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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

脳梗塞に対する「備え」は可能か

山本弘の脳梗塞体験記で、前回引用文に続く章である。
私には、記述された前提(事実)から、このような結論になるというのは非常に非論理的に思えるのだが、特に私のその判断を文章化する気はない。まあ、読む人の考え方次第だろう。

(追記)なお、山本弘を「空想科学読本」の著者と思っていたのは私の勘違いで、「トンデモ本学会」とか何とかいう集団の代表的人物で、彼らに批判された「空想科学読本」の書き手は柳田理科男とか何とかいう人物である。まあ、山本氏は「空想科学読本」のような冗談に対してむきになって批判するような人物であり、自分の知性や知識や合理性について過信しすぎな人間ではあると思う。





(以下引用)



第5話 前兆・その2

 僕の異変に気付かなかったという点では、僕のかかりつけの内科の医師も同じである。

 とりわけショッキングだったのは、僕が恥をしのんでした必死の訴えを無視されたことである……失禁したことを。

 それは仕事場からほんの七〇〇メートルほどの地点で起きた。ちょっとした買い物から帰る途中、突如として尿意に襲われたのだ。

 普通、尿意というのは、感じはじめてから数十分かけてじわじわと高まってくるものである。だが、その時は違った。いきなりすごい尿意が襲ってきたのだ。駅の近くならコンビニとかファミレスとかいくらでもトイレを貸してくれるところがあるが、あいにく僕が歩いていた区画は、オフィスビルや駐車場が立ち並ぶ場所。気軽にトイレを貸してくれそうにない。

 しかたなく、仕事場まで走った。必死だった。かろうじて、マンションの部屋のドアをあけ、中に飛び込んだ。靴を脱ぐのに手間どった。

 そこで時間切れだった。トイレに駆け込んだ瞬間、下半身にぬくもりを感じていた。

 終わった後、僕は情けない気分がいっぱいで、パンツとズボンを洗濯し、乾かした。濡れた服のまま、家に帰れなかったのだ。その日は夜になってパンツとズボンが十分に乾くまで、下半身すっぽんぽんで過ごした。宅配便が来ないよう、祈るしかなかった。

 この体験は妻にも話さなかった。あまりにもみっともない経験だったからだ。

 その後、しばらくの間、僕は外出が怖くなった。外でまた同じことが起きたらどうするのか。公衆の面前で失禁してしまったら。僕は用心して、長期間の外出(映画を見る、何かのイベントに出演する、電車で遠方まで移動するなど)の際には、必ずトイレに入ることにした。少しでも膀胱の圧力を下げておくためだ。

 二度と同じようなことが起きたことはない。

 しかし、僕を診察した内科の医師は、こともなげにこう言った。

「失禁なんて年をとれば誰でもするもんですから、そんな真剣に悩むことはありませんよ」

 ちょっと待て。聞きずてならんぞ、その言葉。

 六〇代の男性は必ず失禁するっていうのか。そんなの聞いたこともないぞ。失禁する男性はあきらかに少数派だろう。

 今回、初めて妻に失禁の話をした。すると同情されるかと思いきや、

「何でそんな話を先生にしたん」

 と逆に非難されたので驚いた。

「何でって……重大な事件やから報告せな」

「お医者さんかて、そんな当たり前の話されたら困るやんか」

 妻は結婚前、老人介護の仕事をしていた。美月を妊娠したのがきっかけでやめたのだが、しかし、介護の経験は結構豊かなのだ。(その経験は介護用アンドロイドを描いた「詩音が来た日」に活かさせてもらった)

 だもんで、妻は老人介護の専門家としての立場を述べた。

「お年寄りが倒れた場合、お医者さんやナースの人らが真っ先に心配するのは、どんな結果を招いたかということなんや。倒れたせいで内蔵や血管なんかに重大な影響が出ることもある。それに比べたら失禁なんて些細な問題なんや。

 あんたにとっては初めての失禁やったから大問題なんやろ。そやけど専門家にとっては、患者が失禁するなんて当たり前のことや。ましてあんたの場合、下着がちょっと濡れた程度の被害しかなかったんやから。騒ぎすぎや」

 妻の言い分は内科の医師と同じ。「真剣に悩むほどのことじゃない」というものだった。しかし僕は納得できなかった。

 妻にせよ医師にせよ、理解してくれなかったことがある。あの時の尿意の異常性だ。

 普通の尿意なら驚きはしない。道を歩いていて突然、あり得ないほどの尿意に襲われたのだ。ほんの七〇〇メートルほど距離も我慢できないほど、強烈な尿意に。

 現実にありえるのか、そんなことが。もしありえるなら、そこら中にトイレに間に合わずにそそうをした人が続出してるはずでは。

 医師や妻は自分の見慣れた失禁という現象を軽視しているように思える

 結局、僕の現在の状態は、数ヶ月前の僕から予想できるものではなかった。国立循環器病センターで脳の点検を受けたのだから、なおさらだ。

 僕の病状は、誰にも予想つかなかったということだ。僕は納得できなかった。どうして僕がこんな目に遭わなくてならないのか。いったい誰の責任なのか。

 もやもやしていた。その疑問に自分の中で決着がついたのは、入院して三ヶ月ぐらい経ってからだ。

 確率の問題だ。

 宝くじに当たる確率は低いが、当たる人には当たる。

 暴飲暴食をする人、あるいは喫煙者なら、確かに病気になる確率が通常よりも高い。しかし必ず病気になるわけではない。不健康な暮らしをしている人が、重い病気にかからずに一生を終えることが(確率は小さいが)ある。

 同じように、僕のような健康な暮らしをしていた人間でも、突然の病気に倒れることは、小さい確率だがあるのだ。不条理だが。

 ここまで読んできたあなたに、次のことは言っておきたい思う。

 ここに書いてきた諸症状を読んで、あなたの身に当てはまるものがあるなら、迷うことなく専門病院の門を叩くこと。そして徹底的な検査を受けること。

 僕の場合には事前の検査では発見できなかったのだが、あなたの場合には発見されるかもしれない。念のため、主治医には徹底的に不安を話し、必要な検査をすべて受けること。甘く見てはいけない。

 たとえ検査の結果が陰性でも、油断を怠らないこと。塩分の取りすぎ、甘いものには注意しよう。もちろん、カロリーの取りすぎ、飲酒、喫煙にもだ。楽しむ分にはいいが、健康を害し、時には死に至る。

 また死にはしなくても、僕のように仕事に支障をきたしてしまっては、大きな金を失う結果になる。特に僕のような文筆業者には、知的能力に支障をきたすことは致命的な打撃となる。今回、僕はそれを痛切に実感した。







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