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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

社会で成功するメソッド

社会的に成功するメソッドはわりと簡単だと思うが、問題はそれが当人にどの程度の満足を与えるかどうかである。

1)恥知らずになる。
2)モラルを捨てる。

基本的にこの2点だろう。このふたつとも根は同じだ。まともな人間性を捨てるということだから、それで成功しても満足できるのはもともとある程度モラルが欠如した人間だけ、となる。無理にモラルを捨てたような人間では、成功しても満足感は無く、幸福ではない。
もちろん、頭が悪いとその成功の度合いは小さいだろうが、たとえば女に不自由しない程度の成功なら簡単だと思う。世の中には馬鹿な女も無数にいるからで、その中にはかなりな美女もいる。
世間が恥知らずや無道徳な人間をいかに許容するか、不思議なほどで、それは相手が権力者である場合も多いが、「愛嬌がある」だけでもかなり許されるのである。その一方で、少しの失敗も許されない人間も多い。「自分の失敗を認める」「他人のせいにしない」という正直な人間がだいたい社会的には沈み込む。
要は、社会の知能水準や道徳水準は書物などから想像されるような高いものではまったくないということである。
ただ、以上書いたことは、恥知らずになることや無道徳になることを勧めているわけではまったくない。少し高級な知能を持った人間なら、それで得られる成功など自分に満足を与えるものではないと分かるはずである。
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医療界のビジネス面の暗黒


「逝きし世の面影」記事の一部で、いろいろと面白い。全体としては現代医学批判であり、世界的感染症騒動への疑問という内容だ。
まあ、私自身も医学界や製薬界の金儲け主義と「作為的感染症騒動」にはウンザリしているが、世界が西洋医学で助かっている面も巨大だから、全面的否定はできず、面倒な問題だ。

(以下引用)

「新型コロナウイルスと製薬ビジネスの闇」元理研研究員が顔出しで決死の暴露! ワクチンは本当に危険なのか(インタビュー)2020.04.08 知的好奇心の扉 トカナ

世界中で猛威を振るう新型コロナウイルス。各国の研究機関が治療薬とワクチン開発を急いでいるが、突破口は見えず先行きは不透明だ。

TOCANAではこれまでにもワクチン摂取という行為が人間にもたらす深刻な悪影響を懸念する声があることを報じてきたが、新型コロナウイルス感染症にとなればなおのこと、それらが払拭されるはずがない。

新型コロナウイルスの治療薬や医療利権の闇について詳しく知るため、国立研究開発法人理化学研究所の特別研究員であった小早川智氏にインタビューした

■私たちの健康に群がる“利権” 小早川智氏

抗がん剤で、がんが完治するわけでもなく、むしろ免疫力が低下し、副作用も強く、軽い風邪や肺炎で亡くなられる患者も多い。

日本は健康診断王国で、人間ドックでバリウムを飲み、乳がん検査で放射線を浴びますが、これが逆にがん細胞の芽を生じさせてしまい、結局は病院が儲かる仕組みになっています。私は日本政府と製薬会社の闇にどんどん疑問を持つようになり、がんの薬の研究・開発から手を引きました。

2009年と2019年にアメリカで大流行したインフルエンザウイルスは、1918年に世界中で猛威を振るったスペイン風邪と同じH1N1型です。

私は、一度絶滅したはずのウイルスがなぜ復活したのか疑問でしたが、実は2007年1月に科学技術振興機構と東京大学医科学研究所が人工的に合成したウイルスを用いてサルで実験を行い、スペイン風邪ウイルスには強い致死性の肺炎と免疫系に異常をきたす病原性があることを突き止めていたしかも2008年12月には、東京大学の河岡義裕氏をはじめとする日米の研究者グループによって、この強い病原性を説明する3つの遺伝子が特定されている。

これは国家ぐるみで、生物兵器並みの研究を行っていたということに等しいと思います。

■ワクチン接種推進に疑問――なぜ効果のないワクチンを国や国際機関は推進するのか

製薬業界は、1980年代後半から抗うつ剤をはじめとする向精神薬の販売に力を入れてきましたが、訴訟が相次いだことなどから、最近はワクチン・ビジネスにシフトしています。日本における子宮頸がんワクチン問題もグローバル製薬企業の戦略という文脈から考える必要があります。

