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青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳
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前にも書いたけど、若い頃、「たしかに安達さんみたいな人と付き合いたいな、とは言ったけど、安達さんと付き合いたいというわけじゃないから」と言われた経験のある私は、このあたりはとうの昔から悟っておりますともさ。
泣いてなんかいない。
ジョセフィン・ベイカーは仏で大人気でカフェに客として来たところ、米の田舎から来たババアが「この黒人女をつまみ出して!私の国ではこの連中とはテーブルを一緒にしないのよ!」とヘイトを吐き、ウエイターが即座に「お前の方が失せろ未開の野蛮人めが」と叩き出したという話が痛快千万である。
歸田賦
朝代:兩漢
作者:張衡
原文:
遊都邑以永久,無明略以佐時。
徒臨川以羨魚,俟河清乎未期。
感蔡子之慷慨,從唐生以決疑。
諒天道之微昧,追漁父以同嬉。
超埃塵以遐逝,與世事乎長辭。
於是仲春令月,時和氣清;原隰鬱茂,百草滋榮。
王雎鼓翼,倉庚哀鳴;交頸頡頏,關關嚶嚶。於焉逍遙,聊以?情。
爾乃龍吟方澤,虎嘯山丘。
仰飛纖?,俯釣長流。
觸矢而斃,貪餌?鉤。落雲間之逸禽,懸淵?之鯊鰡。
於時曜靈俄景,繼以望舒。
極般遊之至樂,雖日夕而忘劬。
感老氏之遺誡,將回駕乎蓬廬。
彈五絃之妙指,詠周、孔之圖書。
揮翰墨以奮藻,陳三皇之軌模。
苟縱心於物外,安知榮辱之所如。
『田園に帰ろう
都住まいも久しくなるが、世をよくする功績なく、
網も持たず、川岸で魚を得たいと望むばかり。
黄河の澄むよい時世を待つも、何時のことか計られぬ。
その昔、思いあぐねた蔡沢は、唐挙の占いに賭けて、迷いの霧をはらしたが、まこと人の運命は見通し難く 漁父をさがし求めて楽しみをともに分ちたいものだ。
いざ、この世の塵芥から抜け出て遥かな彼方に去り、生臭い俗事との縁を永遠に絶とう。
おりしも今は 春も半ばのめでたい月よ。
時節はなごやか 大気は澄んで岡も湿地も鬱そうと 百草は繁り花さく。
?鳩(みさご)は羽ばたき、倉庚(うぐいす)は悲しげに鳴き、頸すりよせて、上に下にと飛びかけり、仲睦まじく伴を求めて呼び交わす。
いざやこの地に遊び歩き、しばらく情を楽しませよう。
そうして私は、大きな沢で龍の如く吟じ 山や丘で虎のように嘯き、仰いで細い?(いぐるみ)を放ち、俯し見ては長い流れに釣り糸を垂らすのだ。
鳥は矢にあたって斃れ、魚は餌を貪って鉤(はり)を呑む。
かくて雲間を飛ぶがんも射落され、深い淵にひそむ?鰡も釣りあげられる。
いつしかに 日は西に傾き、月さし昇る。
心ゆくまで遊び楽しみ、暮れがたになるも疲れを覚えぬ。
しかし、狩を戒めた老子の遺訓に気づき、車駕を草蘆(いおり)に帰すことにする。
すぐれた五絃(こと)の調べを奏で、周公・孔子の書を口吟み、筆走らせては詩文を綴り、時には三皇の功業を書きしるす。
執らわれぬ境に心を解き放つならば、此の世の栄誉(ほまれ)も恥辱(はじ)も問うところではない。』
私と知り合って一年四ヶ月、いろいろありましたが、とても元気で若若しくなり、更に自信に満ちて活発的になったようです。
健康的にはもう問題も無い状態ですから、これからは健康に留意して頑張って頂きたいと思っています。
これで私の役目も一応は済んだと思われます。
でも何時も見守っていますからね~。