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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

脳梗塞とデスクワーク

「大摩邇」所載の井口博士ブログ記事だが、博士は脳梗塞を発症したらしい。
私も一昨年に脳梗塞になったが、幸い軽症で、日常生活にさほど不便は無い。しかし、そうなると、井口博士ではないが、「いつ死んでもおかしくない」という気持ちで生きていくようになるわけで、偉い人ならそこで奮起して何か業績を残すのだろうが、私は「働きづめで或る日突然死する」というのが最悪の死だと考えているので、発症前以上に怠けて生きているwww
脳梗塞は一度きりとは限らず、何度でも起こるし、おそらく脳梗塞を起こしやすい生活習慣というのがあると思う。それが、博士が書いている「デスクワーク」ではないか。博士が言うように、「エコノミー症候群」とデスクワークは同じなのである。つまり、下肢と腰部を貫通する動脈や静脈が圧迫された状態が長時間続くわけだ。毎日パソコン作業をやるのは脳梗塞体質の人間にとって危険だということだ。
しかし、私はもともと膝が悪くて歩くのに難渋するのでウォーキングなども困難だ。何か、いい方法は無いものだろうか。

(以下引用)



みなさん、こんにちは。
さて、昨日は緊急で脳のチェックに行ってきたところ。
その数日前にパソコンでここを書いていた時、突然、両目の右半分の中に非常に見えない領域が現れて、水分補給でなんとか消滅した。
その後特になんともなかったから、一旦はこれまで通りジョギングしたりする、普通の生活に戻した。
ところが、一昨日に突如体調不良になり、右足下肢が急にしびれだした。
脳外科の医学情報には、その日から何週間以内にもう一度もっとひどいことが来ると書いてあった。そして、そのとおりに来た。
その場合は即脳外科へ行けということだったので、マニュアル通りにした。
というわけで、その日に救急車ではなく、翌日の昨日、奥さんが休日なので、奥さんに運転してもらい病院へ行き、脳や循環器の検査をしてもらったのである。
というのも、ここ阿南へ来てから25年間定期診断や精密検査のたぐいはたった一度しか受けたことがなかったからだ。
今回はいい機会だと思って緊急で行くことにしたのである。
幸い、比較的すぐに見てもらえて、MRIなども撮影できた。
これについてはまだ2週間先までにもう一度別の心臓検査があるから、また全てが終わって完了した後に、いい機会だからメモしておきたいと思う。
まあ、そんなわけで、先に言っておくと、私もすでに還暦過ぎて3年。
いつマラドーナの後を追っても良い。スーちゃんのいる世界へ逝っても良い年齢だということ。
だから、いつこのサイトが突如更新が途絶えるということになってもあしからずだということだ。
そろそろもっと若い別の人のサイトへ移るべきかもナ。
私の家族や身内にはすでにそういうことも言っている。
だから、スーさんのように、生前に自分が身内に言っておきたい残すべき言葉を動画にしておくというのも面白いかも知れないなとも思う。
ところで、もしこのサイトがそういうふうにして更新が途絶えた場合、どうなるか?
というと、おそらく、私が何もしなかった場合は、徐々に記事が消えていく。
というのは、エキサイトの規約では、サイト運営者の更新がなくなると、何年かして徐々に更新のない記事やサイトを消去していくらしい。
つまり、幽霊ブログは消える。
あるいは、私の場合は、サイト運営後継者はいないので、私が死す前にこれを消す。このいずれかだろうと思うナア。
というわけで、重要だと思う記事は自分で保管するか、覚えるか、何らかの手立てを打つべきだろう。これは他のサイトにも言える。
思い出せば、飯山一郎さんも真夏の炎天下に突然死した。彼の場合は、サイト相続者がいた。
だれだって、いつかこの世界を去る時が来る。
それが早いか遅いかの違いに過ぎない。
人は生きている状態か死んでいる状態かのいずれしかない。
ここにシューレーディンガーの猫のジレンマ通じない。
なぜなら、その人自身がずっと観測を続けているからだ。
幸い、今回の急性の一過性の脳梗塞からは、逃れることが出来たらしい。水分補給が急務。
おそらく、日に何時間も椅子に座り続けたことが原因で、エコノミー症候群のような状態になり、不整脈が現れて、その時に心臓から血栓ができて、それが首か脳に飛んだのだと思う。
こういう場合の注意は、飛行機に乗っていると全く同じ。
30分おきに手足の体操するとか、運動するとか、散歩するとか、そういうことをしながら長時間労働を行うべきだということになる。
こういうことは実によくある。特に、いまのように、季節の変わり目で、その季節の変わり目でも、寒い方から温かい方へ変わる場合に多い。
なぜなら、自律神経の交感神経と副交感神経の働きが切り替わりが起こる時期で、この時期に精神の不調や体調不良を起こす確率がますからである。
ひょっとしたら、俺のこの世の役割というのは、
実は311をモニターして記録する係だったとか、
ニコラ・テスラを世に引き戻す役割だったとか、
いまの妻と出会って妻の助けになって妻を長生きさせることだったとか、
自分が予期しなかったことがそうだったという可能性もあるわけですナ。
自分自身はずっと理論物理学者だと思っていたが、本当のお役目は別だったとかナ。
どうやら、キャンディーズのミキさんとどこかで出会って幸せになることではなかった。
その意味では、そういう本も出しておいたことは幸運だったと思うべきだろう。
そういう日はいつか必ず俺にも来る。俺の番も来るわけだ。
いつだとは断言できないが、昔のようにずっと先。長いということはない。
長くても地球が太陽の周りを20周ほどするうちだろう。
私が座右の銘としている言葉
明日死ぬと思って今日生きよ、永遠に生きると思って学べ。マハトマ・ガンジー
俺の戒めの言葉
無知は犯罪だ
これを皆さんに送っておこう。
まあ、いまのところは、なんとか復活し、いまは問題ないのでご安心を。死んでからではこういうことはメモできないので、一応一種の「動議」のようなものとして、メモさせていただいた。あしからず。
では、みなさんのご健康とご長寿を心より祈願しております。
弥栄!



