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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

すべての人に同じ血圧基準値を強制する愚

文中にもあるが、適正血圧というのは個人差があるはずであり、身長2メートル、体重130キロの大男と、身長140センチ体重30キロのチビの女性が同じ基準でいいはずがない。体が大きければ、当然、全身に血流を至らせるために血圧は高くなる必要があるはずだ。また、加齢によって血圧が自然上昇することもよく知られている。そういう意味では「年齢+90」(私は「年齢+100」でいいと思っているし、それを10や20超えたところで問題はないと思っている。)というのはなかなかいい基準だったと思う。


(以下引用)

60歳以上の8割が「高血圧」になる!? © SHOGAKUKAN Inc. 提供 60歳以上の8割が「高血圧」になる!?

 患者はこれまでも何度も変わる高血圧の基準や目標に翻弄されてきた──。ひと昔前までは上の血圧は「年齢+90」が目安とされ、1987年には旧厚生省が「180/100」という診断基準を打ち出した。

 2000年には日本高血圧学会が「140/90」という厳しい基準を打ち出す一方、年齢ごとに治療目標が定められ、70代は150未満、80代は160未満(いずれも上)と段階的な数値が並んだ。

 だが2004年に同学会は、65歳以上の高齢者を一括りにして「140/90」という治療目標を当てはめるよう方針転換した。これに「反旗」を翻したのが日本人間ドック学会だ。

 2014年4月、同学会は約150万人のデータをもとに、当時の基準より大幅に緩い「147/94」という新たな健康基準を発表し、厳しくなる一方だった基準値に一石を投じた。診断基準についての研究を行なう東海大学名誉教授の大櫛陽一・大櫛医学情報研究所所長がいう。

「約150万人の人間ドック検診受診者から健康な人を抽出して解析した研究で、欧米の調査とも非常に近接して信頼性の高いデータでした」

 この数値が診断に適用されると、当時2474万人だった高血圧患者は660万人となり、1800万人減ることになる。当時、本誌が日本人間ドック学会が提示した新基準を大々的に報じると、高血圧学会や動脈硬化学会、製薬業界などは猛反発した。当の日本人間ドック学会も「あくまで健康の目安であり、病気のリスクを示したものではない」とトーンダウンし、この新基準は黙殺された経緯があった。

 それどころか、来春からは治療目標が変わり、将来的に高血圧治療を受ける患者が激増する可能性がある。すでにこのことが一部で報じられたことで、患者の側に戸惑いが広がっている。

「血圧140~150台を行き来しながら10年以上降圧剤を飲み続ける生活にうんざりしている。つい数年前には『血圧147まで健康』という報道が出て、どうなるのかと見守っていたらいつの間にか話を聞かなくなって、最近になって『血圧は130まで下げなきゃダメだ』って報道が出てきた。いったい何を信じればいいのか分かりませんよ」(65歳男性)

 最大の問題点は、診断基準や治療目標に確固たるエビデンスがないということだ。高血圧の予防治療を専門とする新潟大学名誉教授の岡田正彦氏も、疑問を持っている。

「私はガイドラインに示されている診断基準の根拠となる全文献を精査しましたが、その基準内の人がどれだけ長生きしたかというデータに基づいたものはいまだにない。高血圧学会が発表する基準値の根拠は、日本人間ドック学会が示したデータに比べて正確とは言い難いと思っています」

 今回、アメリカで基準値を引き下げる根拠となった臨床試験も、決定的なエビデンスを出しているわけではない。

 2015年に米国国立心肺血液研究所が公表した「スプリント」と呼ばれる臨床試験で、50歳以上の約9400人の高血圧患者を追跡調査したところ、上の血圧を140未満まで下げた群よりも、120未満に下げた群のほうが心臓発作や脳卒中のリスクが低く、総死亡率も低いという結果が示されたものだが、

「この試験の対象者は、全員が高血圧だけでなく腎疾患または心血管系疾患の既往歴があり、平均BMI29.9(※BMIは体重(kg)÷身長(m)÷身長(m)で算出される。日本人は25以上で肥満とされる)という重度肥満群でした。そのため、『対象者に偏りがあるのではないか』との見方があり、アメリカ国内の別の学会から『ガイドラインの根拠とするには不十分』との声があがっています」(群星沖縄臨床研修センター長の徳田安春医師)