このワクチンは3回の接種が必要で、その費用は合計5万円。今年4月から無料となりますが、国と地方自治体合わせて年間約300億円という予算が必要となり、製薬会社にとって莫大な利益になるのです。しかも、学校や企業の健康診断でワクチン接種が義務化されれば、毎年の安定した収入源となるわけですから、真実の如何にかかわらず「ワクチン接種は良いもの」と喧伝する勢力が登場することも頷けるでしょう。

子宮頸がんは定期検診でほぼ100%予防可能

しかし、検診率が高い欧米に比べて、日本の検診率は約20%にとどまり、これが患者増加の一因となっています。しかも、ワクチン効果が期待できるのは(日本人の場合)10万人に7人しかいない上、副作用の影響も大きい。そんなワクチンを、どうして義務化しなければならないのか?
子宮頚がんが発症するのは、30代後半の成人女性であり、10代のうちから接種する意味はありません。ワクチン接種に巨額の予算を投じるよりも、免疫力アップ、検診率アップ、性交時のコンドーム使用を促した方が効果的であることは誰の目にも明らかなのです。

子宮頸がんワクチンは2013年4月全額公費負担となるが、被害事例が相次ぎ厚生労働省は2カ月後に積極的勧奨を中止

これに対してアメリカのシンクタンク戦略国際問題研究所(CSIS)は、2014年『日本におけるHPVワクチン接種状況』と題するリポートを発表。被害者救済のリーダー的存在の池田としえ『全国子宮頸がんワクチン被害者連絡会』事務局長を名指しで批判し、「ワクチンの積極的勧奨の再開」を日本政府に提言しています。

アメリカでも近年はかなり大々的にインフルエンザワクチンの接種を勧めていますが、その結果は大流行。6万人近くが亡くなっています。もしワクチンが有効だというなら、このような事態は避けられるはずですよね。これがすべてを物語っています。

■ワクチンの「人体実験」がまかり通っている

コンゴ共和国のエボラ出血熱感染拡大地域では、すでにドイツ企業のワクチン接種が行われていたのに、世界保健機関(WHO)は新たにアメリカ企業の未承認ワクチンの接種を推奨しました。これはワクチンの「人体実験」でした。アメリカ企業のエボラワクチン接種は2019年8月から開始されましたが、同年10月からエボラが大流行しています。エボラワクチンがエボラの大流行を引き起こしているんですよ。

――実際、コンゴの保健相も「人体実験だ」と抗議していたようですね。恐ろしい話です。
(抜粋)

説得力がある科学的一仮説だが、

このTOCANA4月8日ではワクチンで深刻な悪影響を懸念する元理化学研究所の小早川智氏インタビューではワクチン接種での自閉症なども取り上げているが、勇み足が懸念される。(今回の新型コロナで保護者が小児科の受診を敬遠した結果、乳児のワクチン接種が行われないので乳児突然死も劇的に減っているとの投稿も有るが真偽は全く不明)

人口過疎の山間僻地の限界集落の色々な催し物と同じ原理

大阪大学サイバーメディアセンター教授の菊池誠のように人為的CO2温暖化詐欺と、極悪利権集団である原発ムラとが人脈的に重なる、今回の人類にとって未知のウイルスSARS-CoV-2検査スンナ派とHPVワクチン接種推奨派が重なっている。もちろん今後に予定されている新型コロナワクチンでも重なっていた。

