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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

一刀両断

「はてな匿名ダイアリー」記事で、このスレッドでコメントが500くらいついている異常なスレだが、無数のコメントをたった一言で撃破したコメントが面白いので、それを、少し間隔を開けて載せる。そのコメントが予測できたら偉い。

(以下引用)

2025-03-05

エンジニアってなんか性格悪い人多くね?

WEBページ制作進行兼営業仕事をしている

クライアントから「こういうWEBページを作りたい」「このまえ作ってもらったWEBページのここを直したい」といった要望を聞き、これを取りまとめてエンジニアデザイナー発注、納品されたものクライアントに渡すという仕事

で、この仕事をやっていて思うんだけどエンジニアって性格終わってる人多くね?

営業WEBデザイナーといった他業種にはない独特の性格の悪さがあると思う

エンジニア連中は頑固で融通が利かないしものの言い方が高圧的

心理的安全性?なにそれ?」ってレベル言葉遣いしまくってくる

一方で社内のデザイナーさんの方はそんなことないんだよな

一体この差はなんなんだろう

最近あった具体例だと中途で入った新人さんが初発注するとき

一応規定テンプレートに沿って発注書を作ったんだが受け持った案件ちょっと特殊であることがあとからわかって、仕様を詰められていない箇所があった

で、発注後にエンジニアの統括がチャット

お疲れ様です。

先程いただいた発注書について確認をお願いいたします。

資料〇〇ページの〇〇の部分について〇〇が不足してます

資料〇〇ページの××について〜〜を定義してください

(以下箇条書き10数個)

言葉ですが最終チェックはされましたでしょうか?

エンジニアチームとしては上記指摘箇所が解消されないと業務を始められません。

よろしくお願いいたします。



これくらいのことを送ってきやがった

名指しで送られてきたものから新人さんもパニックで「すみませんなんか〇〇さんが怒ってます!」って泣きついてくるし、何ならエンジニアチームに苦手意識を植え付けられた感じだった

流石にあまりにもな文面だったから後ほど個別チャットで「新人さんに対してあの文面はないでしょう「もうちょっと配慮してよ、新人さん怖がるよ」「せっかく入ってきた新人を潰したいのか」って内容をきちんとした丁寧語に直して送信したら、

ご指摘いただいた件ですが、開発部としては営業部の教育には関知できません。

先の文面についても仕様漏れを指摘しただけで特に問題ない認識です。

〇〇(新人名前)さんに対して必要フィードバックがあれば営業からお願いいたしま


って回答になってない回答を寄こしてきやがる

とにかく話が通じない

ちょっとでも情緒的な事情が入ってくるとこちらをシャットアウトしてくるんだよな

これが仮にデザイナーチームへの発注だったらそんなことはないんだよ

きっとチャットで「すいません〜確認したいことがあるので席伺ってもいいですか?」ってきてから口頭で「いや〜今回作るのって仕様特殊なのでこのあたりの情報が欲しいんですよね〜」「すみませんがここだけ情報追記お願いできますか?」「新人さんなのにすごいめんどい案件受け持っちゃいましたねw」「追加の情報いただいたら次営業日には仮バージョン上げられます!」「頑張ってくださいね!」くらいのにこやかなコミュニケーションはしてくれただろう

(っていうか過去そうやって似たような案件フォローしてくれた実績がある)

こんな調子から社内においてエンジニアチームに対しては割と腫れ物を触るような対応になっている

何なら他部門と若干敵対しているような空気さえ流れているんだよな、同じ会社メンバーなのに

どうにもうちのエンジニア自分たち仕事定期テスト問題を解くようなものだと思っている節がある

問題文に不備があれば「せんせー!ここ間違ってます!」「なんでまちがってるんですか!ここ重要なんですけど!」「次からちゃんとしてくださいよ!」って野次ってくる感じ

社会人仕事ってそもそも問題作成のところから相互に協力し合って解決するものじゃない?違うの?

