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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

降圧剤と認知症

「asagei biz」から転載。



現役名医5人が「診察のウラ」を懺悔公開(1)降圧剤を飲んで脳卒中になった

 患者には口が裂けても言えない医薬の闇─。「ガン治療のウラ」に続く後編では「病気と病人を作り出す衝撃のカラクリ」に迫る。高血圧、脳卒中、脂質異常、肥満、糖尿病・・・・。生活習慣病治療の裏事情を知り尽くした5人の現役名医が、医薬錬金術の実態を洗いざらい覆面暴露する。

─今回は前編にご登場いただいたA医師に加え、新たに生活習慣病の専門医4名にご参集いただきました。まずは読者の関心も高い「高血圧」の闇からブッタ斬ってもらいましょうか。

E 頭痛や吐き気などの症状がある高血圧緊急症、ホルモン分泌の異常で起こる2次性高血圧は別として、加齢に伴って血圧が上昇してくる無症状の「本態性高血圧」は基本的に治療する必要はありません。

─放っておいても問題なし、ということですか。

E 大丈夫です。年を取ると動脈硬化などで血管の柔軟性が失われていくため、心臓のポンプ圧、すなわち血圧を上げないと体の隅々にまで血液を巡らせることができません。つまり加齢に伴う血圧上昇は健康維持に必要な自然の摂理であって、降圧薬を使って血圧を下げてしまうと、逆に体が不調に陥ってしまうのです。

─どのような不調が起こりますか。

C その点は私の専門分野なので説明させてください。高齢者の場合、特に警戒しなければならないのが認知症です。

─降圧薬が認知症を引き起こす、と。

C 降圧薬を飲むと脳の血流、中でも記憶を司る海馬(両こめかみの奥にある)の血流が悪くなります。私の臨床経験でも、降圧薬を飲み始めたらボケ症状が現れたという訴えは多く、検査(脳血流シンチグラフィー)をしてみると、海馬の血流が著しく低下していたというケースは少なくありません。逆に初期認知症の場合、降圧薬の服用を中止したらボケ症状が改善されたという臨床例も数多く経験しています。

─恐ろしい話ですね。では、認知症以外ではどんな不調が起こりますか。

E 「脳卒中」です。脳卒中は脳梗塞や脳出血などの総称ですが、降圧薬で血圧を必要以下の水準にまで下げてしまうと、脳血管の血流が滞りがちとなり、血液が固まりやすくなります。最悪の場合、脳の血管が詰まって血流が途絶え、周辺の脳細胞が死滅してしまう。いわゆる脳梗塞です。

─これまた驚きですが、脳出血についてはどうでしょう。さすがに高血圧と脳出血には高い相関関係があるように思えますが。

A それは因果関係が逆なんだよ。脳出血が起こると、それに伴って血圧が上昇する。事実、救急搬送されてきた脳出血患者の6割くらいに急性高血圧が認められる。脳出血が原因で高血圧が起こったにもかかわらず、高血圧が原因で脳出血が起こったというでっち上げが広まった。あとで話に出ると思うが、脳出血の主因は他にある。だから脳出血を予防するために降圧薬で血圧を下げてもほとんど無意味なんだよ。

【出席者プロフィール】

A=国立大学医学部長経験者(消化器外科医)

B=公立総合病院診療科長(内科医)

C=総合内科クリニック院長(老年内科医)

D=私立医科大学附属病院副診療科長(内分泌内科医)

E=民間総合病院診療科長(循環器内科医)

