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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

「主観的正義」の人

コピーがおかしな状態だが、「神戸大好き」の読者コメントである。ここでは、愛読者とブログ主の対話だ。ブログ主の過去記事は、面白い内容(主に「陰謀論」的な知識とか、得体の知れない知人の話など)のものもあったが、ブログ主の性格はかなり奇矯で、どうやらそれは宗教に由来するようだ。まあ、半キチガイに思えるが、それは「信念の人」だから、自分が信じる物事以外を拒否して、自分は正義だと信じているからだろう。
で、最近、彼女が中心として機能していた老人会の仕事を、他の人々の批判に遭って放り出したらしく、その話がブログの中に書かれるのだが、もちろん、自分は少しも悪くない、すべて批判者が悪い、というスタンスである。しかし、「人は悪魔ですからね」とか、「この土地の貧乏人どもに悪事をさせない」とか、言い方が凄い。その「悪事」とやらが、老人会の補助金を着服するという、数万数十万円単位の話なのだから、馬鹿馬鹿しい。そんな些細なカネでいざこざだらけの老人会に存続意義があるのか。潰せばいいだけの話である。自分の発案で花火大会をやったとか、何かの芸能大会をやったとか自慢されても、当人の自己満足だけではないのか。いや、ここで書いても意味不明の話だろうが、しばらく続けて彼女のブログを読んでいたので、最近のブログ内容を見て、「案の定、こういう人間だったのね」と思い、メモした次第である。
どうでもいい出来事のようだが、世の中の「正義」というのは、たいていは当人の主観にすぎないという事例として、保存する。まさに、「文は人なり」であり、書いた文章が(確率的な話であるが)当人の人格や出来事の実情や真偽を表わすのである。



 コメント一覧 (4)

    • 1. 仙人
    • 2019年05月03日 10:40
    • とても素晴らしい、地域のための活動をなさっておられますね。
      私と知り合って一年四ヶ月、いろいろありましたが、とても元気で若若しくなり、更に自信に満ちて活発的になったようです。
      健康的にはもう問題も無い状態ですから、これからは健康に留意して頑張って頂きたいと思っています。
      これで私の役目も一応は済んだと思われます。
      でも何時も見守っていますからね~。
    • 2. 神戸だいすき
    • 2019年05月03日 14:34
    • あのね。神様に、あなたしかできない。あなたならできる。と言われたから。前に進むしか仕方がないじゃないですか。
      とんでもなく孤独ですよ。

      誰一人、私の話す言葉が理解出来ないの。
      外国人になった気がする。

      疲れました、

      でも、
    • 3. 仙人
    • 2019年05月03日 17:20
    • 今は孤軍奮闘の時ですね。
      もう少し耐え忍べば、援護者も現れると思います。
      智慧ある者は、口には出さなくても、暗黙のうちに人を評価しているものです。
      なにしろ神様から地域の守り神として頑張るようにと、ご信託を受けられたお人ですから。
      血液検査結果でも、30代の結果を頂いたではないですか。
      今しばらくのご辛抱です、きっと明るい兆しが見えてくるでしょう。
    • 4. 神戸だいすき
    • 2019年05月04日 05:14
    • ありがとうございます。

      今ね、町内では私が、老人会の総会で、激怒して、途中ですべてをほったらかして、去って行った話に尾ひれがついて、大騒ぎです。

      第一、もめごとがあると思うとおもしろそうだと思って、総会そのものにも前代未聞の出席率でした。

      人は悪魔ですからね。
      こういう争い事が「おいしいのです」

      そして、このスキャンダルは、私がまいた「撒き餌」なんです。

      そこらじゅうの人が、私に注目せざるを得ない・・・

      全部、計算づくですよ。

      そして、この土地の貧乏人どもに悪事をさせない。
      目的は、そこです。
      ちゃんとした「福祉センター」の運営に持ち上げる・・・うまくいくかどうかは、神様の助けがあるかどうかだけなんです。

      このために、私は40年以上前から町中の道、町中のいたるところに存在する諸霊諸神に語りかけてきたのです。

      「人は幸せにならなければいけない。この町の幸せを私に担わせてください」
      大きな願には大きな試練が繰り返し襲いました。
      今、最後の戦いに直面しています。



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「みたいな」は「そのもの」ではない

これは気の毒www
男の中にはいくつになってもウブな者はいるのであり、誤解させた方に罪はあると言うべきだろう。





さんがリツイート

前にも書いたけど、若い頃、「たしかに安達さんみたいな人と付き合いたいな、とは言ったけど、安達さんと付き合いたいというわけじゃないから」と言われた経験のある私は、このあたりはとうの昔から悟っておりますともさ。
泣いてなんかいない。



パリのアメリカ人

ジョセフィン・ベイカーは、私の子供時代には既に昔の人で、名前だけは知っていたが、歌手なのか俳優なのか、ダンサーなのか今でも分からない。下の写真でなぜ裸なのかも私には分からない。しかし、パリで大人気だったという事実だけは知っているという、奇妙な存在である。
それはそれとして、パリでアメリカ人が田舎者扱いされていたというのも定説で、パリは芸術の都であり、芸術を理解できない人間は田舎者、という考えだと思う。すぐれた芸術的貢献をする人間なら人種は問わないという懐の深さがあるようだ。