どこの会社エンジニアってこんなもんなのかな

なんか最近は嫌なことがありすぎてエンジニアの連中を同じ人間とは思えなくなってきてるんだけど

こういうの全体会議の機会とかに指摘したほうがいいのかなぁと悩み始めているよ

追記

10数カ所も指摘されるような発注書作ってるのが悪い!」みたいなこと言ってる人がいたので補足

本文に書いてある通りなんだけど新人さんが請け負った仕事特別対応必要もので、発注書も特別仕様の物を使わなきゃいけなかった

それを通常の仕様のもので送っちゃったってだけのことなのにネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチその通常の発注書にはなくて特別仕様発注書にはある項目を指摘してきやがったって次第なわけ

それ特別仕様のやつになります!って普通に優しく言ってくれればいいでしょって話

いずれにせよやっぱりエンジニアって人として性格終わってる人が多いってのが反応を読んでよーくわかったわ

・わざわざ高圧的な物言いをしない

・わざわざ人の神経を逆撫でるようなことを言わない

・人に対して気遣いを持って優しく接する

相手感情面に気を配る

わりとこれって社会常識というか、人と人とのコミュニケーションにおいて絶対必要なことだと思うんだけどエンジニアってそういうの欠けてるんだな

いずれにせよ他部署人間が萎縮してんのは異常な状況だと思うから今度の全体会議で議題に上げるわ









(コメント)

ディレクター含め出てくる全職種兼任してるけど、新人仕事に対して確認もしてない自分を棚上げして何言ってんだ?て話。確認してこれなら新人ではなく増田ミス。他部署人間自分仕事やらせんな



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妥当性のある古典と妥当性のない古典

どうでもいい話題なのだが、世界が、あるいは世間が過大評価をしているものを不愉快に感じるという感情は私だけのものだろうか。
孔子は「紫の朱を奪うを憎む」と言ったが、それは「より劣るものがより優れたものより評価されていることを憎む」ということである。
この手のことは電通支配の日本ではよく見ることであり、世界でも同様だろう。
一時代を画したものが、「次の新しいもの」に話題を奪われ、忘れられていくことも多いが、それはそれが過大評価されていた場合だけでなく、ほとんどの人は新しいものにしか興味を持たず、古いものを軽蔑する傾向があるからだ。
だが、それらの話題になったものの中で、大衆的要素の強いものは新しく生まれてきた大衆の俗耳にも入りやすく、しばしば懐古的に話題になり、「古典扱い」されたりする。

その事例として私は「指輪物語」を挙げたい。

正直言って、この作品を私は読んだことが無いので映画を元にして話すが、話の内容は「少しも面白くない」のである。映画自体は視覚的に面白かったが、話は少しも面白いとは思えない。とすると、原作も話は面白くないと推定できる。
それがなぜ高い評価を受けたかというと、「大学の教授が書いた」「緻密な内容の話」だからだろう。そしてファンタジー作品だから「ここがおかしい」と言うこともできない。膨大な長さの作品だと言っても、「物語自体」には何も起伏も発展性も無いのである。冒険物語にはよくある話の羅列にすぎない。「戦争と平和」や「カラマーゾフの兄弟」のような必然性があっての長さではない。そして、「高慢と偏見」のように細部がことごとく面白いという作品でもない。特に会話など、少しも面白さはないのである。
だが、一般大衆をこけ脅かしするには最適の作品だから、これは今後「大衆文学の古典」扱いされるだろう、と推定できる。



血洗島は島ではない


語源説の中の「アイヌ語由来説」はダメ説だろう。なぜ関東の地名がアイヌ語に由来するのだ。
今思いついたが、洪水で地が洗われた後に残った部分を「島」と呼んで「地洗い島」となり、いつのまにか「血洗島」と表記されたのではないか。土地の小区分を「シマ」と呼ぶのはやくざの「シマ」と同様である。

(以下引用)


血洗島(ちあらいじま)は、埼玉県深谷市にある大字および地区の名称である。市では八基地区で分類されている。郵便番号は366-0006[4]。面積は615180.118平方メートル[5]。2015年時点の国勢調査で人口は448人、世帯数は145世帯である[5]。旧榛沢郡血洗島村。「近代日本資本主義の父」と称される実業家・渋沢栄一が生誕した場所として知られている[6]

地理

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埼玉県の北部地域で[7]、深谷市の北西部に位置する[6]南北に長い地域。区域の東側を下手計や上手計、南側を町田、西側を南阿賀野や北阿賀、北側を横瀬と隣接する。また北部は横瀬を挟み河川飛び地である群馬県伊勢崎市境島村が近傍に位置する。地区中央部を清水川が東西に流れる。全域が利根川小山川に挟まれた後背地沿いの沖積平野部に属していて起伏は一切無い。地内は畑などの農地が広がり蔬菜栽培が盛んであるなど、農業的土地利用の比重が高い地域である。なお、地名に「島」という字があるがではない。

