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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

街中でも原則は左側通行

「不思議の国の」何とかというブログから転載。
一般道路では左側車線はほとんど路上駐車かバスの停車タクシーの停車が邪魔で、いちいちそれを右側から追い越してまた左車線に移るのは面倒くさい。そこで延々と右側車線を走るのが街中ではむしろ普通だが、実はこれは道交法違反だ、という話。
警察はそういう車をいつでもしょっ引けるわけだ。だが、それ以前に、駐禁違反をきちんと取り締まれよ。特に繁華街で荷下ろしのために堂々と駐停車禁止違反をしている車は迷惑だが、それを警察はちゃんと注意したり違反切符を切ったりしているだろうか。
また、通勤通学時間帯には左側がずっとバスタクシー専用レーンになっていることも多い。その場合は、左側を走ることが法令違反になるからずっと右側を走るしかない。いったい、何のために右側を追い越しレーンと規定しているのか。

(以下引用)


2015年06月04日

一般道でも右車線は、基本走行不可?

 昨日、ここで 「交通の流れを乱す車の法則 」と言うブログを書きましたが、ボクも含めてけっこう勘違いしている方が多いので、改めて書きます。

 正直、長い間知らなかったのが恥ずかしいのですが。



 
 実は、ボクが免許を取った教習所の学科の教官は、とても良い方で、いまでも印象に残っている言葉が、たくさんあります。

 かもしれない

 飛び出してくるかもしれない。
 進路変更するかもしれない。

 常に可能性を予測しながら運転しなさい とか。

 後は、キープレフトと言う考え方を教わりました。
 最近、このキープレフトは教えないらしいけど。


 さて今夜の話題は、このセンターラインが無いような道とかでの キープレフトでは無く。

 通行区分に関する話です。


 これね、ボクも最近知った話なんですが、そんなの常識?
 みんな知ってる話?


 高速道路には、走行車線と追い越し車線がある。
 これは誰でも知ってるよね。


 でも 一般道でもあるんです。

 片側 二車線あると、基本、左側の車線を車は走行しなくてはならない。
 右側の車線を走行できる条件は、主に以下の2つのみ

 ①前方の車を追い抜く為に、右車線に移動すること。
 (路上駐車車両を避けるのも同様かと)
 ②右折する際に右車線に入ること。

 
 つまり法定速度以下であろうと、以上であろうと高速道路と同じく延々と右側車線を走行してはいけない。
 ※+騒音防止条例による都市部の大型車右側車線通行エリアもあります。


 


 ●道路交通法第20条(車両通行帯)
 車両は、車両通行帯の設けられた道路においては、道路の左側端から数えて一番目の車両通行帯を通行しなければならない(以下略)。
この条項では、一方向に2つ以上の車両通行帯が設けられた道路(公安委員会の指定がある片側2車線以上の道路)では、原則として一番左の車両通行帯を通行すべきことが規定されている。

※これらの規定は、高速道路に限らず、いわゆる一般道路を含めた規定であるが、大多数のドライバーには、一般道路であっても一番左側の車両通行帯を走行すべきという原則が存在することが理解されていないのが実情である。


 えぇ、長年理解していませんでした。(笑)
 でも昔から、左車線を走るのが好きなのでどうでもいいけど。




 さて ここで話は終わりません。

 

 問題です。

 ボクは、片側2車線 制限速度50kmの道路の左側車線を、時速50km丁度で走っています。

 するとやがて、前方に右側車線を走る車がみるみる近づいてきます。

 どうやら、右車線の車は、時速30km程度で走行しているようです。

 やがてボクの車は、右車線の車と並び、抜くつもりはなかったけど、結果的に左から追い抜く形になりました。


 ふと気が付くと後ろからパトカーが!

 
 「運転手さん、今左からぬきましたよね?」

 「ハイ、でもスピードも時速50kmピッタリですよ。」

 「左からの追い抜きは、違反ですね。」




 ※原則として、追い越す車は、追い越される車の右側を通行しなければならない(道路交通法28条1項)。ただし、右折や道路外へ出るために右側へ寄っている自動車を追い越す場合は、その左側を通らなければならない(同条2項)。

