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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

恋愛の発明

仏教の特徴は「問題の要素を分類して考える」という、デカルト的思考にある。
たとえば、苦しみという問題を考えるのに「苦しみの分類」をするわけだ。
その中に「求不得苦」というのがあったと思うが、これは「求・不得・苦」で、「何かを求めて得られない苦しみ」である。
また「愛別離苦」というのがあり、これも「愛・別離・苦」で、「愛したものと別れる苦しみ」である。昔の歌謡曲に「逢うは別れの始めとは~知らぬ私じゃないけれど」という一節があるが、愛する人に出会わなかったら別れの苦しみも無いわけで、また、その人を愛さなければ別離の苦しみもないわけだ。
つまり、誰かを愛するということが無い人間は、人生の苦のひとつを最初から逃れているわけだが、人が愛したり別れたりするのは資本主義の商売の機会だから、テレビや映画は毎度毎度、つまらない惚れた腫れたのドラマを作るわけである。子供が生まれれば、また金儲けのネタになるし。
この世から恋愛が無くなったら、社会の面倒事のかなりが消えるが、それは商売の多くの消滅になり、人類の消滅になる、というわけで、「恋愛の発明」は人類の偉業だと言えないこともない。
なお、古代民族の大半は、「性欲はあるが恋愛はなく」、性欲の調節システムと子孫維持のシステムとしての婚姻制度はあった。
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日本人の「神」観念と社会秩序

単なる思い付きだが、白川静の「回思九十年」の中の対談の一部に、「人が神や死者を叱責する」話があり、そこに、日本人にとっての神や死者はやたらに崇高なものでもやたらに畏怖する対象でもなく、もっと身近な存在だったのではないか、という発想を得たのだが、いわば「となりのトトロ」である。人間でも動物でもないが、意思を通わせることが可能な不思議な存在が神や死者だったのではないか。
それは何かの禁忌を人間が犯すことで時には人間に罰を与えもし、捧げものをすることで喜びもするという「人間的感情」をもったもの、というわけだ。と同時に、キリスト教やユダヤ教のように人間が神の奴隷というわけでもない。神や死者は天国や地獄にではなくもっと、「隣りにいる存在」である。
つまり、「物の怪」と「神」、あるいは「神」と「死者」はさほど遠い存在ではない、という思想である。祖霊崇拝は、まさしく「人間が神になる」のと同義である。そして人間(死者)は幽霊にもなるのである。

そこからの思想の系として、日本人は「偉い人」を心から畏敬してはいない、という考えも生じる。神や死者でさえ「隣人」なのだから、支配者など同じ人間でしかない、というのは明白であるわけだ。
西洋や中東の絶対神思想と、支配者の絶対性というのは表裏の関係ではないだろうか。

すなわち、日本の民衆は権力者には従うが、尊敬はしない、ということだ。そうすると、「面従腹背」というのは重要な思想である、とも言えそうである。いざとなれば、どんな偉い人でも刀を振るって殺す、というのが本来の日本人だったとまで言えば大袈裟になるが、とりあえずは「利害計算で従っているだけだ」というのはむしろ日本人の「誇り」を示すものだろう。それは精神の奴隷化とは正反対なのだから。会社社長は君主ではないし、社員は奴隷(某大会社の社長は子供に「社員は犬だ」と言っているらしい。)でもない。単なる雇用関係だ。
そしてその「面従腹背」によって社会は安定し、和が保たれるのである。これこそが、「実用道徳」かもしれない。

アダム・スミスの功罪



 アダム・スミスは、重商主義を批判しました。これは16世紀末から18世紀にかけてヨーロッパの国々を支配した経済思想です。

 重商主義では、富を代表するものは金銀または「財宝」でした。これは金銀貨幣を最大に重視し、これらの増大を重視する経済政策です。「利潤を獲得すること=貨幣を増やすこと」なので、商品を安く仕入れて高く売ることで、売買の差額から貨幣が生じます。よって、利殖という点からすると、農業や工業よりも商業のほうが優位に立つと唱えられていました。

 これを獲得する唯一の手段は海外貿易しかありません。よって、富の獲得される場所は海外市場ということになります。国家は自国の生産物を海外に輸出し、海外からの輸入をできるだけ抑制し、その貿易差額を金・銀で受け取って貯め込みます。

