高塔氏のブログ記事の一部だが、「ハーレム」や「逆ハーレム」つまり、複数の異性を愛人として持つことについての対話である。女性側の(おそらく「ハーレム」についての)
「あはは、平等ね。ふーん、男ってそういう考え方するんだぁ」 「全員平等に接したら、全員怒るね、多分」
という発言が非常に興味深い。末尾にある、「男と女は別の生き物だ」、というのは、愛情関係(エロス面)ではまったく正しい認識だろう。
女性はプレイボーイに対して非常に寛容だが、男でプレイガールが好きというのはほとんどいないはずである。(ひどい言い方だが、「公衆便所」としか思わない。)女性は、男に複数の愛人がいても、自分がナンバーワンだと思っていられれば許容しそうな気がする。まあ、ただの想像だ。
サル社会(つまり群生動物)などで観察されているが、序列というのは或る意味動物的本能かもしれない。つまり、いざと言う時は序列の低い方から処分されていくからだろう。男は社会に出て一人でも生きていけるが、家庭の中にあって生活の資を戸主に頼る時代の長かった女性のほうが、より動物的本能を残しており、序列に敏感なのではないか。学校などでも、女性はほとんど「序列上位」の男生徒にきゃあきゃあ言うものだが、男は序列とは無関係に自分好みの女生徒を好きになる傾向があると思う。なお、「不良」というのも、反抗能力がある、つまり力があるという点で序列上位なのである。
(以下引用)
「というか、男性側はどうなの?」 「はい?」 「逆ハーレム状態を許容できる?」 「逆はーれむ…?」 今でこそそれなりに一部で認知されてる言葉だが、この時私はこの言葉を理解というかイメージするまで多少の時間を要した。 今思えば、これは男性としての価値観の傲慢さの一部であろう。 「……愛情がなければ(笑)」 うん、どうでも良い相手なら、どうでも良いや。 「あはは。ハーレムはそれでも成り立つと思うけど、逆ハーレムは、それじゃあ成り立たないのよぉ」 むう、奥が深そうだ逆ハーレム。 つまり、相手に対して愛情を持って……。 「ああ、うん。絶対無理」 自己犠牲系でかすかに可能性があるような気もするけど、ちょいと想像できません。 「あははは。自分が無理なこと相手にさせちゃダメでしょ」 「え、いや、別に俺がそれを望んでるわけじゃないのだけれど?」 「ほんとにぃ?」 「だって、どう考えても面倒くさいやん」 1人を相手するのにも、めちゃめちゃ高度なコミュ力が求められるというのに、複数を相手して、しかもそれで不満をためさせないとか、どんなマゾゲーですか。 「つーか、価値観の違う相手それぞれに対して、全員平等に扱ってると思わせなきゃダメって……綱渡りというか、糸わたり以下だろ?」 と、私のこの言葉に彼女たちはちょっと顔を見合わせ……そして笑った。 「あはは、平等ね。ふーん、男ってそういう考え方するんだぁ」 「全員平等に接したら、全員怒るね、多分」 はて? 人間という生き物は、自分が相手より損をすることには耐えられても、相手が自分より得をすることには耐えられない……感じだと把握していたのだが。 「これだけでも男と女は別の生き物だってわかるぅ」 「うんうん」 などと、何が面白いのか、彼女たちはケラケラと笑い続ける。