 それにもかかわらず、国内のデータは黙殺され、海外のものにだけ依拠してこれまでの基準が変更されるかもしれないのだから、患者の側が戸惑うのも無理はない。

◆「薬の付き合い方」を考える

 こうした状況に患者はどう立ち向かえばいいか。前出・岡田氏は「血圧をどう考えるかが大事」と指摘する。

「血圧だけが高い人と、血圧が高くて脳卒中や心臓病などの合併症がある人は、分けて考える必要があります。すでに重大な疾患のある人は治療が大事なので、高血圧を放置してはいけません。ただし“どこも悪くないけど診断の数値が高め”という場合は血圧の数値に振り回されるのではなく、薬を飲むよりも生活習慣の改善に努めることを優先すべきです」

 降圧剤は一生飲み続ける薬となるだけに、最初の対応を慎重にしたい。

「そもそも血圧には個人差があり、一律に130以下を目標にすべきではありません。本来は数値が高くても医師が3か月ほど生活指導をして、それでも改善が見られない場合に薬を処方すべきですが、実際には経過観察を待たずに降圧剤を処方する医師も少なくないようです。患者の側も『先生に処方してもらったから』と安易に薬を受け入れるケースが見受けられます。安易に薬を頼らないことが重要です」(岡田氏)

※週刊ポスト2018年10月26日号





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風邪の対処策

ふざけたコメントも多かったので大部分カットした。最後の26などは風邪の引き始めではなく、完全に風邪を引いた場合ではないか。「速攻元気」とか「マルチビタミン」とか、前者は知らないし、マルチビタミン(Cは大事だと聞くが)が風邪に有効だとかは聞いたことがない。ポカリは、強烈な風邪(インフルエンザも含む)で嘔吐や下痢などの症状がある場合はお勧めである。
言えるのは、体を温めることの大事さで、そもそも風邪を引くのは体が急に冷えた時であるのがほとんどだろう。寝るにも、布団などでは寝ている間に剥がれるから、頭から足先手先まで衣類でくるんで寝たほうがいい。靴下は二枚重ねでもいいし、毛の靴下でもいい。首にもタオルを巻いておくと、突然の嘔吐にも対応ができる。寝床の側には吐しゃ物を入れても大丈夫な屑籠を用意する。そうして寝て、汗をかくくらいに温まれば、風邪は治るものである。
なお、咳には「龍角散のど飴」が一番いい。(私は英国製の咳止めを持っており、よく効くがこれは日本では買えない。)
なお、熱が出るのは、体が風邪を治すために自動的に働いているのだから、基本的には熱は下げるべきではない。まあ、40度を超える場合はどうなのか、自信は無い。人間は40度を超える風呂に入っても80度くらいのサウナに入っても大丈夫なのだから、体温が40度を超えても平気だと私は思うのだが。

(追記)下の記述が唯一解かどうかは知らないが、基本的に熱は下げないほうがいい、と見るべきだろう。


発熱(高体温)は細菌やウイルスの増殖 を抑え、それに打ち勝つ免疫作用を高めることが知られています。(解熱剤使用による体温低下は、抗体産生や炎症反応物質などの産生をおさえ、ウイルス感染が遷延化したり、動物実験では死亡率が上昇する)

出典






風邪の引き始めにやるべきこと教えてクレメンス・・・

1: 以下、ニュー速クオリティでお送りします 2018/10/15(月)12:22:01 ID:ID:GT1
悪寒がし始めたンゴ
今晩あたりから熱出そうや




引用元: http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1539573721/




3: 以下、ニュー速クオリティでお送りします 2018/10/15(月)12:22:21 ID:DdP
葛根湯キメる



4: 以下、ニュー速クオリティでお送りします 2018/10/15(月)12:22:31 ID:umq
お風呂





7: 以下、ニュー速クオリティでお送りします 2018/10/15(月)12:22:48 ID:Xkq
葛根湯やろな





9: 以下、ニュー速クオリティでお送りします 2018/10/15(月)12:23:11 ID:ID:GT1
葛根湯は効いたことないんやが飲んでみるンゴ






15: 以下、ニュー速クオリティでお送りします 2018/10/15(月)12:25:12 ID:ID:GT1
ああ逃れられない
季節の変わり目で油断したンゴ…



16: 以下、ニュー速クオリティでお送りします 2018/10/15(月)12:25:13 ID:jUO
お薬飲んで寝ろ



18: 以下、ニュー速クオリティでお送りします 2018/10/15(月)12:26:14 ID:ID:GT1
>>16
仕事中は葛根湯飲むで
家帰って症状出てきたら風薬のむ



