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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

「失敗」を許さない社会

人間は自分の存在を否定されるのが一番辛い。それは人間が自己愛の塊だからだ。自己愛とは生物的な自己保存本能と同じもので頭から否定すべきものではない。ナルシシズムはその過度なものにすぎず、誰にでもその要素自体はある。
で、下のツィートにあるように、何かを言った後に相手から「何で?」と問い返されるのは、「私はお前の言説を許容できない」と言われたわけであり、それは発言者自身の存在の否定に等しいわけである。だから、議論(ディベート)の上手い人間は、相手の言った内容を絶対に肯定しないか、どうでもいい部分しか肯定しないはずである。そして、「何で?」を繰り返し、相手を追い詰める。社会事象のすべての事柄は、正確さに欠けるのであり、それを「説明」するのは困難なので、どんどん窮地に追い込まれる。誠実な人間ほどディベートでは負けるという、理不尽なことが起きるのである。
もちろん、原則的には原因究明と糾弾は別のことだが、実生活ではだいたい「何で?」は相手を追い詰める糾弾の言葉になっていることが多いはずだ。山本氏も、その認識の上に立って、親や教師が子供を追い詰める行為を批判しているのだろう。
失敗を許さない社会が子供を委縮させ、卑怯な人間や嘘つきを常に再生産していく。



「なぜあなたはその行動をとったのか」を一種の糾弾だと早合点するのは、成長過程でその言葉をそういう意味で使う親や教師の影響が多いと思う。子どもはそれを真似するので子どもも使うが、そもそも原因究明と糾弾は別のこと。

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