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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

生活の技術(2)

 

第一章     能力開発

 

1 学習

 

 より良い人生を送るためには、自らを優れた武器または道具として作り上げる必要がある。後の章の「心術」や「生活習慣」の部分でも述べるつもりだが、自己コントロールの能力は、人生を生きる上で、もっとも大事な能力だと私は思う。それは、この章の続く部分の「遊び」「身体能力」「対人関係能力」のすべてに必要な能力である。(ただし、ここで挙げる項目の中には、無理に向上させる必要性などない、と私が思うものもある。)

 まず、ライフステージの中の、「被扶養者段階」にある青少年の場合は、学校での勉強をどうするかが大きな問題である。世の中には、勉強に関しては天才的な人間たちもたくさんいるし、その中には、授業で一度聞けば、数学でも物理でも容易に理解し、一度読んだ本は忘れないという強靱な記憶力を持った人間もいる。だが、そういう連中はほんのわずかであり、世の青少年の大半は私同様の凡人だろう。その凡人が、凡人なりに、どう勉強をすれば効果的かという話である。

 

 まず、すべての基本から始めよう。

 

 人間は、言葉に支配される存在である。誰でも、その人なりの生活信条や人生観があり、毎日の生活はその発現なのである。つまり、「言葉」が「生活」に変化するのである。

 「どうせ何をやったってうまくいくはずがない」という考え方を「敗北主義」と言う。アメリカなどでは、男への悪口として「負け犬(ルーズ・ドッグ、またはルーザー)」という言葉をよく使うが、失敗した人間だから負け犬なのではない。敗北主義になった人間が負け犬なのである。(もっとも、アメリカでの「負け犬」は、単なる失敗者への悪口であることも多いが。)一度や二度の失敗・敗北では負け犬にならない。「負け犬根性」が染みついた人間を負け犬と言うのである。そして、それは、意識的・無意識的に「自分はどうせ負けるんだ」と常に自分に言っている人間のことなのである。それは、言葉が人間を作っているということだ。

 ナポレオン・ヒルとかデール・カーネギーなどの「成功哲学」の基本は、「まず、自分の夢を具体的に言語化せよ」である。つまり、「人生で成功したい」ではなく、「いついつまでに何万ドル欲しい」というように具体的な言葉にするのだ。そして、それを自分自身に何度も言い聞かす。そのうちに、自分のその夢(または計画)に関係した情報がアンテナに引っかかるようになり、そして、毎日の生活も、その夢の実現に向けて少しずつ蓄積が始まる。たとえば、月給が20万円のサラリーマンが、1億円の金が欲しいと思うのは、かなり非現実的な夢だろう。だが、1000万円なら、実現可能な夢である。毎月の給料のうち10万円を貯金していくだけでも、10年後には1200万の貯蓄になる。そして、1000万円の元手があれば、それを投資して1億円にするのも不可能ではない。しかし、大半の人間は、貰った給料のほとんどを無駄遣いして、何一つ蓄積しないままで時間を過ごしていく。そして、10年後にも、同じく貯蓄ゼロの生活になるのである。

 これは金の話だが、勉強も同じである。

 「具体的な計画を立てよ」というのが、生活のコントロール、そして自己コントロールの出発点だ。その計画は、「東大に入りたい」というような漠然とした言葉ではなく、「東大に入るために、これこれの知識と能力を身につけよう」という具体的なものでなければならない。センター試験なら何点、二次試験なら何点という計画を科目ごとに立てる。それが成功するとはもちろん限らない。だが、何も計画しないままで漫然と勉強することに比べたら、はるかに成功可能性は高いはずである。模擬試験ごとに、計画の進捗状況は分かるから、軌道修正などは当然あってもいいのだ。

 具体的な計画とは、単なる夢想や願望を明確な言葉にするということである。

 

 より良い人生を送るための基本的な考え方として、「時間の貯蓄」という発想を説明しよう。時間はもちろん貯蓄できない。だが、別の形で貯蓄することはできるのである。たとえば、あなたが1日のアルバイトをして5000円の給与を得たとしよう。それは、あなたの1日という時間が、5000円という具体物に変化して貯蓄されたということだ。では、その1日という時間は無駄に消えたのか? もしもそのアルバイトが苦痛なだけの仕事ならば、そう言えるかもしれない。だが、そのアルバイトの職場に、可愛い女の子でもいて、その時間が楽しかったなら? あなたは、1日を楽しく過ごした上に、5000円という金まで手に入れたのである。いや、苦痛なだけの労働でも、若い頃の時間を(金に限らず)別の形で貯蓄することが、将来の人生において、大きな意味を持つのである。