19: 以下、ニュー速クオリティでお送りします 2018/10/15(月)12:26:22 ID:a40
布団にくるまって寝るンだよ!!!!(`o´)



20: 以下、ニュー速クオリティでお送りします 2018/10/15(月)12:26:43 ID:ID:GT1
>>19
家帰ってからやな…






23: 以下、ニュー速クオリティでお送りします 2018/10/15(月)12:30:23 ID:RK9
ビタミンC摂りまくれ



24: 以下、ニュー速クオリティでお送りします 2018/10/15(月)12:30:27 ID:mWt
葛根湯はむしろ引き始めにしか意味無いんやなかった?
体力あるうちに飲むものやとどっかで聞いたことあるンゴ



26: 以下、ニュー速クオリティでお送りします 2018/10/15(月)12:31:00 ID:lbn
コンビニの速攻元気とマルチビタミンゼリーとポカリを飲んでカイロを背中と脇に入れとけ
引き始めならマジで1発で治る



64: 以下、ニュー速クオリティでお送りします 2018/10/15(月)12:46:25 ID:Lqa
>>26
この辺かなワイの経験
体温下がると免疫力も下がるから暖めは大事
マスクも喉の乾燥防ぐ 大事にな


脳梗塞に対する「備え」は可能か

山本弘の脳梗塞体験記で、前回引用文に続く章である。
私には、記述された前提(事実)から、このような結論になるというのは非常に非論理的に思えるのだが、特に私のその判断を文章化する気はない。まあ、読む人の考え方次第だろう。

(追記)なお、山本弘を「空想科学読本」の著者と思っていたのは私の勘違いで、「トンデモ本学会」とか何とかいう集団の代表的人物で、彼らに批判された「空想科学読本」の書き手は柳田理科男とか何とかいう人物である。まあ、山本氏は「空想科学読本」のような冗談に対してむきになって批判するような人物であり、自分の知性や知識や合理性について過信しすぎな人間ではあると思う。





(以下引用)



第5話 前兆・その2

 僕の異変に気付かなかったという点では、僕のかかりつけの内科の医師も同じである。

 とりわけショッキングだったのは、僕が恥をしのんでした必死の訴えを無視されたことである……失禁したことを。

 それは仕事場からほんの七〇〇メートルほどの地点で起きた。ちょっとした買い物から帰る途中、突如として尿意に襲われたのだ。

 普通、尿意というのは、感じはじめてから数十分かけてじわじわと高まってくるものである。だが、その時は違った。いきなりすごい尿意が襲ってきたのだ。駅の近くならコンビニとかファミレスとかいくらでもトイレを貸してくれるところがあるが、あいにく僕が歩いていた区画は、オフィスビルや駐車場が立ち並ぶ場所。気軽にトイレを貸してくれそうにない。

 しかたなく、仕事場まで走った。必死だった。かろうじて、マンションの部屋のドアをあけ、中に飛び込んだ。靴を脱ぐのに手間どった。

 そこで時間切れだった。トイレに駆け込んだ瞬間、下半身にぬくもりを感じていた。

 終わった後、僕は情けない気分がいっぱいで、パンツとズボンを洗濯し、乾かした。濡れた服のまま、家に帰れなかったのだ。その日は夜になってパンツとズボンが十分に乾くまで、下半身すっぽんぽんで過ごした。宅配便が来ないよう、祈るしかなかった。

 この体験は妻にも話さなかった。あまりにもみっともない経験だったからだ。

 その後、しばらくの間、僕は外出が怖くなった。外でまた同じことが起きたらどうするのか。公衆の面前で失禁してしまったら。僕は用心して、長期間の外出(映画を見る、何かのイベントに出演する、電車で遠方まで移動するなど)の際には、必ずトイレに入ることにした。少しでも膀胱の圧力を下げておくためだ。