地名の由来

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渋沢栄一が『龍門雑誌』で載せた談話では、赤城の山霊が他の山霊と戦った際に片腕を拉がれ、その傷口をこの地で洗ったことに由来するといったおどろおどろしい説を紹介しているが[21]、他にも、この地がもともとアイヌ語で「ケシ、ケセン、ケッセン」という音の言葉(日本語で言えばや末端という意味の言葉)で呼ばれていて、その音をあらわす当て字として漢字の「気仙」や「血洗」を使ったから、「ちあらい」と読むとする憶測(一種の誤読)が生じたとする説[21](付近を流れる「とねがわ」の「トネ」という音も、アイヌ語で「長い」という意味という説がある[21]。隣村の「手計村(はかむら)」の「はか」も、もとはアイヌ語の「ハケ」(崖という意味の言葉)で、音を表記する当て字が「手計」で、それが「ハカ」と読まれるようになったとする説もある[21]。)

他にも、昔この地域で合戦があり、戦場で負傷して片手を失った家臣が切り落とされた片手を洗ったため、血洗島という名前になったという説[21]など様々な説がある。また、3番目の説で挙げた家臣の手を葬った墓は手墓と呼ばれているという伝説もあった[21]

陸地にあり島でもないのに地名に「島」という言葉が含まれる理由は、もともとこの地域一帯は利根川南岸の氾濫原(洪水が起きやすく、しばしば水没する平原)の中にあり、「四瀬八島」と呼ばれている場所がある(4の、8の島。中瀬・横瀬、内ヶ島・西島など)ということに由来する[21]

ゲイとホモとオカマ(とオネエ)の違い

一生知らなくてもいい知識だが、何であれ、自分の知らない言葉が流通しているのが不愉快な人(私のような人間)のために、異常性癖の当事者の書いた記事を転載する。まあ、これらを異常性癖と言うこと自体が差別になるような時代なので、厄介だ。つまり、話題にすることすら困難な話なのである。
まあ、私自身、読んだ次の瞬間には忘れているような話題だ。
読んでも、オネエとドラアグクイーンの区別がよく分からないし、区別する必要があるのかどうかもよく分からない。つまり、「仕草」だけか、「女装」するかの違いか?

そして、要するにゲイとホモは同じだ、ということになるのではないか? 猿と言うかエテ公と言うかの違いのようなものだろう。ホモが差別語なら明治ホモ牛乳は風呂屋に置けないだろう。(ふ、古いwww) 
英語には「ホモ」は同一性を表す語頭として単語がたくさんあったと思う。そもそも人類はホモサピエンスだからすべてホモなのだ、と言ってもいいww それとも、ホモは差別語だからレズサピエンスにするか?

(以下引用)

ゲイとホモと、オカマとオネエの違い

分かりづらいのがゲイとホモとオカマの違いではないでしょうか。実はとても大きな違いがあります。

性に関しては

  1. 身体的性(生まれた時に割り当てられた性別)
  2. 性自認(自分が考える自分の性別)
  3. 性的指向(どういった性別に性的魅力を感じるのか)
  4. 恋愛的指向(どういった性別に対して恋愛感情を抱くのか)
  5. 性表現(服装や言葉遣いなどの表現)

の5つの項目から構成されていると言われ、この観点から考えるとわかりやすいです。

ゲイ

冒頭の方でも書いたとおり、ゲイというのは主に男性の同性愛者のことを言います。

性自認が男性で、性的指向や恋愛的指向が男性の方を男性同性愛者(ゲイ)と言うことができます。

ホモ

ホモというのは男性同性愛者の『差別的な表現』になります。当事者同士がゲイをホモというのは問題になることは少ないと思いますが、当事者以外がゲイをホモと表現する場合には差別的な意味を含んでしまうので注意が必要です。

当事者以外の方はなるべく、ホモという言葉を使うのではなくゲイという言葉を使うようにしましょう。中にはゲイという言葉よりも、ホモという言葉の方がフランクに感じて良いという方もいらっしゃるようです。でも、多くはないので、ゲイという言葉を使った方が良いかと思います。

