孤独であることの意義
市民図書館から借りる本の中で、私は子供向けの本を借りることがよくある。ここで紹介するのは「学研まんがNEW世界の歴史」の「6 ルネサンスと大航海時代」である。特に、この巻のまんがを描いた「城爪草」という人の絵が素晴らしい。かなりリアリズム寄りの漫画で、劇画に近いが、劇画のような「線の乱暴さ」は無い。端正である。中でも、「ルネサンスと三大巨匠」の回は、漫画の中でダビンチ(本の中ではレオナルド。まあ、ダ・ヴィンチとは、「ヴィンチ村の」の意味だろうが、「ダビンチ」としておく)、ミケランジェロ、ラファエロの作品を描いていて、それが素晴らしい画力である。もちろん、漫画の一部としての絵画や彫刻なのだが、実物の印象を見事に表現しているのである。この巻を子供のころに見ることができた人は幸せだ。
なお、この本の中に、ダビンチの言葉が書かれていて、それは
「家は孤独でなければならない。なぜなら、ひとりなら完全に自分自身になることができるからだ。たったひとりの道づれでもいれば、半分しか自分ではなくなる」
というもので、これは芸術家を志す者、芸術的完成を生涯の目標とする者にとっての金言であるだけでなく、ごく普通の「結婚できない人間」への金言でもある。つまり、孤独であることは不幸でも何でもない、むしろ、「常に自分自身でいられる」恵まれた状態だ、ということだ。
念のために言えば、私は結婚していて、それを後悔したことはない。しかし、孤独も愛している。
なお、この本の中に、ダビンチの言葉が書かれていて、それは
「家は孤独でなければならない。なぜなら、ひとりなら完全に自分自身になることができるからだ。たったひとりの道づれでもいれば、半分しか自分ではなくなる」
というもので、これは芸術家を志す者、芸術的完成を生涯の目標とする者にとっての金言であるだけでなく、ごく普通の「結婚できない人間」への金言でもある。つまり、孤独であることは不幸でも何でもない、むしろ、「常に自分自身でいられる」恵まれた状態だ、ということだ。
念のために言えば、私は結婚していて、それを後悔したことはない。しかし、孤独も愛している。
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