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季節工(県外派遣社員)の実態

私も20代後半に会社が倒産して失業し、県外へ季節工として働きに出たことがある。その当時は、まだ派遣社員が一般化していなかったので、それを利用した下の記事のような「詐欺行為」「犯罪行為」は(私に関しては)無かったが、季節工という仕事が、一見楽なように見えて体に障害を起こす可能性が高いものだということはその時体験した。だから、正社員にはやらせないのだろう。

(以下引用)

身ひとつで、知らない土地で働くには寮付き派遣しかなかった。ただ当時のシュウゴさんは夢や期待のほうが大きかった。「学歴も、職歴もない自分に飛行機代も出してくれる、住まいも用意してくれる。入社祝い金やクオカードももらえる。寮付き派遣って、いいことずくめじゃないか」。

「寮付き派遣あるある」の実態

しかし、実際の派遣労働は期待外れの連続だった。沖縄を出る前は時給1600円と聞いていたのに、現地に着くと「今その仕事の空きはない。時給1250円の仕事ならある」と説明された。ただ、どちらの時給の仕事も業務内容は同じだという。

納得できなかったが、いまさら沖縄に戻るわけにもいかず、やむなく時給1250円で働いた。その後、何度か派遣先は変わったが、事前の約束より時給が下がることはあっても、上がることはなかった。

派遣元会社が用意する寮の家賃も割高だった。寮といっても、派遣元会社が借り上げた民間アパート。あるとき、築40年以上の木造アパートで毎月約8万円の寮費を引かれたことがある。高すぎると感じ、不動産会社に直接問い合わせたところ、実際には家賃5万円ほどの物件であることがわかったのだという。

シュウゴさんに言わせると、派遣元会社が相場より高い寮費を取るのは「寮付き派遣あるある」。残業の有無にもよるが、収入は手取りで月18万円ほどで、昇給もボーナスもない。揚げ句の果ての仕打ちが労災隠しである。

文学における哲学派と科学派

谷崎潤一郎の「『つゆのあとさき』を読む」の冒頭に、

「(露伴)氏の哲学的な、主観的な作風は、夙(つと)に紅葉の客観的な作風に対立していたものであった」

という文章がある。
この中の「哲学的な、主観的な」という部分は、「哲学的」と「主観的」は表裏一体である、あるいはほぼ同義である、という意味かと思われ、私には非常に興味深いが、ここでは論じない。

露伴の作風を「哲学的、主観的」と道破したのは慧眼だと思うが、これは他の評論家や作家などで誰か同じことを言った人はいるのだろうか。露伴の作品は話の筋と脱線部分の境が曖昧で、小説なのか随筆なのか分からないが、読んでいると「菊を採る東籬のもと、悠然南山を見る」という気分になり、それは漱石の初期作品に感じる「俳味」に近い。いわゆる「高踏的」な境地だろうか。

