人は社会と隔絶して生きられるか
「東海アマ」ブログから転載。前半の他記事引用部分は省略。
僻地での、極貧の一人暮らしの有様が、細かい収支決算付きで書かれていて興味深い。
これほどの極貧生活ではないが、私も「病院に行かない」覚悟をしている。まあ、要するに病院と喧嘩したのである。地元の病院の紹介で行った病院と喧嘩して、地元の病院に戻ると、「紹介状無しでは診察できない」と断られたわけだ。まあ、「紹介状」云々は医療業界の仁義というものだろう。
今後は、大病しても病院には行けない、という覚悟だが、もともと認知症になるまで生きたいとも思っていないから、重病をしたら、その時はその時だ。べつに摂生もしないが不摂生もしないで、死ぬまで生きればいいだけである。
病院に頼れない、というのは現代社会では最大の「社会との隔絶」だろうが、江戸時代くらいまではそれが普通だったのであり、今のように個人が医療組織と強固に結びついている(ほとんど生殺与奪の権を奪われている)状態のほうが異常なのだ、くらいに思っている。
(以下引用)
私も、上に紹介した人ほどの質素で節約的なライフスタイルを実行しているわけではないが、5万円以下の年金に合わせたライフスタイルを模索している。
大都会暮らしの人に、田舎暮らし17年の経験から言いたいことは、「過疎の田舎暮らしは安く上がる」ということだ。
もちろん、高級レストランや映画鑑賞などの贅沢は一切できない。遠いので行く気もしない。
最大の贅沢が、週に一二回行く喫茶店で、コーヒー一杯400円、8キロほど離れていて、徒歩では無理があるのが辛いところだが、20キロ離れたスーパーやドラッグストアに買い物に行くついでに立ち寄って、週刊誌などで情報を収集することにしている。
スーパーでは、値引き品を買うことが多い。低年金の老人たちは、19時を回ると、半額値引きサービスが始まるので、この時間帯は、老人たちがたくさん寄ってくる。
半額の弁当をたくさん買い込んで、数日間も食べ続けることが多いという。
私は、原則自炊で、米は地元米で10キロ4000円程度と結構高いので、安売りのインスタント食品を食べることも多い。
外食したくとも、一番近いのが8キロ離れた喫茶店で、千円札が軽く飛んでゆくので、コーヒー以外を注文することはない。そういえば、大好きだった焼き鳥屋などの居酒屋は、もう20年近く行っていない。
たまに我慢できなくなって、スーパーで焼き鳥と、「信長鬼ころし」という2リットル900円の安酒を買って熱燗にして楽しむ程度。肝硬変になったので深酒はできない。
野菜は、地元産の直売所がたくさんあって、どこでも朝取れ野菜が安く買える。
私の場合、何に一番金がかかるかというと、上の記事にあるように、やはり車だ。
しかし、山奥の坂道だらけの過疎地で、車なしで生活するのは無理がある。
凍結地帯なので、スズキアルト4駆を使っている。リッター23キロ走るが、週一名古屋に行く用事があるので、燃料代は月に1万円くらいかかる。
車検代が2年で8万円程度、税金が年間7200円、対人対物保険が年間4万円程度、結局、維持費は年間9万円程度、月割りで7500円前後かかってしまう。プラス燃料代だ。
次に高くつくのは、インターネットで、NTT西日本に月あたり6000円強支払っている。経済的困窮が進むとき、最初に切り捨てるのが、ネット環境ということになる。ガラゲーからスマホに変えたら毎月4300円程度支払うので、併せて1万円になってしまう。
もう、これだけで毎月3万円近い支出なので、残りを2万円以下でまとめないと破産することになる。
読者にあっては、私のブログが消えたときは、生活費節約のためネット環境が失われたとご理解いただきたい。
都会暮らしで一番金がかかるのが借家の家賃だ。
私は、自分で製作した100万円のキットハウスで、家賃がかからないのが一番助かっている。ただ、EM菌を使った完全自己完結型浄化槽システムを二カ所で自作し、経験を重ねながら研究しているので、この維持費が、毎月数千円と馬鹿にならない。
冷暖房代は、マイナス10度にもなる内陸の寒冷地でありながら、真夏は40度近くなるので、結構かかる。エアコン暖房を使うと電気代が月に1万円を超えるので、原則使わない。夏場の冷房は、新型エアコンに変えたので、昨年、3000円程度ですんだ。
灯油は、ファンヒータを使うと、週に18リットル使ってしまう。毎月6000円だ。
すると残額は1万円弱しか残らず、これで一ヶ月分の食費を賄わねばならないので、必然的に質素なものになる。一日の食費は300~500円程度だが、自炊していると、これでも、そこそこ食べてゆける。
しかし5万円では収まらないので、差額を貯金から支出することになるが、預金通帳残高は日に日に心細いものになってゆく。
たとえ健保があっても、病院に行けるほどの金はないので、腸閉塞や尿管結石も自分で治した。現在、たくさんの病気を抱えているが、最後は諦観の域に達するしかない。田舎暮らしは、誰にも頼らない最期の覚悟が必要なのだ。
(以下略)