 あなたが学生ならば、学校での勉強が終わって自宅に帰り、そこでも家庭学習をするのは辛いと思うだろう。だが、その家庭学習の3時間、4時間が、私の言う「時間の貯蓄」なのである。一日のうち1時間でもいい、将来の自分のために、意義あることに使いなさい、ということである。

 もちろん、広い意味では、小説を読むのも漫画を読むのも、テレビを見るのも、意義が無いことはない。だが、そういう安逸の時間は、やはり時間の貯蓄としては薄すぎるのである。あなたがいくら小説を読んでも、将来文芸評論家や作家になれるわけではない。そうした仕事に就く人たちは、また、彼らなりの修行をしているのだ。それも彼らの「時間の貯蓄」だったのである。

 一日に、英単語一つでもいい。毎日覚えていけば、10年後には3650単語を覚えることになる。それを17歳くらいから始めたら、27歳の頃には、海外で生活するのに十分な語彙力を身につけるわけだ。もちろん、「たかが3000語程度で!」と馬鹿にする人もいるだろう。だが、中学程度の英文法力と、3000語程度の語彙力があれば、英語圏での日常生活は可能なはずだ。大学になど行かなくても、必要十分な英語力を身につけることは難しいことではない。のんべんだらりと大学に行った人間と、「時間の貯蓄」をしてきた人間と、どちらがより良い人生を送れるだろうか。

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生活の技術(1)

   (仮題)「生活の技術」

 

初めに

第一章 能力開発

第二章 財産形成

第三章 ライフ・ステージ

第四章 メンタル・ヘルス(心術)

第五章 日常の習慣

 

第六章 社会生活の必要知識

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

初めに

 

 「生活の技術」について書いてみたいと思ったのは、まだ私が二十代の頃だった。その頃の私は、毎日の生活をどう生きればいいのかに悩んでいたのだ。それも、ごく些細な問題が私を悩ませた。たとえば、私は、世間話が苦手で、他人との会話の輪の中に入ることがなかなかできなかった。それというのも、その会話のほとんどの内容が私にとってはまったく興味の持てないもので、他人の冗談は、私にはまったく笑えないものだったからである。面白くもない冗談を、いかにも面白そうに笑うというのは、人づきあいの基本である。だが、もちろん、悪いのは私の方であり、もしも努力すれば自分を鍛えることもできたのだから、結局私は、「お高くとまっていた」にすぎない。しかし、世の若者の中で一定割合の人間は、こうした対人関係の悩みを持っていると思う。それも、本を読むのが好きで、人間とのつきあいより本とのつきあいが長い「ブッキッシュ」な若者がそうなりがちだと思われる。

 その頃、森鴎外の「智慧嚢」という本を興味深く読んだことがある。これは、人間関係についてのドイツの通俗ハウツー書を鴎外がアレンジして訳した本だが、その内容にはなかなかうなずけるところがあった。しかし、それ以上に、鴎外がこの本を訳したのは、鴎外にも人間関係での悩みが深かったのだな、と思われて興味深かった。だが、人間関係は、生活の一部分であり、生活にはそれ以外の部分もある。たとえば読書や趣味の時間などだ。それに、運動能力や体力、健康の向上の秘訣、精神能力の向上の秘訣など、人間関係だけではなく、「生活全般の技術」について書いた本があったら、世慣れない若者にとって、大きな救いになるのではないか、というのがその頃私が考えていたことである。

 現在の私は50代後半にさしかかっている。特に珍しい人生経験も無い平凡な人間だが、たいていの人間は私と同じように平凡な人生を送るはずである。ならば、そのような人生を幸福に送る「生活の技術」を、まだ人生をあまり知らない若者に贈るのは、無意味なことではないだろう。実際、私は持って生まれた性格や能力の割にはかなり幸福な人間だと思う。もちろん、若い頃は、自分の人生の未来について様々な夢想をしていたが、それらのほとんどは、生来の怠け癖と対人関係の欠陥のために実現しなかった。しかし、もともとそれらの夢想は夢想でしかなく、そうした夢想を現実的可能性に置き換えていくか、あるいはあきらめるのが「良い人生」の大事な要素なのである。つまり、若者には自分や周囲や社会全体についての正しいパースペクテゥブ(遠近感)が無く、それを身につけるのが成熟なのだが、それは一面では自分の野心や可能性を捨てることにもなる、ということである。野心に賭ければ、あるいは思いがけない大成功を収めることもあるだろうが、また大失敗の可能性もそれ以上にある、ということである。あなたが勇敢な(それとも無謀な)人間なら、前者の英雄的人生を目指すのもいいだろう。そのあたりは、本人の意志次第だ。いずれにせよこの一文が、人生に不慣れな青年の助けになれば幸いである。