脳梗塞の後遺症は残る人生の相棒と見る考え方
実は私も脳梗塞でこの前入院した。と言うより、手と足の一部の異常を感じて近くの病院に行くと、脳梗塞の疑いがあるということで、強制的に救急車で運ばれ強制的に入院させられた。
まあ、自力で近所の病院まで歩いて行ったくらいだから、ずいぶん軽い脳梗塞だったのだが、約一週間の強制入院は最悪だった。必要も無い点滴を強制されて、生ける屍同然に行動が著しく制限されるわけだ。血圧が高いのだから、降圧剤を処置(経口服薬か注射)すればいいだけで、点滴の必要などまったく無いはずである。
で、その時に医者に確認したのだが、脳梗塞からの機能回復はあるのか、と聞くと、(下に書いた、脳梗塞のメカニズムをこちらが了解していることを示した上での質問だったので、誤魔化せないと思ったのだろう。)「ほとんど無い」という返事である。まあ、その返事は予想通りだった。
と言うのは、脳梗塞とは、脳の毛細血管にプラーク(血液のゴミ)が詰まり、その先の脳細胞が壊死することでその脳細胞が司っていた身体の機能が使えなくなることである。そして、脳細胞は基本的に再生しない。(現在は、それに異説もあるようだが、私は再生しないという説が正しいだろうと思っている。)とすれば、脳梗塞でダメになった身体機能はいくらリハビリをしようが復活しないと見るのが正しいはずなのである。
幸い、私の場合は皮膚の軽い痺れ感程度にとどまる脳梗塞だったので、退院後もまったく生活に不自由は無いが、脳梗塞からの回復は有り得る、と思って毎日リハビリをするのは、貴重な「残された人生の時間」の大変な無駄遣いではないか、と私は思うわけである。
そんな無駄な時間を使うくらいなら、テレビゲームでもしていたほうがはるかにマシな時間の使い方だと思う。つまり、楽しい時間というのは、それだけで有意義なのである。脳梗塞の後遺症は、まあ、残る人生の相棒と考えればいい。
(以下引用)「カクヨム」所載の作家山本弘の記事より。
まあ、自力で近所の病院まで歩いて行ったくらいだから、ずいぶん軽い脳梗塞だったのだが、約一週間の強制入院は最悪だった。必要も無い点滴を強制されて、生ける屍同然に行動が著しく制限されるわけだ。血圧が高いのだから、降圧剤を処置(経口服薬か注射)すればいいだけで、点滴の必要などまったく無いはずである。
で、その時に医者に確認したのだが、脳梗塞からの機能回復はあるのか、と聞くと、(下に書いた、脳梗塞のメカニズムをこちらが了解していることを示した上での質問だったので、誤魔化せないと思ったのだろう。)「ほとんど無い」という返事である。まあ、その返事は予想通りだった。
と言うのは、脳梗塞とは、脳の毛細血管にプラーク(血液のゴミ)が詰まり、その先の脳細胞が壊死することでその脳細胞が司っていた身体の機能が使えなくなることである。そして、脳細胞は基本的に再生しない。(現在は、それに異説もあるようだが、私は再生しないという説が正しいだろうと思っている。)とすれば、脳梗塞でダメになった身体機能はいくらリハビリをしようが復活しないと見るのが正しいはずなのである。
幸い、私の場合は皮膚の軽い痺れ感程度にとどまる脳梗塞だったので、退院後もまったく生活に不自由は無いが、脳梗塞からの回復は有り得る、と思って毎日リハビリをするのは、貴重な「残された人生の時間」の大変な無駄遣いではないか、と私は思うわけである。
そんな無駄な時間を使うくらいなら、テレビゲームでもしていたほうがはるかにマシな時間の使い方だと思う。つまり、楽しい時間というのは、それだけで有意義なのである。脳梗塞の後遺症は、まあ、残る人生の相棒と考えればいい。
(以下引用)「カクヨム」所載の作家山本弘の記事より。
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