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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

「閉じたもの」と「開いたもの」

ベルクソンについての林達夫の文章の中に出てきた

「閉じた道徳、開いた道徳」「閉じた宗教、開いた宗教」

という言葉、いや、その概念は(その内容は知らないが)新しい「倫理学」を考察する上で重要な概念になりそうな気がするのでメモしておく。

倫理も宗教も基本的に「閉じたもの」だろう。つまり、固定的で変更不可能なものである。それに異を唱えるものは新しい宗派や新しい宗教を打ち立てるしかない。では、「開いた」倫理や「開いた宗教」は可能か、あるいはその意義はどうなのか、考察する価値がありそうだ。
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