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青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳
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昨年の夏に、妻とコートジボワールに里帰りしたときのこと。
パリで飛行機を乗り継ぐ際、空港内でパスポート・コントロールがあった。あるゲートに20人ほどが列をつくり、すこし大柄な女性職員がパスポートをチェックしている。
妻の番が来ると、職員は「ひとりなの?」とやや硬い口調で質問してきた。パリの空港ではテロの影響もあり、セキュリティ関連の仕事に就く人々はつねに緊張している。
妻が、「いえ、夫と一緒です」と答えると、彼女は列に並ぶ人を見渡しながら怪訝そうな顔をして、少々怒ったように「どこ!?」と聞き返した。
妻がすぐ後ろに並んでいる私を指さすと、彼女は一瞬眼が点になったように私を見つめ、すぐに恥ずかしげに、はにかんだような笑顔を浮かべた。
女性職員は列を眺めたとき、無意識のうちに黒人男性を探したのである。だが黒人はひとりもいなかった。
この女の言っていることが分からない。怪しい、そう思ったことであろう。そして夫がアジア人であると知ったとき、彼女は自分が囚われていた先入観に気づいた。
黒は黒、白は白、黄は黄……こうした指標にしたがってロボットのように機能していた彼女の心の中で、別のレベルの意識が目覚めた。その意識はこうささやいたに違いない。
「人間だ」
そして彼女はバツが悪そうに笑った。その罪のない笑いは私たち夫婦に伝染し、3人は楽しそうに微笑みを交わした。まるで悪い憑き物が落ちたかのように。
あらゆるレベルでの差別を告発し、社会の仕組みを変えてゆくことは必要であろう。だが、制度よりも「心の動き」が大切であることを忘れてはならない。
差別を生みだす精神構造は私たちみなが持っている。ヒトはその置かれた環境におおきく左右される動物であるから、差別主義者を攻撃するのではなく、差別が生みだされる環境を理解しなければならない。
人の心には、善も悪もある。天使も悪魔も、仏も鬼も棲んでいる。それらをどう飼いならすか。差別という「憑き物」をどう落とすか。
必要なのは抽象的な理念でも大袈裟なイデオロギーでもなく、人と人とのコミュニケーションの中で「落ちる」瞬間を具体的に体感し、その経験を積み重ねて、自身の心の中に自由な空間を広げてゆくことなのだ。
ジャマイカのガンコ爺さんと、パリの女性職員の笑顔を思い出しながら、私はそう確信するのである。