 二度と同じようなことが起きたことはない。

 しかし、僕を診察した内科の医師は、こともなげにこう言った。

「失禁なんて年をとれば誰でもするもんですから、そんな真剣に悩むことはありませんよ」

 ちょっと待て。聞きずてならんぞ、その言葉。

 六〇代の男性は必ず失禁するっていうのか。そんなの聞いたこともないぞ。失禁する男性はあきらかに少数派だろう。

 今回、初めて妻に失禁の話をした。すると同情されるかと思いきや、

「何でそんな話を先生にしたん」

 と逆に非難されたので驚いた。

「何でって……重大な事件やから報告せな」

「お医者さんかて、そんな当たり前の話されたら困るやんか」

 妻は結婚前、老人介護の仕事をしていた。美月を妊娠したのがきっかけでやめたのだが、しかし、介護の経験は結構豊かなのだ。(その経験は介護用アンドロイドを描いた「詩音が来た日」に活かさせてもらった)

 だもんで、妻は老人介護の専門家としての立場を述べた。

「お年寄りが倒れた場合、お医者さんやナースの人らが真っ先に心配するのは、どんな結果を招いたかということなんや。倒れたせいで内蔵や血管なんかに重大な影響が出ることもある。それに比べたら失禁なんて些細な問題なんや。

 あんたにとっては初めての失禁やったから大問題なんやろ。そやけど専門家にとっては、患者が失禁するなんて当たり前のことや。ましてあんたの場合、下着がちょっと濡れた程度の被害しかなかったんやから。騒ぎすぎや」

 妻の言い分は内科の医師と同じ。「真剣に悩むほどのことじゃない」というものだった。しかし僕は納得できなかった。

 妻にせよ医師にせよ、理解してくれなかったことがある。あの時の尿意の異常性だ。

 普通の尿意なら驚きはしない。道を歩いていて突然、あり得ないほどの尿意に襲われたのだ。ほんの七〇〇メートルほど距離も我慢できないほど、強烈な尿意に。

 現実にありえるのか、そんなことが。もしありえるなら、そこら中にトイレに間に合わずにそそうをした人が続出してるはずでは。

 医師や妻は自分の見慣れた失禁という現象を軽視しているように思える

 結局、僕の現在の状態は、数ヶ月前の僕から予想できるものではなかった。国立循環器病センターで脳の点検を受けたのだから、なおさらだ。

 僕の病状は、誰にも予想つかなかったということだ。僕は納得できなかった。どうして僕がこんな目に遭わなくてならないのか。いったい誰の責任なのか。

 もやもやしていた。その疑問に自分の中で決着がついたのは、入院して三ヶ月ぐらい経ってからだ。

 確率の問題だ。

 宝くじに当たる確率は低いが、当たる人には当たる。

 暴飲暴食をする人、あるいは喫煙者なら、確かに病気になる確率が通常よりも高い。しかし必ず病気になるわけではない。不健康な暮らしをしている人が、重い病気にかからずに一生を終えることが(確率は小さいが)ある。

 同じように、僕のような健康な暮らしをしていた人間でも、突然の病気に倒れることは、小さい確率だがあるのだ。不条理だが。

 ここまで読んできたあなたに、次のことは言っておきたい思う。

 ここに書いてきた諸症状を読んで、あなたの身に当てはまるものがあるなら、迷うことなく専門病院の門を叩くこと。そして徹底的な検査を受けること。

 僕の場合には事前の検査では発見できなかったのだが、あなたの場合には発見されるかもしれない。念のため、主治医には徹底的に不安を話し、必要な検査をすべて受けること。甘く見てはいけない。

 たとえ検査の結果が陰性でも、油断を怠らないこと。塩分の取りすぎ、甘いものには注意しよう。もちろん、カロリーの取りすぎ、飲酒、喫煙にもだ。楽しむ分にはいいが、健康を害し、時には死に至る。

 また死にはしなくても、僕のように仕事に支障をきたしてしまっては、大きな金を失う結果になる。特に僕のような文筆業者には、知的能力に支障をきたすことは致命的な打撃となる。今回、僕はそれを痛切に実感した。







脳梗塞の前兆はあるか?