 それには低コスト・低価格で商品を輸出しなければいけないので、労働者の賃金は低く抑えられ、長時間労働になります。

 これについて、アダム・スミスは異をとなえます。富は特権階級(金銀を重視する階級)ではなく、諸階層の人々にとっての「生活の必需品と便益品」を増すことであるというのです。つまり、自国の労働により、生産力が高くなればそれだけ富の量は増大することになります。さらに、スミスの『国富論』では、重商主義の批判から、自由放任の思想が展開されます。

「パクリ」と「著作権」

内田樹にしてはまったく嘘の無い発言で、興味深い。心底から大瀧詠一を尊敬していることが分かる。
「パクリ」問題に関しては私も大瀧派である。すべての創造は自分以前に存在した創造からのアレンジであり、著作権というのは文化の発展を阻害するものだ。

(以下引用)


大瀧詠一師匠をめぐって

2025-03-24 lundi

菅間 あと、師をめぐる、ちょっと派生的な質問になります。内田さんは、師匠は3人いるっておっしゃっていて、ひとりが哲学者・レヴィナス先生、ひとりが先ほども名前があがった合気道の多田先生、そしてもう一人が、ミュージシャン・大瀧詠一さんだと。『街場の芸術論』所収の「大瀧詠一の系譜学」は読ませていただきましたが、改めて、内田さんにとって大瀧さんはどんな存在なのか、内田さんの大瀧愛などについて伺ってみたいんです。
内田 大瀧さんというのは、僕にとっては自分の研究スタイルについての師匠なんです。大瀧さんは活字媒体じゃなくて、ラジオのDJ番組を通じて、膨大な音楽史的な知識の一端を披歴してくれた。それに対してまったく課金するということをしなかった。いかなる代償も求めず、僕たちに豊かな贈り物をしてくれたわけです。
大瀧さんは天才的な音響記憶の持ち主でした。たぶん一回聴いたメロディはほぼ再生できるんじゃないかな。映画評論家の町山智浩さんの場合は画像記憶ですね。一回観た映画はどんな細部まで記憶している。
菅間 談志も、一回聞いた落語は忘れないって言っていました。
内田 談志もそうですか。そういう天才っているんですよね。僕が大瀧さんから教わったのは物事の関連性を探求することの大切さです。あらゆる出来事には「前段」がある。その前段にもそのさらに前段がある。それをどこまでも遡及してゆくことでその出来事の意味がわかる。「あれって、これじゃん」という気づきがある。
ですから、大瀧さんはオリジナル神話には批判的でした。オリジナルな楽曲なんてあり得ないから。どんな楽曲もどこかから素材を借りてきている。全部どこかから何かをパクってきてる。でも、音楽を作るというのはそういうことだから、それでいいんだって言うんです。「述べて作らず」なんですよ、まさに。
菅間 ここで内田さんの口癖、「述べて作らず」に通じるわけですか。大瀧さんは日本のロック界の孔子だったんですね!
内田 そうなんですよ。実際に大瀧さんは、挑戦的にあきらかにパクリの楽曲をいくつも作っています。『What I say 音頭』なんていうのがあるし、『コブラツイスト』はツイストの名曲を4小節ずつ切り出して、並べただけなんです(笑)アニメの『ちびまる子ちゃん』のテーマ曲「うれしい予感」はピクシーズ・スリーというアメリカのガールズグループの「Cold Colld winter」という曲そのままです。大瀧さんはあえて挑戦しているんです。これを「盗作」とか「パクリ」とかいう言葉で言って欲しくない、音楽を作るというのは「こういうこと」なんだ、と。完全にオリジナルな楽曲なんかこの世に存在しない。だから、自分たちの音楽的感受性を形成した「前段」には相応の敬意を払いなさい。私たちはゼロからものを作ったわけじゃない。「祖述」しているだけなんだ、と。
菅間 それも、全く内田さんと同じじゃないですか! 著作権フリーでいいよっていう。
内田 いや、同じなんじゃなくて、僕が大瀧師匠から学んだことなんです。僕は大瀧さんのラジオ番組、Go!Go!NiagraSpeech Balloonや山下達郎さんとの「新春放談」を録音した音源を、車の運転をしているは間ずっと聴き続けています。もう50年近くになりますから、僕が「その人の声を最も長時間聴いた人」は家族でも友だちでもなくて、大瀧さんなんです。それだけ聴いても大瀧さんの音楽史的知識の深さと広さには追いつかない。
菅間 そういう、凄まじく該博な知識があっての大瀧さんの傑出した音楽理論、「分母分子論」なんですね。
内田 まさにそういうことです。その分母の大きさが半端じゃない(笑)。
「無人島レコード」という企画があって、「無人島に1枚だけレコード持ってくんだったら何持ってきますか」というアンケートなんです。僕は、古今亭志ん生の落語のCDを持っていくって答えたんですけれど、大瀧さんは『レコード・リサーチ』っていうカタログを持っていくって言うんですよ。1962年から66年までの曲は完璧に記憶しているから、その頁を開くと脳内で音楽が鳴り出す。それを読んだ時にはちょっと寒気がしました(笑)。全ての曲を頭の中で鳴らせるんだ!って。すごいなぁと。
それから、大瀧さんは「ロックンロールは音質の悪いカーラジオで聴かなきゃダメ」って言ってて(笑)、福生の45スタジオに伺った時に、一度だけ大瀧さんのキャデラックに乗せて頂いたことがありました。その車の中で爆音でロックンロールを聞かせてもらった。忘れられない思い出です。こういう偉人を「師匠」と呼ばずして、何と言ったらいいのか。
(3月10日)