紅葉らの「自然主義」が、「客観的作風」で、それが露伴の「哲学的、主観的」な作風と対立するなら、自然主義とは「科学的」作風と言えるのではないか。つまり、人間や社会を科学的な目で見ようという姿勢だ。それは「理想ではなく現実を見る」姿勢であるから、その作品内容は「間違っている」という批判はしにくい。しかし、「理想を欠いていて、醜い」ことは確かである。その醜さを「社会の鏡」として偽善的な世間に叩きつけたことに大きな意味はあるが、作品そのものとしては「読んでいて楽しくない」のは確かだろう。勉強として、あるいは教科書を読むのが好きな人間のためには意義はあるだろうが、それが「文学」の本道かどうか。私はむしろ「物語性や娯楽性の強い大衆小説」こそが、文学の本道を歩んでいるのではないかと思う。

ただし、小説というのは、どんなことを書いても小説にはなる、というのが最大の特長なのであるから、本道以外の作風が無意味であるわけではけっしてない。

「絶望」について

木田元によれば、キルケゴールは

1:絶望は死に至る病である。
2:絶望とは自己分裂にほかならない。
3:自己とは可能性と必然性の統合である。
4:必然性を忘れ抽象的な可能性にばかり溺れると「可能性の絶望」を病む。
5:いっさいの夢を失い、すべては必然とあきらめ、日常性に埋没して生きるのは「必然性の絶望」を病むことである。
6:絶望できること、自己分裂しうることは人間の特権であり優越性である。

と言っているらしい。

この中で、「絶望とは自己分裂にほかならない」というのが最初意味が分からなかったが、こうして書いていると、理解できたように思う。これは3「自己とは可能性と必然性の統合である」に基づいているのだろう。つまり、自己分裂とは「自己の可能性と必然性の間で自分自身が分裂する」ということかと思う。「自分自身が分裂する」とは、要するに「答えが分からず、精神が混迷すること」と言い換えれば、これは青年期には誰でも経験することだ。
しかし、封建時代の百姓は、あるいは侍でも誰でも、この種の精神の混迷を経験しなかったはずだ。つまり、これは近代の病なのである。それは、近代が人間にその「可能性」を教えたからであり、それまでの人間は「必然性」の中で生きてきたのである。百姓は百姓として、侍は侍として、自分に定められた役割(人生行路)をそのまま受け入れたはずだ。そこには定められた役割以外の「可能性」は無いのである。だから、悩むこともない。悩むのは「可能性があるから」ということになる。
同じキルケゴールの著書の題名を借りれば、「あれかこれか」という選択可能性こそが人間を自己分裂に追いやるわけだ。
したがって、6「絶望できること、自己分裂しうることは人間の特権であり優越性である」とは、近代の人間の優越性を誇示した、あるいは哲学者の自惚れの言葉と言っていいかと思う。

念のために「絶望」を定義すれば、当然「希望が絶たれること」だろう。絶望の大前提は希望が存在したことである。それがたとえ空想にすぎなくとも、希望がまず存在し、その希望が絶たれた時に人間は絶望する。それがはたして人間の優越性を示すものかどうかは私は分からない。まあ、その絶望から新たな一歩を踏み出す契機になった場合にのみ、その絶望には意義があったとしか言えないのではないか。
それより大事なのは、「まず希望がそこにあった」ことではないか。その希望は、たとえそれがただの妄想でも、絶望に終わっても、はたして無意義だろうか。

ある女性にまったく無関心な状態でその女性を見ても、人(男)は何も特別に感じない。その女性に恋愛感情を持った時に、その女性は彼にとって「特別な存在」になるのである。そこに様々な希望(願望)が当然生じる。その希望が完全に絶たれた時に彼は絶望する。
さて、この経験は大きな不幸かもしれないが、不幸なだけだろうか。
彼がその女性を思って様々な希望を抱いていた間、彼はこの上ない至福の時を過ごし、あるいはそれは彼の一生のその他の時間を上回る価値を持っていたかもしれない。それが単なる妄想だとしても、その妄想は実際にその他の現実人生の時間より価値があったのかもしれないのである。