コピーすると変なサイズになって編集画面に収まらないのだが、試しに記事の引用をしてみる。
山本弘という人は、頭がいいとか論理的であることに異常な誇りを持っている人物だというのが私の印象で、だからフィクション世界で描かれた「科学の装いをした作り事」を「空想科学読本」で笑いものにしたのだろう。もちろん、それは冗談半分でやったに違いないが、彼の文章自体に論理性へのこだわりというのを私はひしひしと感じるのである。
それは悪いことではないが、自分の知見や自分の論理に反することを絶対に認めないというのは、昔の宗教に見られたドグマ性と実は同じなのではないか。
引用できたら引用するが、下の記事の続きである第5章で、「失禁」などの単なる老化症状を脳梗塞の前兆だ、としているところに、私はその頑固さを見るのである。ちなみに、急速な「いますぐにおしっこしたい」感というのはここ数年の私も毎日のように感じることで、そのために社会生活をあきらめたというところがある。おむつをはいてまで他人と交わるのは御免である。
ここで私が下の記事を転載するのは、どんなに健康に気をつけても脳梗塞は「絶対に防ぐ」ことは不可能らしい、ということのメモである。
私はむしろ、山本氏がどんな不健康な生活をした結果として脳梗塞になったのかを実体験として聞きたかったのだが、残念ながら氏はむしろ「健康マニア」であったようだ。


(以下引用)



第4話 前兆・その1

 僕がこんな事態を招いたのには、何か決定的な前兆があったのだろうか。

 僕は数日に一度、美月の帰りが遅い日など、自宅での一家団欒の夕食をあきらめ、外食で済ませている。だが別に暴飲暴食をしているわけじゃない。近所のラーメン屋や鉄板焼の店、あるいはコンビニで売っている夜食ぐらいのものだ。

 普通の日は家で食べている。普段食べないような豪勢な食事なんて、月に一度くらい、東京に行ったときに食べるささやかなご馳走ぐらいのものだ。(秋葉原の『肉の万世』のロブスターは特にお気に入り)

 妻はかつて、僕がポテトチップスを食べるたびに渋い顔した。塩分の取りすぎだと。確かに一袋に一グラムの食塩は多すぎる。最近、僕はその悪癖をあらため、いっぺんにポテトチップスを食べないことにした。

 甘いものが昔から好きだ。医師から血糖値が高いとよく警告されていた。だが常人に比べて何倍も高いわけじゃないし、血糖を抑える薬も飲んでいる。何にせよ、いきなり破滅的な影響が出るとは考えにくい。

 それに僕は酒も煙草もやらない。信じられないほど健康な人間のはずなのだ。僕より不健康な暮らしをしている人間はいくらでもいる。

 しかも僕は、今年の一月、吹田市の国立循環器病研究センターで、レントゲン、CTスキャン、MRIなどで徹底的に検査を受けた。脳などの機能に異常がないことを確認してもらうためだ。

 そう言えば、テクネシウムシンチという珍しい検査も受けた。テクネシウムという特殊な放射性元素を血管に入れ、詳しく調べるものだ。テクネシウムの半減期はきわめて短く、たった一日で使えなくなってしまう。シンクロトロンなどで作ったものを運んできて、その日のうちの使い切るのだそうだ。そんなに半減期が短いということは、たちまち他の元素に変わってしまうので、安全なのだ。

 しかし、テクネシウムシンチを行っている部屋に気になるところがあった。部屋の入り口には「RI室」と書いてあるのに、RIとは何の略なのか書いてないのだ。ラジオアイソトープ(放射性同位元素)の略に決まってるのに。

 それに看護婦が血管に注射する時に、「お薬の注射を入れます」としか言わなかった。世の中には科学にうとい人もいる。「放射性同位元素を入れます」と正直に言うと、不安に思う人もいる。それを警戒したんだろう。

 僕みたいに、『日経サイエンス』を毎月読んでいて、テクネシウムシンチなんて言葉を知ってる人間の方が少数派だろう。放射線は大量に浴びると危険だが、X線など医療に用いる程度の量なら心配はいらない。僕などはむしろ、あまり聞いたことのない珍しい元素を体内に入れられると知って、わくわくしてしまったのだが。

 何にしても、精密検査では何も発見されなかった。

 脳梗塞は医師にも予知できない突然の出来事だったのだ。

 だが、僕にもある種の予兆はあった。あとから思い返すと、不気味な前兆は数ヶ月前から忍び寄っていたのだ。

 このところ妙に物忘れが多いということは、内科の診察でも訴えていた。日常生活でふと固有名詞が出てこないことがあるとか、小説を書いていて登場人物が思い出せなくなるとか。