我が隣国人の精神性の考察

ちょっとはばかりがある思想なので、あまり人が読まないこのブログで考えてみる。
とある高年齢女性が我が隣国の人間についてこう書いている。

(以下引用)

なぜ、彼らが、組織を衰退させ、つぶすのかは、よくわからないけど、我が強すぎて、決して譲らず、周囲の人々を蹴落とすからかな。

それと、長い計画が立てられないみたいですね。物事を俯瞰してみることができない、できても、その知恵で、自分だけおいしい目に会おうとする。

(以上引用)

私は現実に彼の国の人と接した経験が無いのでこの言葉が彼女の主観なのか、経験なのかは知らないが、彼女の住むあたりには彼の国の人が多いようだ。一応、この言葉が正しい、あるいはおおむね正しいという前提で考察する。

彼の国には「火病」という言葉があり、それが彼らにはよく見られる現象であることを彼ら自身が認めているようだ。
一種のヒステリーだろうか。極度の精神的興奮状態かと思われる。他者との会話・精神的接触などの際に起こる発作的状態だと思うが、それは「自己防衛」であると同時に「他者を凌ぎたい」という心理だと思う。日本人だと穏やかな応答で終わるのが、喧嘩腰になるのだろう。他者からの侮辱や見下しだと感じたら、それに猛然と反発するのかと思う。
これは日帝支配下ではありえなかった反応だと思われ、逆に、その記憶が現在の「平等社会」での反作用として発生したのではないか。かつて見下げられたことへの精神的補償である。

だが、同じようにかつて抑圧された層であっても、日本の部落民には「火病」は発生しなかったのはなぜか。
まあ、そこに精神の遺伝子みたいなものを想定したらSFになるが、何か別の要素を考えるべきかもしれない。

「長い計画がたてられない」や「物事を俯瞰して見ることができない」というのは、近代まで、まともな社会組織を形成した歴史的経験が無いからではないか。つまり、上級国民と下層国民との圧倒的な文化的懸隔である。彼の国に、近代以前にまともな庶民文化があったという話は聞いたことがない。そして現代でも、純粋学究的な研究者はあまり出ないようだ。それは「無私の精神の欠如」が原因かと思う。学究的研究には私利私欲は無関係だからだ。


精神科医キム・ジョンウによると、火病は一種のストレスの病気であるが、一般的なストレス病では急にストレスが表われる場合が多いのに対し、火病では同じストレスを六カ月以上受けるという[23]。また、怒りの原因を我慢することで起きるのが特徴であるという[23]。また、キム・ジョンウは、韓国人の精神科医が集まると「火病になる人は純粋で頑固な人が多い。患者が楽天的で、融通性があり、たまには人を騙したり、悪いことを見て見ぬ振りができれば、神経症にかからないのに」という話をよくすると述べている....[24]他者への劣等感や自己に対して感じるコンプレックス、無意識の葛藤が心身の不調として現われる[25]