路面電車を追い越す場合は、線路が道路の左端にある場合を除いて、その左側を通らなければならない(道路交通法28条3項)。



 「車線変更は、数kmしてません。ずっと左車線を法定速度で走っていて、結果遅い右車線の車を抜いたので、追い越しでは無くて、追い抜きです。違反では無いはずです。」



 しかし、違反かセーフか、どうか知りませんが、追い抜きであろうと、あまり左側から抜くのは好きじゃありません、左ドアミラーの見落とし事故もあるからリスキーです。



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当事者と外野

私も他者批判の多い人間だが、「批判するのは、当事者の内情を知らない人間」である可能性には注意したい。(もちろん、内情云々とは別に目に余る行為は批判すべきであると思っている。日本人はむしろ批判精神や批判行動が少なすぎるし、SNSでだけ目立つのである。それは、表立っての批判が許されない社会であることの裏返しだ。)

「泣くのは何もしてこなかった人だ」という言葉は痛烈だ。




さんがリツイート

本日認知症の祖母を施設に入所させた。私と父は後悔や悲しみで涙が出る思いだったが、ずっと祖母の面倒を見てきた母は「泣くのは何もしてこなかった人だ。入所は認知症が急激に進んだおばあちゃんに安全に生活してもらうため最終的に判断したこと。私は精一杯介護してきたから後悔はない」と言った。












ゴータマ・ブッダと仏教

これは仏教の理解として正しいと思う。
ただ、輪廻を仏教思想の一部として認めるなら、三世諸仏は「輪廻の外から」現世に介入するボランティアである、と考えればいい。
もっとも、仏教思想の根本が「空観」だと私は考えており、それはプラグマティズム的な哲学であって宗教ではないと思う。つまり、ゴータマ・ブッダはキリストとではなく、ソクラテスや孔子と並べられるべきである。なぜなら、悟るには自分の思想を突き詰めればいいのであり、実は神仏への帰依を必要としない(悟りは「般若の知恵」に至ることによるのであり、それは「知恵」であって仏ではない。)からだ。ただ、その悟りが生悟りになる危険性が常にあるが、まあ、自己責任だ。神仏のせいにはできない。





竹熊健太郎《地球人》 @kentaro666 5時間前

たまに「我は仏陀の生まれ変わりだ」と言う人がいるが、その時点でインチキ確定である。ゴータマは解脱したから仏陀になったので、未来永劫、生まれ変わる筈がないからだ。

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  • 5時間前

    また仏教の究極の目的は悟りを開いて解脱することだが、これは「二度とこの世に生まれ変わらないこと」だと何度言ったら。この世が地獄なので、二度と生まれ変わらないことが最高の幸せなのだ。

    このスレッドを表示
    取り消す
  • 5時間前

    前世の記憶がとか、生まれ変わりが、とか言う人がいるが、数から言ってバクテリアに生まれ変わる確率が遥かに高いと思うのだ。一度死んだらほぼ未来永劫人間には生まれ変わらないと考えて方が合理的ではないだろうか。

「美しく心は持たむ 飛ぶ蝶を招くも花の香りなりけり」「以至誠貫一生」

兄のブログの一部だが、重要なミスがあるので訂正しておく。

「美しく心はもたず」では、意味不明になる。これは、「美しく心はもたん(む)」を兄が間違えたか、あるいはそれをブログに転記している人のミスだろう。言うまでもなく、「ん」は意思を表す「む」の撥音便表記だ。「美しく心は持とう」と「美しく心は持たず」では正反対である。
だが、私も忘れていた、このふたつの額(掛け軸ではなく額だったと思う。)を思い出させてくれたのは有難い。

(以下引用)



さて、沖縄本島へ移ってから、コザ市を経て沖縄市に引っ越してきたわけで、両親の終の住処が、崇元寺に決まったわけだが、いつも我が家にかかっていたのが、”至誠を以って一生を貫く、以至誠貫一生”、と、美しく心は持たず、飛ぶ蝶を招くも、花の香りなりけり”、の掛け軸だった。

つまり、父は子供たちに美しい心を持てと伝え、常に真実をもって一生生きろと伝えたかったのだろう。

そして今もこれが僕のモットーとなっている。

秋もダニ注意なのか?

沖縄に住んでいた時にはダニに食われた経験は無いように思うが、ここ京都に住んでから経験した。しかし、下のダニ対策は、私にはほぼ実行不可能に思える。
そもそも週に一回洗濯って、布団を洗濯するのか。布団カバーの洗濯なら、そう書いてほしい。
また、これらの作業を全部やったら半日仕事だろう。つまり、一日はほぼ潰れる。私は暇人だが、人生の少ない残り時間をそんな作業に費やす気はない。天日干しでダメなら、ダニを我慢するしかない。






さんがリツイート

寒くなってくると、ふかふかの布団が恋しい・・・ですが、秋もダニ注意の季節!
「布団叩きNG」など、正しいダニ対策を、掃除のプロであるダスキンに伺いました。