 それ自体はたいしたことじゃない。誰でも日常生活でよくあることだし、分からなければ、ネットで検索するか、自分の小説なら過去のデータを読み返せばいいことだ。だがやけにその件数が増えてきていることが気になってはいた。

 小説家は頭が資源だ。何か頭に重大な異変が生じている前兆ではないのかと疑ったのだ。

 だが医師は僕の訴えを無視した。「年を取ると忘れっぽくなるもんですよ」と。

 そして体調に異変が生じた。

 身体に生まれた異変の最初のものは、異常な疲労感だった。その日の執筆の仕事が一段落し、仕事場のマンションから帰ると、なぜか奇妙に疲れている。二階への階段を昇るのさえ一苦労で、時には最後の数段を這い昇らねばならない時もあった。

 イベントで東京に行った時のこと。会場がやけに狭い階段で、三階まで昇ったところにあるのだが、僕はノートパソコンもっていったせいで、情けないことに途中でギブアップ、パソコンをスタッフの人に運んでもらったことがある。

 ひどい恐怖を味わったこともある。台風の近づいた風の強い日のことである。たまたま近所を歩いていた僕は、吹きすさぶ強風になぜか歩調を合わせ、風に合わせて全力疾走していることに気付いた。

「ちょっと待て!   僕は何で風に合わせて走ってるんだ!?」

 わけがわからなかった。しかし、危険な行為であるのは確かだ。通行人にぶつかったら怪我を負わせてしまうかもしれない。僕はただちに風に立ち向かうのをやめ、自宅に帰ることにした。

 この謎はしばらく解けなかったが、後になって病院でリハビリを受けるようになって判明した。両足の機能が麻痺し、リハビリをしなくてはならなかったのだが、その際、気がついたのだ。悪くなった脚は、常識とは逆に反射的に小股になり、歩調はそれに合わせて速くなるという事実に。

 つまり、風に強く吹かれた際に、僕は悪くなった脚に負担をかけまいと、自然と歩調を風に合わせて歩くことにしたわけだ。もちろん、歩調を風に合わせて速くするのにはそれなりのエネルギー消費がともなうのだが、当時の僕の無意識にとっては、身体に無理をかける行為を何より嫌ったのだろう。

 今になってみれば、あのおかしな不条理な行動は、身体の異変に僕の脳が先回りして気付いていたことの証明である。全身の機能が麻痺しはじめていることに。

 脳はしばしばその人自身が気付かないことに気付く……それは僕が自作『僕の光輝く世界』で書いたことである。しかし僕自身がそれを理解していなかった。僕は脳が発していた異変の前兆を無視したのだ。

 いやまったく無視していたわけではない。僕が前述の国立循環器病研究センターで精密検査を受けたのも、度重なる異変が何か兆候ではないかと危惧したからだ。だが最先端の医療設備でも、何もおかしな点は発見できなかったのだ。




脳梗塞にかかるのは馬鹿だけ?

岡田斗司夫のこの言葉は私には意味不明なのだが、「頭脳明晰で論理的」な人間は脳梗塞にかからない、と言いたいのだろうか。頭脳の性能と脳梗塞にかかるかどうかはまったく関係が無いと思うのだが。あるいは、善意に解釈したら、「頭脳明晰で論理的な人でも脳梗塞にかかって、その頭脳を失うから気の毒だ」ということだろうか。それなら、脳梗塞患者全体への侮辱だろう。脳梗塞による身体障害は残っても、リハビリに成功したら、頭脳の能力自体はかなり回復できると思うのだが、どうだろう。
なお、私の近親者も脳梗塞や脳溢血になった人が多いことは前に書いている。そのうち、私の父は、田舎の小学校中学校開校以来の秀才で、毎年のように級長(学業が一番の者がなるのが当時は当たり前だった。)をしていた人間である。だが、百姓の生まれなので、高等教育は受けられず、軍人になったが、田舎出身の軍人として異例の出世をしている。




あの頭脳明晰で誰よりも論理的な構文で語る山本さんが!
橘玲はこの人の文章を写経したら、1万倍わかりやすくなるのに!という「ラノベ文体でハラリが書けるSFおじさん」である。
そんな人でも脳梗塞にかかるんだよなー。
逃れられないんだよなー。