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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

「現在には現在の権利がある」

「現在には現在の権利がある」

これはエッカーマンの「ゲーテとの対話」にあるゲーテの言葉だが、この発想、つまり「無機物(非人格的存在・抽象概念など)」を人間と想定した発想は面白い。もちろん、猫や犬のような有機物を擬人化するのも同じだが、動物の場合は我々がその擬人化に慣れすぎていて、面白い発想は出そうもない。

「現在には現在の権利がある」というのは、その時その時で関心を持ったことを大事にしろ、ということである。これは小説家(作家)が「大作を計画することの危険性」についての注意だ。一般に、何かを計画することや、計画を厳守する習慣の危険性への注意と言ってもいい。
何かに関心を持っても、「現在実行中(第一義的に構想中)の計画」のために、その「思い付き」を頭の片隅に追いやると、その関心(発想)は二度と浮かび上がらないわけだ。もしかしたら、その「思い付き」のほうが、現在実行中の「大計画」より豊かなものかもしれないのである。

これは、創作だけではなく、生きること、生き方そのものについても言える。幼い子供が近づいてきて、それを可愛いと思っても、家に持ち帰った仕事のほうが優先されて、その子供の相手をしない、といったようなことである。はたして、その仕事は、子供の相手をする数分間さえも不可能なほど大事なものなのだろうか。後回しには絶対にできないものだろうか。あなたが死ぬとき、その「仕事」は、あなたの人生にどれほどの重要性を持っているだろうか。子供と遊んで、その子供が見せた笑顔より大事だろうか。
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