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青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳
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2015/10/2218:08:39
2015/10/2222:50:12
>「肉は悲し、なべての書は読まれたり」
マラルメの「海の微風」とか「海のそよ風」とかと訳されている詩《Brise Marine》の冒頭の一節(下記)ですよね。
>La chair est triste, hélas ! et j'ai lu tous les livres.
直訳すれば、「肉体は哀しい、ああ!、全ての書物は読まれたり」という意になりますが、この《La chair》や《j'ai lu tous les livres》をどのように解釈するかで、各翻訳間の違いが生じてきそうです。
たとえば、《La chair》は「肉欲」と訳する訳者もいますが、その場合、「どんなに多くの本を読んでも、肉欲だけはいかんともしがたい」という意味になります。
で、私としては、この一節は、「肉欲」をも含む身体が、自分のいかなる理智をもってしても太刀打ちできないという悲哀を表現しているのではないかと解してきました。
なお、「全ての書は読まれたり」というのは、「われは理智の極みに至り得た」と解したいところです。
ということで、《La chair est triste, hélas ! et j'ai lu tous les livres.》は、「私はあらゆる本を読んだというのに、わが肉体の秘密、謎を前にしてかくも非力だとは!」と意訳したいところです。
その点、ランボーのいわゆる《賢者の手紙Lettres du voyant》中の一節《われは他者なりJe est un autre》(私の存在は、私の理解を絶している)と通底するような気がしてなりません。