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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

不倫は倫理的かwww

「紙屋研究所」記事の一部だが、「倫理学」(私は、自分のブログのこのシリーズで倫理の考察をしているわけだが、それを「倫理学」としている。)の面白いテーマである。
欧米人などは、恋愛して結婚し、別の女(男)が好きになると離婚して新しい相手と結婚するのが正直な生き方だと思い込んでいるようだが、さて、その「正直さ」は倫理的なのだろうか、という問題だ。現在の結婚相手への関心や性欲が薄れて、新しい相手と不倫関係になるのは、自分の気持ちに正直なのだが、それは倫理的なのだろうか。これはつまり「不倫こそが倫理的である」というパラドックスだ。

キーワードは「自分の気持ちに正直」という言葉だが、正直ということ自体が倫理的であるわけではない。むしろ、倫理とは「禁止の体系」なのだから、動物的欲望への忠実さ(正直さ)というのは、実は倫理の対極にあるのである。
ところが、「正直さは美徳である。つまり、倫理的なものだ」という固定観念があるから、自分の欲望に簡単に身を委ねる動物的行為が「正直な生き方」と肯定されることになる。
いや、私だって、べつに倫理を絶対視するつもりはないし、倫理という「自分自身への足かせ」は人生を損するものだと思う人間を間違いと言うつもりもない。
ただ、「自分の欲望」というのは、周囲の人間を不幸にしてまで求めるものなのか、という話である。自分の欲望なんて、それほどの損害を計量しても追及するほどのものだろうか。
簡単な話、いくらステーキが好きだとしても、自分がステーキを食うために誰かが死ぬとして、それでもステーキを食うのか、というのがここでの「倫理問題」なのである。しかも、目の前にはステーキでこそないが、インスタントラーメンも握り飯もあるのである。




(以下引用)

米代添『あげくの果てのカノン

あげくの果てのカノン 1 (ビッグコミックス) ちょっと珍しい不倫マンガといえば、SF不倫の設定をからめた、米代添『あげくの果てのカノン』(小学館)だろう。

 クラゲに似たエイリアンとたたかう特殊部隊の一員・境宗介は、妻帯者であるにもかかわらず、高校時代からストーカー気味に境を偏愛している主人公・高月かのんと密会するようになる。

 境はエイリアンと戦うたびに身体をひどく損傷するが、“修繕”と呼ばれる再生技術によって元に戻る。しかし“修繕”で身体が変化するたびに嗜好、つまり心も少しずつ変わっていってしまう。

 境の妻・初穂は、境に対して、“修繕”で心変わりが進むのは仕方ないよねと言いながら、「……だけどね、勘違いしないで? そんな一時の感情より、『結婚』の方がね、ずうっと重いの。わかってるわよね…?」と諭し、不倫の連絡道具である境のスマホを静かに味噌汁に浸けるのだった。

 境は、初穂のいうことを「正しい」としつつ、自分の気持ちを「誠実に」初穂に伝える。

「だけどもう…違うんだ。勝手なことを言っているのはわかってる。これがおかしいことも…君を傷つけることも……だから君の正しさにはこたえられない。」

 初穂はそれを聴きながら、「宗介の好きだったところ… 誠実に、真摯に考え、言葉を紡いで、真っすぐにそれを、語りかけてくれるところ…その彼が今、目の前にいる。」と絶望する。

 自分が好きだったはずの「誠実さ」という境の美点が、不倫正当化する道具になっちゃっているのである。

 結婚とは「変わらない」ことであり、不倫とは「変化する」ことである。だが、「変わらない」ことがこの場合は「正しい」かもしれないが、「変わらない」ものなどない。だから、「変化する」ということ、つまり不倫こそが「自然」で「誠実」なものだ――あれ……? なんかおかしくねえか?

 おーい。初穂ー。もしもーし。「キミも好きだけど、あの娘を好きな気持ちもホンモノなんだよ!」って、よくある不倫の陳腐な言い訳だから! それ「誠実」でも「真摯」でもなんでもないから! 



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