オカマ

オカマとは元々、肛門を意味する江戸時代の俗語で、お尻を使い性的な行為をすることもある女装男娼を指す言葉です。(参考:Wikipedia

現代においては『女性的な男性同性愛者、オネエ言葉を使う方、女装趣味の方などに使われることが多い言葉』となっています。『オカマという言葉は基本的には差別的な表現』なので、当事者同士が使うのであれば問題になることは少ないと思いますが、非当事者が使うと当事者に対してネガティブな印象を与えてしまうことがあるので注意してください。

ホモというのはゲイ男性の差別的な表現に対して『オカマという言葉は同性愛者、非同性愛者に関わらず女性的な男性に対して使われることがある蔑称』かと思います。

オネエ

オネエというのは、オネエ言葉を使ったり『女性的な仕草をする女性的なゲイのこと』です。2006年に日本テレビ系「おネエMANS」が始まった頃から、オネエの解釈が拡大されて、メディアを中心にゲイと同じ意味で使われることが多くなってきました。(参考:Wikipedia

メディアでも多く使われていることから、差別的な意味は含まないと思いますが、ゲイの多くは自身をオネエとは認識しておらず、オネエと言われることに抵抗がある人が多い印象を受けます。かくいう僕自身も「オネエ系?」と言われると、非常に気持ち悪いなと感じます。ゲイは、自身を男性として認識しているので、オネエ(お姉)という本来女性に対して使う言葉を使われるのは、決して気持ちが良いものではないでしょう。

オネエという言葉は、決して差別的な表現ではないとは思いますが、当事者の視点から言うと、正直あまり良い言葉でないように思います。意外にも、ホモやオカマといった言葉以上に扱いが難しい言葉かもしれません。あまり使用しない方が良いかと思います。

女装家・ドラァグクイーン

ドラァグクイーン(英: drag queen)は、女装をして行うパフォーマンスの一種で、女装パフォーマーを指します。その名前は、衣装の裾を引き摺る(drag)ことから来ています。ドラァグクイーンはもともと男性の同性愛者が性的指向の違いを超えるために、ドレスやハイヒールなど派手な衣裳に厚化粧で大仰な応対をすることで、男性が理想像として求める「女性の性」を過剰に演出したことが起源とされています。サブカルチャーとしてのゲイ文化の一環として生まれた異性装の1つであり、多くのドラァグクイーンは男性の同性愛者や両性愛者ですが、近年では男性の異性愛者や女性がドラァグクイーンとして活動することもあります。

ドラァグクイーンは「女性のパロディ」あるいは「女性の性表現を遊ぶ」ことを目的としており、トランスジェンダー女性が女性用衣服を着用することとは異なります。ロシアではドラァグクイーンを規制する法律の罰則を厳しくする動きもあります。

日本においては、歌舞伎の女形の伝統があり、古くから男性が女装して人前で芸を披露する文化が存在していました。近年では、マツコ・デラックスやミッツ・マングローブなどがメディアで活躍し、ドラァグクイーンがより広く認知されるようになっています。

1行で分かる「論語(儒教)」の真髄

論語(儒教)の真髄は「」と「忠恕」で済む。

後は、漢和辞書を引いて、この2語の意味を理解すればいいだけだ。


一応、解説する。
「仁」とは「博愛(を衆に及ぼすこと)」である。
「忠恕」とは、「忠」が「まごころ」の意味、「恕」が「まごころに従って行動すること」である。厳密には「恕」単独だと「心に従うこと(心の如し)」だが、上の「忠」が真心(中正なこころ)を意味するので、「忠恕」で真心に従う生き方を意味する。だから「論語」では「夫子(孔子)の道は忠恕のみ」と言っているのである。その真心の具体的内容が「仁」である。漢字の成り立ちは「人が二人いること」であり、いわば社会の最小単位だ。その二人がいさかえば、この世は地獄になり、愛しあえば天国になる。後者を「仁」と言う。つまり、社会全体で言えば「博愛」である。


(追記)フロイトの「幻想の未来」の中にこういう一節がある。

「知性の優位が実現するのは、はるか遠い未来のことかもしれないが、無限に遠い先のことではないだろう。そしてこの知性の優位が目的とするのは、キリスト教の神に期待するものと異なるものではないのであるーーもちろん宗教的にではなく、人間にふさわしい形で、外的な現実が、運命が許すかぎりにおいてということだが、その目的とは、隣人愛であり、苦悩の軽減である。」