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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

漫画家の画力とデッサン能力

根拠のない話をするが、「デッサンが上手い人」で漫画の大家になった人は少ない気がする。大友克洋などがその少数の例だと思うが、その代わり人物キャラの顔に魅力がまったく無い。まあ、それは意図的なものかもしれない。「アジア顔」を美的に誇張しないで描いたのは戦略的に選んだことなのだろう。あるいは美形キャラを描くのが苦手、もしくはつまらないと思ったからではないか。美形キャラでなくても、人物キャラで魅力のある顔がまったく存在しない漫画というのも珍しい。美形キャラをほとんど描かなかった平田弘史でも、魅力のある顔は描いたのである。(なお、漫画「AKIRA」の題字は平田弘史に頼んだものだと言う。平田弘史は書家としても優れている。)
いずれにしても、漫画は「頭の中にあるイメージ」を外に出すもので、「外界(外物)を見たままに描く」デッサンとは似て非なるものであるというのが面白い。

なお、下のツィートの「予備校」とは美術学校予備校のこと。

(追記)ブログ作成画面ではコピー状態がおかしいが、載せてみる。下のツィートは「芸術家のはしくれ」らしいが、その絵の実作過程動画を見ると、精密画が得意のようだ。ツィッターには、この手の「スーパーリアリズム」作成動画はたくさん見られる。そして、その大半に言えるのは、精密に描く技術は凄いが、描かれた内容が、「なぜこれを描いたのか」が理解できない、まったく魅力の無い対象であることだ。つまり、「お前の美意識はどこにある」と言いたいような、魅力の無い人物や物の絵がほとんどなのである。優れたクリエイターの最大の要件は「観察する能力」「作る能力」以前に、「感動する能力」「審美眼」にあるのではないか。

自分を芸術家の端くれだと思うのなら、常にブルーオーシャンを求めて動くべきだ。 あらゆる業界が右肩下がりの今の日本は新しい勢力が台頭しやすい土壌が整っている。 若手にとってこんな良い時代はないと僕は思う。((
竹熊健太郎《地球人》
@kentaro666
漫画家は車を描けと言われたら、とりあえず車に見えるものを描くことができますが、なまじデッサンをやっている人は逆に描けないんですよ。予備校でデッサン一位の友達に「お前よく何も見ないで描けるな」と言われたことがあります。



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