直後の小学生の徒競走という残酷ショー

子供のころに足が速いというのは、かなり強力な自信につながるもので、それは「自己肯定感」という、一生を導く強い力になる。この自己肯定感が無い人間というのは、気の弱い人間でもあり、押しが弱く闘争心も無い。つまり、自分が勝つことを想像できないわけだ。当然、社会的な成功はおぼつかない。これは私自身のことである。
私の性格のほとんどは、子供のころに足が遅かったことに起因していると思われる。
だが、子供のころに足が速いか遅いかというのは、「走る経験」をどれくらいし、あるいは坂道の上り下りをどれくらいして足が鍛えられているかで決まるものだ、と今は思っている。素質ではなくトレーニングの結果にすぎない。ただ、その「トレーニング」は日常生活の中で無意識のうちに行われているから、誰もそれがトレーニングだとは気づかないわけである。
私の場合で言えば、いつも家の中で横になって漫画や小説や童話などを読んで一日の大半を過ごすような就学前の子供は、いわば「寝たきり老人」と同じことであり、外で友達と駆け回って野球や何やらをしている連中の「トレーニング」量とは比較にもならないのである。
それが小学校に入ると、同じ土俵でスタートラインに就き、ヨーイドンで走らされたらどんな結果になるか、分かりきった話で、みじめにビリを走ることになる。その結果は「自分は本質的にダメな人間だ」という自覚(誤解)になる。それが一生のトラウマと性格形成の元になるわけだ。
このトラウマは勉強などで上位に立っても無くなるものではない。テストの点数などは勉強をやっているかやっていないかだけの話であり、単に紙の上の出来事でしかない。現実に衆目の前で他の子供に引き離されてビリになるという経験の強烈さとはまったく比較にもならないのである。
以上は、就学前のお子さんをお持ちの方へのアドバイスとしておく。(そういう人がこのブログを読んでいる可能性は限りなく低いが。)


(以下引用)

  1. 周りが騒ぐ認められることで自信がつき、大会などに出たり体育祭でもアンカーとかやるようになったりとか、これただ速くなったことだけでなく、成功体験に基づく自信がより速くさせてくれたと思っている。これが、勉強にも当てはまっていたらなぁ(笑)
    1. 結構成功体験から自信を持つ好きになるということはあって、俺が小学校6年生ぐらいから急に足が速くなった。その片鱗は5年生ぐらいからあって、体育館一周競走でクラスで1位になったりはし始めていた。横須賀に6年生の時転校したら、学校で一番になった。俺って、足速いんだと思い始めた。



賃貸住宅の家賃値上げは拒否できるか

「紙屋研究所」から転載。
まさに「生活の知恵」であり、しかも、大げさに言えば生命の存続に直結する話であるが、ネットの無かった時代には、こうした疑問に答えてくれる人はほとんどいなかったのである。


(以下引用)



アパートの家賃値上げに応じないと立ち退きか

 アパートの家賃値上げに応じないと立ち退きか――こういうタイトルの電話相談と回答が今日(2018年10月10日)付の「しんぶん赤旗」に出ていた。

 

 前、この話は聞いたことがある気がする。

 だけど、忘れていた。

 実は、今借りている家の老朽部分をまとめて改善を要求しようと思っているんだが、もし「じゃあ家賃を値上げする。嫌なら出ていけ」みたいに言われたらどうするんだっけ? と疑問に思って調べた記憶があるのだが、忘れてしまった。

 あと、1年前に契約の更新があって、その時も「家賃を上げたい」と言われたらどうするのかと思って調べたような気がした。でも忘れてしまった。

 今日の電話相談は、忘備録的に大事だと思うので、書いておく。

 アパートに35年すみ、大家からの書状には次の更新時に20%引き上げると書いてある。パートで暮らしていて払えないのでどうすればいいかという相談だ。

 回答しているのは平井哲史弁護士。

居住用に建物を貸している場合、建物の賃貸借契約の更新を拒絶することは、正当な事由がなければできないのです。(裁判例や旧借家法1条の2、現在の借地借家法28条)……借り手側に家賃の滞納などがなければ更新は認められます。

 相談者は「次の更新のときはどうすればいいか」と尋ねる。

 従来の契約条件で更新したいと要求できます。増額後の家賃を示されても「納得できないので払わない」と言ってください。

 もし家賃を上げないなら契約更新をしないと言われても、法定更新といって当然更新するので、これまで通り家賃は納めてください。……家賃の受け取りを拒まれた場合は法務局に家賃を供託する必要があります。必ず供託してください。 

 

 ただ、更新時でない場合の「正当な事由」というものがどうなるのかは議論があるでしょう。そこもこの相談は回答していますが、要するに、大家側から「近隣の相場と比べて低すぎる」などの証拠を示して裁判所などに調停を申し立て、協議しないといけないようなのだ。