僻地での、極貧の一人暮らしの有様が、細かい収支決算付きで書かれていて興味深い。
これほどの極貧生活ではないが、私も「病院に行かない」覚悟をしている。まあ、要するに病院と喧嘩したのである。地元の病院の紹介で行った病院と喧嘩して、地元の病院に戻ると、「紹介状無しでは診察できない」と断られたわけだ。まあ、「紹介状」云々は医療業界の仁義というものだろう。
今後は、大病しても病院には行けない、という覚悟だが、もともと認知症になるまで生きたいとも思っていないから、重病をしたら、その時はその時だ。べつに摂生もしないが不摂生もしないで、死ぬまで生きればいいだけである。
病院に頼れない、というのは現代社会では最大の「社会との隔絶」だろうが、江戸時代くらいまではそれが普通だったのであり、今のように個人が医療組織と強固に結びついている(ほとんど生殺与奪の権を奪われている)状態のほうが異常なのだ、くらいに思っている。
(以下引用)
私も、上に紹介した人ほどの質素で節約的なライフスタイルを実行しているわけではないが、5万円以下の年金に合わせたライフスタイルを模索している。
大都会暮らしの人に、田舎暮らし17年の経験から言いたいことは、「過疎の田舎暮らしは安く上がる」ということだ。
もちろん、高級レストランや映画鑑賞などの贅沢は一切できない。遠いので行く気もしない。
最大の贅沢が、週に一二回行く喫茶店で、コーヒー一杯400円、8キロほど離れていて、徒歩では無理があるのが辛いところだが、20キロ離れたスーパーやドラッグストアに買い物に行くついでに立ち寄って、週刊誌などで情報を収集することにしている。
スーパーでは、値引き品を買うことが多い。低年金の老人たちは、19時を回ると、半額値引きサービスが始まるので、この時間帯は、老人たちがたくさん寄ってくる。
半額の弁当をたくさん買い込んで、数日間も食べ続けることが多いという。
私は、原則自炊で、米は地元米で10キロ4000円程度と結構高いので、安売りのインスタント食品を食べることも多い。
外食したくとも、一番近いのが8キロ離れた喫茶店で、千円札が軽く飛んでゆくので、コーヒー以外を注文することはない。そういえば、大好きだった焼き鳥屋などの居酒屋は、もう20年近く行っていない。
たまに我慢できなくなって、スーパーで焼き鳥と、「信長鬼ころし」という2リットル900円の安酒を買って熱燗にして楽しむ程度。肝硬変になったので深酒はできない。
野菜は、地元産の直売所がたくさんあって、どこでも朝取れ野菜が安く買える。
私の場合、何に一番金がかかるかというと、上の記事にあるように、やはり車だ。
しかし、山奥の坂道だらけの過疎地で、車なしで生活するのは無理がある。
凍結地帯なので、スズキアルト4駆を使っている。リッター23キロ走るが、週一名古屋に行く用事があるので、燃料代は月に1万円くらいかかる。
車検代が2年で8万円程度、税金が年間7200円、対人対物保険が年間4万円程度、結局、維持費は年間9万円程度、月割りで7500円前後かかってしまう。プラス燃料代だ。
次に高くつくのは、インターネットで、NTT西日本に月あたり6000円強支払っている。経済的困窮が進むとき、最初に切り捨てるのが、ネット環境ということになる。ガラゲーからスマホに変えたら毎月4300円程度支払うので、併せて1万円になってしまう。
もう、これだけで毎月3万円近い支出なので、残りを2万円以下でまとめないと破産することになる。
読者にあっては、私のブログが消えたときは、生活費節約のためネット環境が失われたとご理解いただきたい。
都会暮らしで一番金がかかるのが借家の家賃だ。
私は、自分で製作した100万円のキットハウスで、家賃がかからないのが一番助かっている。ただ、EM菌を使った完全自己完結型浄化槽システムを二カ所で自作し、経験を重ねながら研究しているので、この維持費が、毎月数千円と馬鹿にならない。
冷暖房代は、マイナス10度にもなる内陸の寒冷地でありながら、真夏は40度近くなるので、結構かかる。エアコン暖房を使うと電気代が月に1万円を超えるので、原則使わない。夏場の冷房は、新型エアコンに変えたので、昨年、3000円程度ですんだ。
灯油は、ファンヒータを使うと、週に18リットル使ってしまう。毎月6000円だ。
すると残額は1万円弱しか残らず、これで一ヶ月分の食費を賄わねばならないので、必然的に質素なものになる。一日の食費は300~500円程度だが、自炊していると、これでも、そこそこ食べてゆける。
しかし5万円では収まらないので、差額を貯金から支出することになるが、預金通帳残高は日に日に心細いものになってゆく。
たとえ健保があっても、病院に行けるほどの金はないので、腸閉塞や尿管結石も自分で治した。現在、たくさんの病気を抱えているが、最後は諦観の域に達するしかない。田舎暮らしは、誰にも頼らない最期の覚悟が必要なのだ。
(以下略)
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