司会=医療ジャーナリスト




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「書くこと」「問題とその解決」

私は、自分が嫌なことはしないという主義なので、ブログはもちろん趣味で書いている。書くことによって考えが生まれてくるので、書くのに苦労は無いし、だから長く続いている。これが、義務で書いていたら、毎日が苦痛だろう。
で、書くことで考えが生まれるというのは、「徒然草」でも、「筆取れば物書かれ」と書いているとおりで、書くことが次の考えを連想的に生み出すのである。
これが、「最初から設計図を作って書く」のだと、書く楽しみがあるのかどうか。
児童文学どころか世界文学の最高峰のひとつと私が見ている「不思議の国のアリス」は、ボートで川遊びをしながら、思いつきで語り始めた話が原形であるらしい。そして、アリスを兎の入った穴の中に落とした後どうするか、その時点ではまったく考えていなかったと言う。「不思議の国のアリス」の奇想天外さ、予想することすら思いもさせない展開は、そこに理由があったのかもしれない。
かりに私が物語を書くとしたら、その作品もそういうものでありたいものだ。

ついでに言っておけば、私は「推理小説」があまり好きではない。登場人物が、話のために存在するだけの操り人形でしかないように思えるからだ。そのキャラも、キャラ作りのために特徴を付与されただけの作り物に思える。まあ、そうでない作品もあるにはあるが、とにかく、「謎のための謎」というのが馬鹿馬鹿しい。謎は無くても、読者を考えさせ、先を読み進めたい気持ちにさせる小説が理想である。
そうは言っても、謎というものは物語の先を読み進めたい気持ちにさせるもの(私はこれを「小説エンジン」と言っている。)の最大のものではあるだろう。謎と言わずに「どう解決されるか気になる問題」と言うほうがより適切か。たとえば、「高慢と偏見」を先へ先へと読み進めさせる小説エンジンは、ベスとダーシーはどうなるのか、という「問題」の解決を知りたいという気持ちだろう。そういう意味では、恋愛小説と推理小説とはさほど大きな懸隔は無いとも言えそうだ。

アスピリンの「血液サラサラ」効果

「日刊ゲンダイ」デジタル記事の一部だが、医者もアスピリンが血圧をサラサラにする(医学的には何と言うのか分からない)効果があることは認めているようだ。
薬局で買える「血圧サラサラ薬」はアスピリン以外には無い(ワーファリンも買えるのだろうか?)ようだが、頭痛なども無いのにアスピリンを毎日飲むのも少々ためらってしまう。まあ、少し買ってはある。

(以下引用)


脳梗塞の意外なサイン…年を重ねて「背」が縮んだら要注意

前かがみに注意
前かがみに注意(C)日刊ゲンダイ

 変位走行異常が起こった最初のうちは、頚動脈が動くので喉の違和感を覚える。経験を積んだ耳鼻咽喉科医が脈を取りつつ口腔内の検査をすれば、異常を見つけられる。

「アスピリンやワーファリンなどで血液をサラサラにして、脳出血を起こさないように血圧をコントロールすれば脳梗塞を予防できます」



(追記)アスピリンは古くから医薬品として知られていた柳の木から取られていたと言い、歴史があるだけに信頼性もあり、ある程度の安全性もあると思うが、副作用もあるらしく、胃腸障害や腎機能障害の可能性もあるようだ。まあ、「脳梗塞と心筋梗塞の標準的予防薬として使われた」というのだから、予防効果がちゃんとあるのだろう。


●アスピリン まず、抗血小板薬について説明します。その代 表がアスピリン、つまりアセチルサリチル酸です。 ベンゼン環についている水酸基がアセチル化され ている構造です。本来はサリチル酸として開発さ れ、それは柳から抽出されていたのですが、その 副作用が大きかったため、アセチル化することに より副作用を軽減し、製剤化されました。 アスピリンは、1897年にドイツのバイエル社の ホフマン博士によって合成されたのですが、作用 機序が分かったのは1971年でした。イギリスのべ イン博士が、アスピリンが血小板凝集・血管収縮 をもたらすプロスタグランジンの生成を抑えるこ とを報告したのです。そのことでべイン博士はノー ベル賞を取りました。 1985年には米国FDAが心筋梗塞の治療薬として 承認し、脳梗塞と心筋梗塞の標準的予防薬として 使われるようになりました。2000年には厚生労働 省が抗血小板薬として承認し、2005年に川崎病の 治療薬として承認されています。






