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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

武田双雲の字

武田双雲という人は実に器用な感じの字を書くが、あまり好きな字ではない。しかも、下の写真の字はかなり退化していると思う。特に「健」の字は見苦しい。下の「康」の字とバランスを取って目立たなくしているのはさすがだが、「健」単独だと不細工そのものだ。もちろん、「建」の延繞部分の最後を異常に太くすることで1字としてのバランス(字の重心)を取ったのは流石にプロの書家だと思うが、むしろそういう小細工に、良寛が「書家の書」を嫌った理由が何となく分かる。






書道家・武田双雲さん

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猛暑日や よくぞ男に生まれけり

  1. 女性というのはなかなか不思議な生き物で、自分の商品価値を上げるためならかなりの苦難でも耐え忍ぶ。暑い盛りに化粧をして外出するだけでも凄いと思う。ましてハイヒールなど拷問器具なのではないか。浴衣(和服一般)もそうであり、あれは「他人が見るための」ものでしかない。まあ、男としては、そのサービスを多とする気持ちも無いではないが、あまりに気の毒すぎて正視に耐えない感じもある。なお、女性の水着なども、「他人へのサービス」が主だろう。泳ぐためだけなら競泳水着を着ればいい。
  2. 小田嶋隆 @tako_ashi 7時間前
  1. そもそも浴衣を着ると歩幅をはじめ行動の自由が大幅に制限されます。まあ、一種のボンデージファッションですよ。正直に申し上げて、浴衣を着ている女性に魅力を感じたことは一度もありません。「くだらねえ演出しやがってバカじゃねえの?」と思っています。本人には直接言いませんが。
    1. 浴衣はあれは着ている人間は暑いんだけど、見ている側が涼しさを感じる不思議な衣服です。従軍浴衣婦の大量動員が必要かもしれません。


発汗と熱中症

  1. 足や指が攣る、というのは熱中症というより、発汗しすぎで体内のミネラル分が汗で流出した結果だと思う。まあ、それを熱中症と言えばそうなのだろうが。したがって、ただの水分補給ではなく、スポーツドリンクの補給をすべきだろう。まあ、要するに塩分とカリウムと糖分の入った液体を摂ればいいかと思う。これからの季節、スポーツドリンクは常備しておいたほうがいいのではないか。
  2. 蔵建て男 @kuratateo 7時間前
  1. 身体が吊るということが滅多にないのですが、足の指が勝手に曲がって痛くなり、戻すのに苦労するときがあります。まるで北斗の拳で秘孔でも打たれた感じで、自分の意志に反して指が折れていたい。ただこのときは、熱中症よりも脳がヤバイじゃないかと心配になります。
    1. まだ室温が31.1度あるのだけれども、足が吊った(汗) ・・・ これは典型的な熱中症の症状なので、水分補給をしてクーラーの部屋に逃げよう。気分は、高校球児。



ゴーヤーチャンプルー

自宅でゴーヤーチャンプルーを作る場合は、自己判断で味付けするよりレシピを見たほうがいいと思うが、我流でやるなら、塩味を基本にして、米酢を少し入れるといいと思う。ゴーヤーに合う食材は、麩や木綿豆腐、脂身の付いた豚肉、あるいはスパムに卵など。総じて、(肉類は別として)もともと味が無いような食材が、ゴーヤーの強い味とうまく調和する。子供などがあの苦みが苦手な場合、ゴーヤーをできるだけ薄切りにしたらいい。






暑いのでカッとなって晩飯のメニューを冷や麦とゴーヤーチャンプルーにしたが、こいつらは作るのが暑いということを忘れていた。

不倫は倫理的かwww

「紙屋研究所」記事の一部だが、「倫理学」(私は、自分のブログのこのシリーズで倫理の考察をしているわけだが、それを「倫理学」としている。)の面白いテーマである。
欧米人などは、恋愛して結婚し、別の女(男)が好きになると離婚して新しい相手と結婚するのが正直な生き方だと思い込んでいるようだが、さて、その「正直さ」は倫理的なのだろうか、という問題だ。現在の結婚相手への関心や性欲が薄れて、新しい相手と不倫関係になるのは、自分の気持ちに正直なのだが、それは倫理的なのだろうか。これはつまり「不倫こそが倫理的である」というパラドックスだ。

キーワードは「自分の気持ちに正直」という言葉だが、正直ということ自体が倫理的であるわけではない。むしろ、倫理とは「禁止の体系」なのだから、動物的欲望への忠実さ(正直さ)というのは、実は倫理の対極にあるのである。
ところが、「正直さは美徳である。つまり、倫理的なものだ」という固定観念があるから、自分の欲望に簡単に身を委ねる動物的行為が「正直な生き方」と肯定されることになる。
いや、私だって、べつに倫理を絶対視するつもりはないし、倫理という「自分自身への足かせ」は人生を損するものだと思う人間を間違いと言うつもりもない。
ただ、「自分の欲望」というのは、周囲の人間を不幸にしてまで求めるものなのか、という話である。自分の欲望なんて、それほどの損害を計量しても追及するほどのものだろうか。
簡単な話、いくらステーキが好きだとしても、自分がステーキを食うために誰かが死ぬとして、それでもステーキを食うのか、というのがここでの「倫理問題」なのである。しかも、目の前にはステーキでこそないが、インスタントラーメンも握り飯もあるのである。




(以下引用)

米代添『あげくの果てのカノン

あげくの果てのカノン 1 (ビッグコミックス) ちょっと珍しい不倫マンガといえば、SF不倫の設定をからめた、米代添『あげくの果てのカノン』(小学館)だろう。

 クラゲに似たエイリアンとたたかう特殊部隊の一員・境宗介は、妻帯者であるにもかかわらず、高校時代からストーカー気味に境を偏愛している主人公・高月かのんと密会するようになる。

 境はエイリアンと戦うたびに身体をひどく損傷するが、“修繕”と呼ばれる再生技術によって元に戻る。しかし“修繕”で身体が変化するたびに嗜好、つまり心も少しずつ変わっていってしまう。

 境の妻・初穂は、境に対して、“修繕”で心変わりが進むのは仕方ないよねと言いながら、「……だけどね、勘違いしないで? そんな一時の感情より、『結婚』の方がね、ずうっと重いの。わかってるわよね…?」と諭し、不倫の連絡道具である境のスマホを静かに味噌汁に浸けるのだった。

 境は、初穂のいうことを「正しい」としつつ、自分の気持ちを「誠実に」初穂に伝える。

「だけどもう…違うんだ。勝手なことを言っているのはわかってる。これがおかしいことも…君を傷つけることも……だから君の正しさにはこたえられない。」

 初穂はそれを聴きながら、「宗介の好きだったところ… 誠実に、真摯に考え、言葉を紡いで、真っすぐにそれを、語りかけてくれるところ…その彼が今、目の前にいる。」と絶望する。

 自分が好きだったはずの「誠実さ」という境の美点が、不倫正当化する道具になっちゃっているのである。

 結婚とは「変わらない」ことであり、不倫とは「変化する」ことである。だが、「変わらない」ことがこの場合は「正しい」かもしれないが、「変わらない」ものなどない。だから、「変化する」ということ、つまり不倫こそが「自然」で「誠実」なものだ――あれ……? なんかおかしくねえか?

 おーい。初穂ー。もしもーし。「キミも好きだけど、あの娘を好きな気持ちもホンモノなんだよ!」って、よくある不倫の陳腐な言い訳だから! それ「誠実」でも「真摯」でもなんでもないから!