恋愛の発明
仏教の特徴は「問題の要素を分類して考える」という、デカルト的思考にある。
たとえば、苦しみという問題を考えるのに「苦しみの分類」をするわけだ。
その中に「求不得苦」というのがあったと思うが、これは「求・不得・苦」で、「何かを求めて得られない苦しみ」である。
また「愛別離苦」というのがあり、これも「愛・別離・苦」で、「愛したものと別れる苦しみ」である。昔の歌謡曲に「逢うは別れの始めとは~知らぬ私じゃないけれど」という一節があるが、愛する人に出会わなかったら別れの苦しみも無いわけで、また、その人を愛さなければ別離の苦しみもないわけだ。
つまり、誰かを愛するということが無い人間は、人生の苦のひとつを最初から逃れているわけだが、人が愛したり別れたりするのは資本主義の商売の機会だから、テレビや映画は毎度毎度、つまらない惚れた腫れたのドラマを作るわけである。子供が生まれれば、また金儲けのネタになるし。
この世から恋愛が無くなったら、社会の面倒事のかなりが消えるが、それは商売の多くの消滅になり、人類の消滅になる、というわけで、「恋愛の発明」は人類の偉業だと言えないこともない。
なお、古代民族の大半は、「性欲はあるが恋愛はなく」、性欲の調節システムと子孫維持のシステムとしての婚姻制度はあった。
たとえば、苦しみという問題を考えるのに「苦しみの分類」をするわけだ。
その中に「求不得苦」というのがあったと思うが、これは「求・不得・苦」で、「何かを求めて得られない苦しみ」である。
また「愛別離苦」というのがあり、これも「愛・別離・苦」で、「愛したものと別れる苦しみ」である。昔の歌謡曲に「逢うは別れの始めとは~知らぬ私じゃないけれど」という一節があるが、愛する人に出会わなかったら別れの苦しみも無いわけで、また、その人を愛さなければ別離の苦しみもないわけだ。
つまり、誰かを愛するということが無い人間は、人生の苦のひとつを最初から逃れているわけだが、人が愛したり別れたりするのは資本主義の商売の機会だから、テレビや映画は毎度毎度、つまらない惚れた腫れたのドラマを作るわけである。子供が生まれれば、また金儲けのネタになるし。
この世から恋愛が無くなったら、社会の面倒事のかなりが消えるが、それは商売の多くの消滅になり、人類の消滅になる、というわけで、「恋愛の発明」は人類の偉業だと言えないこともない。
なお、古代民族の大半は、「性欲はあるが恋愛はなく」、性欲の調節システムと子孫維持のシステムとしての婚姻制度はあった。
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