政治家の資質

私はこの事件の詳しい内容を知らないし、ニュース記事のタイトルなどで知った範囲でしか判断できないが、池田市長というのは相当に陰湿な人間であることは分かった。
執務室にサウナを置こうがベッドを置こうがいいではないか。「公務の都合で家に戻れない時に必要だ」と言えば、それで終わる話だ。ケネディなど、執務室の後ろに秘密部屋があって、そこでハリウッドの有名女優などたちと性行為をしたという話もあるwww 政治家はその政治が人民の利益になるかどうかで判断されるべきで、一般人のせせこましいモラルで政治家としての是非を問うべきではない。しかし、嘘をつくことだけはダメだ。政治家が嘘をつくなら、人民は何を根拠に投票すればいいのか。
池田市長のような陰湿さも、「一事が万事」と見るのが自然だろう。こういう人物を地方政治のトップに置いて、その地方社会が健全なものになるとは思えない。 
「このサウナの件が市民に不快感を与えたならお詫びします」で済む話を、誰がマスコミに垂れ込んだ、と犯人捜しをする、その人格が気持ち悪い。


(以下引用)

 
 
 
大阪府池田市の冨田裕樹市長=平川義之撮影© 毎日新聞 提供 大阪府池田市の冨田裕樹市長=平川義之撮影

 大阪府池田市の冨田裕樹市長が市役所内に家庭用サウナを持ち込んで使用していた問題で、発覚の端緒となった情報をマスコミに流したのは誰かという“犯人捜し”が市長側主導でされていた様子が12日明らかになった。この日の市議会百条委で関係者が証言した。情報を流したと疑われた職員は、市長の後援会長から電話で「市長ともども、あなたが情報提供者であると確信している」「『違う』と言い続けても、告訴などで元の生活に戻れない可能性もある」などと言われ「強く恐怖を感じた」と心情を吐露した。【三角真理】

 この日、元平修治副市長、秘書課職員らが証人喚問された。

 証言などによると、2020年10月にサウナ問題が報道された数日後、副市長が市長から「(情報を流した人物は)秘書課職員でしょう」と言われ、確かめることを指示されたという。副市長が、その職員に聞いたところ「違う」と否定したので、そのままを市長に伝えたが、「もう一度確認するように」と言われ、次は後援会長を交えて聞くことも指示されたという。副市長は「私は元々“犯人捜し”は拒んでおり、職員を信じていた」「私は再確認する必要はないと思った」と当時の心境を証言。しかし市長は納得せず「状況証拠から秘書課職員でしかない」と言ったため、副市長は「『その気になれば誰でも(控室を撮影することは)できるんじゃないか』とも言った」と市長に抵抗したことも明かした。

「情報提供者であったらよかったのに」

 「再確認」となった10月29日のことについて、副市長とともに後援会長の事務所に行った職員は、「ざっくばらんにお話をする場です」などと言われ、A3判の契約書を見せられ、「内容を確認してサインと母印を押してください」と「秘密保持契約」を結ばされたと証言。職員は内心、「この契約は何なのか? なんでここまでやらないといけないのか?」と思ったが「これ以上嫌な思いをしたくない」とよぎり「締結せざるを得ないと思った」と話した。だが「秘密保持」の「秘密」とは何を指すのか定義がなかったため「唯一私を縛るのは『この契約書の存在を言ってはいけない』ということか」と自分なりに解釈したことを述べた。

 その際、職員は改めて「情報提供者ではない」と言ったが、後援会長から「(あなたが)情報提供者であったらよかったのに」「課長になりたいなら……」などの言葉も出たという。その場に同席していた副市長はこれらの言葉を聞いた時、「それ、どういう意味や? 逆らわずに事態が収まったらこれで終わるのに、ということか。何、言うてんねん? そうなれば、彼(職員)を問い詰めるやろ? 不思議な話やと思った」と述べた。

 職員はこの日、前回3月4日の百条委で「市長が、契約書の存在を『知っている』と聞いてびっくりした」と怒りを交えて述べた。口外してはいけないと結んだはずの契約について漏れていたことが分かり、「だまされたのかと思った」と強い口調になった。さらに百条委で、市長によるパワーハラスメントの有無について「市長はあんなにはっきりと『私はしていない』と言った。周囲から『あんなうそを許していいんか』と言われました。ハラスメントはありました。そのことは伝えたい」と憤りと悔しさで言葉を詰まらせる場面もあった。次回の百条委は25日に開かれる。