口中清掃行為としてのうがい

「日常生活動作の考察」のひとつとして、「うがい」を考えてみる。

うがいをやる人間の多くは、口に水を含んで上を向き、喉の辺りに溜めた水に肺から空気を送って水泡を作り、「ガラガラ」とやる、というものだろう。
で、これが風邪の予防とされていたが、実は風邪の予防にはあまり役立たないとも最近では言われているようだ。
だが、私の考えるうがいの効用は、風邪の予防とは関係がない。単に口中の清掃である。
食事をした後の口の中がいかに「食物ゴミ(細片)」だらけか、うがいをするとよく分かる。これは、歯磨きなどをしても気づかないものだし、実は歯磨きではこの食物ゴミは完全には取れない、と私は思っている。と言うのは、歯ブラシの毛先では歯と歯の間に届かない部分があるし、歯肉ポケット(と言ったか)にも届かない部分があるからだ。だが、水ならそこに届くし、水流の力というのは思ったより大きなものだ。特に、歯で囲まれた内部に溜めた水を歯の隙間から外(つまり歯と頬肉や口唇の間の空間)に押し出す水流の力は案外大きく、歯の内外で水を往復させる運動を数回繰り返すと歯間にあった実に大量の食物ゴミの細片が取れて水の中を漂うのである。
これをやる際には、最低でも十回以上は水の往復をさせるべきである。と言うのは、歯の間に挟まったゴミが水で動かされても、一回の水流では挟まったままで、それが数回の水の往復で動かされてやがて取れるからだ。
これは歯間だけでなく、歯と歯肉の間のポケットに押し込まれた食物ゴミにも言えることである。

まあ、こういう感じで、日常の動作や行為の中には、「間違ったやり方」をしていて無意味になっているものが案外たくさんあるのではないか、と私は思っている。

日常生活動作の原則を考えること

私は一見些細な物事の「意味」や重要性を考えることが好きなのだが、たとえて言えば、スーパーなどの大売り出しで「100円」ではなく「98円」で売り出すようなことである。価格の2パーセントの違いは、売上が一億円なら200万円相当で、小さくはないが、その2円の違いの魅力で客足が本当に伸びるのなら、98円にする意義は損失より大きいだろう。これが為替などだと1円どころか1銭の違いでも大きな意味がある。
人生問題でもそういうことが多々あるのではないか。
たとえば、「呼吸の仕方」「歩き方」「座り方」「立ち方」「静止や動き出しの仕方」など、毎日無意識にやっていることでも、実は「最良の方法」があり、それが長い年月の間に大きな違いを生み出すのではないか、と考えたりするわけだ。
呼吸の仕方などだと、切迫した呼吸の仕方(呼吸の浅さ)が健康に悪いことはある程度知られている。だが、歩き方など意識しているのはファッションモデルくらいだろう。それも美的観点からのみで、健康にいいかどうかはあまり考慮されていないと思う。座り方や立ち方は私自身もさほど考えていない。しかし、「静止や動き出しの仕方」は、動作の基本として考慮するべきことだと思う。これが事故防止につながるからである。
今の時代にはタンスそのものがあまり見られない家庭もあるかと思うが、昔はタンスの角に足の小指をぶつけてしまう「事故」が多かったと思う。たいした事故ではないからすぐに忘れられ、同じ事故を何度も繰り返したりする。つまり、「動作の原則」が考慮されないから同じミスが何度も起こるわけだ。
まあ、昔は家の中に家具が少なかったから、「タンス事故」が家の中の事故の中で印象に残るのかもしれない。今のように家の中に家具が溢れている時代には、それなりの「動作の原則」が無意識に確立されている可能性もある。(要するに、動き出しをゆっくり行うだけであると思うが。)
そうした「日常生活動作の基本原則」を考察するのも、私の「生活の技術」の考察の一部である。