 つまり家賃値上げは一方的なものではないのである。



おしゃれは我慢でできている

「おしゃれは我慢で出来ている」は名言。
私はハイヒールを履いている女性を見ると感心する。よくあんな曲芸的な歩きができるな、と思う。しかし、女性がハイヒールを履いても特に誰も何とも言わないが、キムタクが上げ底靴を履くと、大騒ぎする。どちらも、足の短いのが足を長く見せる工夫であり、男だけに悪口を言うのは男性差別ではないか。
まあ、私も男のピアスとか髪染めとか大嫌いだし、キムタクも嫌いだから彼が悪口を言われると嬉しいのだが。
なお、私は我慢というのが何よりも大嫌いで、当然、学生のころはあまり勉強しなかったし、会社員時代は仕事が苦痛で仕方がなかった。人間関係そのものが我慢ばかりだから人付き合いも大嫌いである。我慢をせずにすむ、フィクションの世界にしか私の求める生き方は無い。
おしゃれは我慢でできているのだから、当然、私はおしゃれなどほとんどしないし、半年くらい同じ服を着ても平気である。(ただし、衛生上、清潔には気をつけている。下着さえ頻繁に替えれば、都市生活では外側の服はべつにさほど汚れはしない。)





さんがリツイート

「このキャラはなんでこんな不自然なコスチュームを着てるんだ」って言ったら、大半のスーパーヒーローはとっさのときに小便も大便もできないありえない服着てるから、そこに自然さは求めてもしかたがないと思う。「おしゃれ」は「がまん」で出来ている。

恋愛と結婚のコスパ(下)

結婚のメリットとしては、若いころはもちろん、毎晩でもセックスができる相手がいることだが、結婚中期以降は、夫婦間の性生活は「あってもなくてもいい」ものになるのではないか、と思う。そもそも、セックスの価値は過大評価されているというのが私の考えだ。
少なくとも男にとっては女性とのセックスと自慰の間にたいした快感の差は無い。男は「入れて出したら終わり」であって、前戯だの後戯だの、面倒臭い労働でしかない。もちろん、相手によって興奮度が違うということもあるだろうが、それは脳内で妄想を作り上げることによる快感がほとんどだろう。現実の肉体としては、どの女でもさほど違うはずがない。特に、顔を見なければ、(そして体重が常人の2倍3倍あるような肉体でなければ)さほど「入れる部分」に違いがあるわけでもない。女の方は、相手の持ち物の大きさで快感が違うかもしれないが、そもそも出産時に赤ん坊が通り抜けることと比較したらどんな巨大なペニスでも比較にはならないだろう。要するに、性的快感のかなりな部分は妄想によって高められたものではないか、と私は思うわけだ。
女の性的快感は知らないが、単なるセックスなら、男にとっては、「どの穴でも同じ」だと思っていていい。ただ、そこに至る前に、相手が美しいか否か、素人か玄人(素人ビッチも含む)かは大きな意味を持つ。醜い相手とセックスするくらいなら、私ならダッチワイフのほうがマシである。
これが恋愛だと、話はまた別であり、特定の相手とセックスをすることにこそ大きな意味もあるわけだ。その場合、セックスの快楽は副次的なものであり、愛する相手とひとつになる、ということが意義を持つことになる。
さて、セックス論が長くなったが、結婚のメリットはセックスだけではない。と言うより、セックス自体が世間で過大評価されている、と既に書いた。
結婚は、この社会の「最適形態」として社会の制度設計がなされている。だからこそLGBT連中がうるさく異議申し立てをするわけである。少数派の生き方をもっと社会的に居心地よくしろ、ということだ。いや、もちろん、それはそれでいい。だが、杉田水脈ではないが(私は彼女が大嫌いなのだが)LGBTというのが、子供を作らない連中だ、という意味で「生産性が無い」ことは自明の話である。つまり、LGBTが増えることは本来の日本人はどんどん減少し、移民の割合が増えていくことを意味する。それでべつに構わない、という意見もあっていい。ただ、その事実はお互い確認しておくべきだろう。
で、私が言いたいのは、結婚の大きなメリットが子供を育てる喜びと楽しさなのである。子供というのは可愛いものだし、子育ての苦労よりも大きな喜びを与えるものだ、ということを知らない人は多い。女性たち自身が、子育ての苦労を言い立てるもので、子供を持つことにマイナスイメージしか持たない人も多いと思う。それも日本の少子化の一因だろう。
そして、夫婦単位であれば、生活していくうえでいろいろと便利なことが多いのである。たとえば、留守中に宅急便が来ても受け取り手がいるし、夫婦の一方が病気や事故で動けなくなってももう一方が病院に連絡し運んでくれる。
妙な例だが、警官が捜査をする時に、二人一組で行動するようなものだ。一人でいると、緊急事態への対応ができないが、二人組だとそれができる。社会で言うなら、結婚もそれである。
というわけで、ほかにもいろいろメリットはあるだろうが、恋愛のメリットを3とすれば、結婚のメリットは7くらいあるだろう、というのが私の考えである。なお、結婚によって「違う人格と生活を共にすることで頭脳や精神が成長する」というのが実は一番のメリットかもしれない。