さんがリツイート

ジョセフィン・ベイカーは仏で大人気でカフェに客として来たところ、米の田舎から来たババアが「この黒人女をつまみ出して!私の国ではこの連中とはテーブルを一緒にしないのよ!」とヘイトを吐き、ウエイターが即座に「お前の方が失せろ未開の野蛮人めが」と叩き出したという話が痛快千万である。




「令和」の出典の歌の出典の漢詩

「ネットゲリラ」記事の一部だが、備忘的に保存。
「令和」が安倍総理への皮肉だという解釈には私は同意しない。むしろ安倍への忖度、追従だろう。
「令」という漢字を入れろ、という強制が安倍から出たのだと思う。安倍周辺で「令」が名前についた人(たぶん女性)がいるというのが私の説。まあ、単純に、多くの人が言うように「俺の命令に従順に従え」の意味かもしれない。


(以下引用)


ところで、問題の「令和」の元文献が見つかったようだ。

歸田賦
朝代:兩漢
作者:張衡

原文:

遊都邑以永久,無明略以佐時。
徒臨川以羨魚,俟河清乎未期。
感蔡子之慷慨,從唐生以決疑。
諒天道之微昧,追漁父以同嬉。
超埃塵以遐逝,與世事乎長辭。
於是仲春令月,時和氣清;原隰鬱茂,百草滋榮。
王雎鼓翼,倉庚哀鳴;交頸頡頏,關關嚶嚶。於焉逍遙,聊以?情。
爾乃龍吟方澤,虎嘯山丘。
仰飛纖?,俯釣長流。
觸矢而斃,貪餌?鉤。落雲間之逸禽,懸淵?之鯊鰡。
於時曜靈俄景,繼以望舒。
極般遊之至樂,雖日夕而忘劬。
感老氏之遺誡,將回駕乎蓬廬。
彈五絃之妙指,詠周、孔之圖書。
揮翰墨以奮藻,陳三皇之軌模。
苟縱心於物外,安知榮辱之所如。


『田園に帰ろう
 
都住まいも久しくなるが、世をよくする功績なく、
網も持たず、川岸で魚を得たいと望むばかり。
黄河の澄むよい時世を待つも、何時のことか計られぬ。
その昔、思いあぐねた蔡沢は、唐挙の占いに賭けて、迷いの霧をはらしたが、まこと人の運命は見通し難く 漁父をさがし求めて楽しみをともに分ちたいものだ。
いざ、この世の塵芥から抜け出て遥かな彼方に去り、生臭い俗事との縁を永遠に絶とう。
 
おりしも今は 春も半ばのめでたい月よ。
時節はなごやか 大気は澄んで岡も湿地も鬱そうと 百草は繁り花さく。
?鳩(みさご)は羽ばたき、倉庚(うぐいす)は悲しげに鳴き、頸すりよせて、上に下にと飛びかけり、仲睦まじく伴を求めて呼び交わす。
いざやこの地に遊び歩き、しばらく情を楽しませよう。
 
そうして私は、大きな沢で龍の如く吟じ 山や丘で虎のように嘯き、仰いで細い?(いぐるみ)を放ち、俯し見ては長い流れに釣り糸を垂らすのだ。
鳥は矢にあたって斃れ、魚は餌を貪って鉤(はり)を呑む。
かくて雲間を飛ぶがんも射落され、深い淵にひそむ?鰡も釣りあげられる。
 
いつしかに 日は西に傾き、月さし昇る。
心ゆくまで遊び楽しみ、暮れがたになるも疲れを覚えぬ。
しかし、狩を戒めた老子の遺訓に気づき、車駕を草蘆(いおり)に帰すことにする。
すぐれた五絃(こと)の調べを奏で、周公・孔子の書を口吟み、筆走らせては詩文を綴り、時には三皇の功業を書きしるす。
執らわれぬ境に心を解き放つならば、此の世の栄誉(ほまれ)も恥辱(はじ)も問うところではない。』

文章の内容としては、その後、陶淵明の「帰去来の辞」へと繋がる中国インテリ特有の厭世的なテイストで、Twitterで言われているように、「安帝」に仕えるのを嫌って田舎に帰る役人の独白ですw まぁ、元号を選ぼうなんて人は、ここまで該博な知識を持っている、という事だw 反知性主義の朝鮮愚鈍王アベシンゾーも、これには一本取られましたな、というところかw



令月とは何か

新元号を作った(作らされた)役人は、ネットでこの項目を探して、「令」の字にかろうじて良い意味を見つけ出したのではないかwww 万葉集のこの歌を、新元号の根拠としたところに馬脚が現れている。






精選版 日本国語大辞典の解説

れい‐げつ【令月】

〘名〙
① めでたい月。すべて物事を行なうのによい月。
※万葉(8C後)五・八一五右序文「于時初春令月 気淑風和」 〔儀礼‐士冠礼〕
② 陰暦二月の異称。〔俳諧・増山の井(1663)〕 〔梁昭明太子‐二月啓〕