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 とにかく、あの段階では、一も二もなく、いくつかの真摯な忠告に従って、即座に病院に向かうべきだった。

 今回の不決断が、重大な事態につながらなかったのは、単なる幸運にすぎない。

 仮にこの先、似たような状況に直面したら、30分後に女優さんとの対談の仕事がはいっていても、決然とキャンセルして病院に駆けつけようと思っている。

 ちなみに、決断を遅らせるべく私が自分を説得するために用意していた言い訳は、「当日のキャンセルでラジオの現場を混乱させてはいけない」という絵に描いたような建前論だった。

 本当のところを申し上げるなら、ラジオというメディアの強みが、その身軽さと臨機応変な対応能力にあることは、私が一番よく知っていたはずのことだ。つまり、今回の対応の遅れの原因は、やはり私自身が自分の感情と理性において下した判断自体に求めるほかにどうしようもない。

 グレゴール・ザムザ氏は、ある朝目覚めると毒虫に変身していることに気づいた人なのだが、その彼の主要な心配事は、毒虫になってしまったことそのものではなくて、自室から外に出て勤務先に出勤できないことだったりした。今回の私の一連の対応は、ザムザ氏の不毛な困惑とそんなに変わらない。それほど愚かだった。

 当日、私がわりと落ち着いているように見えたのは、私が状況を冷静に判断できていたからではない。

 どちらかといえば、

 「オタオタしたくない」
 「沈着でありたい」
 という虚栄心(あるいはこの感情の正体は、私が日頃から軽蔑してやまずにいる「マッチョイズム」それ自体だったのかもしれない)に従ったリアクションだった。

 それゆえ、当日、私は沈着であるというよりは、むしろヘラヘラしていた。

 おそらく私の感情の中では「最悪の事態」を信じたくない気持ちが半分と、「オレに限っていくらなんでも脳の病気だなんてことはあるまい」という思い上がりが半分あって、それらがあわてふためくことを強くいましめていたのだと思う。

 まあ、ひとことで言えば

 「正常化バイアス」
 というヤツだ。

 午後になって、私はノコノコと赤坂に出かけて、20分ほどのラジオ出演を終えた。

 オンエアの中では、視野の中に見えにくい部分がある現象を説明しつつ

 「いま打席に立ったら内角の高めはたぶん打てないですね」
 などと、半端なジョークを飛ばしていた。最悪の態度だったと思う。