2 コメント

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精神も蝕むロックダウン (セコイアの娘)
2020-07-17 06:26:42
こちらは、自宅軟禁生活も4か月目に入りました。
多数の死亡者を出したと言われる武漢やイタリアでさえ、ロックダウンは1,2か月ではなかったでしょうか?
想像してみてください、4か月もの間、スーパーへ買い物に行く以外、自宅から出ない生活を。過酷です。私も最近は怒る気力さえ萎えてきました。今はもう、ただただ、ロックダウン解除の日を一日千秋の思いで待つばかりです。
宗純さんのおっしゃるとおり、意図的な長期ロックダウンは、大統領選へのゆさぶり以外何物でもありません。そう思っている人は、こちらでも多いと思います。ですが、私が危惧するのは、この新型コロナの次のキャンペーンは何なのかということです。櫻井ジャーナルの櫻井さんが、「収容化」という言葉で表現しておられますが、新型コロナで加速した「収容化」は止まらないと思います。
私は、今まで疑問ももたずにワクチンを接種し、子供にも接種させてきましたが、今回の新型コロナでつくづく考えさせられました。思い起こせば今から20年前のこと、家族の中で、唯一インフルエンザの予防接種を受けた私と主人だけが、劇症ともいえるインフルエンザにかかり、立ち上がるどころか、這ってキッチンに水をとりにいくこともできず、運よく立ち寄ってくれた母に、救われた記憶があります。あれは何だったのかなと改めて思います。それと、余談になりますが、私はタミフルでも酷い目にあいました。実は、インフルエンザにかかっても、アメリカの医者はタミフルをめったに処方しません。数年前、インフルエンザで七転八倒した際、かかりつけのアメリカの医者の予約がとれず、近所の日系のクリニックに行きました。日本の医学部を出た日系人の医者はタミフルを処方、服用したところ、ほとんど効かなかったばかりか、副作用で胃がやられ、しかも処方された日数の途中で服薬をヤメてはいけないと医者から言われ、這う這うの体で飲み切り、もう、金輪際タミフルはゴメンだと思いました。インフルエンザより、タミフル服用の方がずっと苦しかったです。




ナンパという「心理的レイプ」

李琴峰という作家の文章の一部である。
ナンパという行為が女性に与える災害(やや大げさだが、心理的なものも含めて災害であることがある。)を考えれば、それは「心理的レイプ」と見做してもいい。もちろん、女性の側がそれを喜ぶことも多いだろうし、男からの働きかけが無ければ男性との交際機会を持てない内気な女性もまた多いだろう。その点でもレイプに似ている。男女が密室にいて、男の性欲が極限(最初、「極言」と出て、気づかないままだった。「極言する」という言葉もあった気がするが、滅多に使われる言葉ではない。だから「極」の字を見ただけで漢字変換成功と思ったわけだ。)に高まった時、相手に「セックスしていいですか」と聞く男はいないし、聞かれて「はい、いいです」と答える女性もほとんどいないだろう。この場合は、男女が密室にいる時点で「了解があった」と見るのが普通だと思う。
しかし、ナンパの持つ加害性はあまり認識されていない。職場などでのセクハラが犯罪であるとされているなら、未知の人間へのナンパはなぜ犯罪視されないのだろうか。


(以下引用)

 それでも、こんな「何様のつもりだよ」な男たちはこの社会に実在していて、彼らの存在に怯えて多くの女性は一人で夜道を歩くのを恐れ、そのため夜遊びを諦めたり帰宅時間を早めたり治安が悪いと思われる場所を避けたりと、実に多くの自由を自ら放棄せざるを得ない、というのが現状です。
 そんな自由を放棄しようとせず、侮辱に立ち向かおうとする女性が傷付けられた時に、社会は彼女たちにこう言います。「自己責任だ」と。

 私はネットで見かけた、女子高生がナンパ男に暴行された事件を思い出しました。35歳の男と10代の女子高生という歴然とした力の差があるこの事件でさえ、女子高生を批判する意見が散見されるのです。

https://www.topics.or.jp/articles/-/377083

 勘違いしないでほしい。誰にも邪魔されず、安全を脅かされることなく夜の街を闊歩するというのが私たちの人間としての、ごくごく当たり前の権利です。自分が飼っているペットか何かみたいに軽々しく話しかけないでほしい。いや、話しかけてもいいけど、無視されるのが当たり前だと思ってほしい、「キモイ」と言われてもまあそうだよなと鼻を軽くひっかいて次に当たってみよう、くらいの心の余裕がなければナンパなんてやめた方がいいでしょう。その辺、新宿辺りのナンパ師に見習ってみてはいかがでしょうか、変なじじいや、35歳の暴力男よ。







アフリカや中東における「女性器切除」の理由

以前に女性器切除のことを書いたことがあると思うが、その理由については考察していなかった。下のツィートが正しいかどうかは知らないが、ありそうな理由ではある。そもそも、封建時代の社会では女性は子供を産む道具扱いであったわけで、これは多くの社会に共通していたと思う。女性は家事や育児や農作業での「働く道具」でもあったが、なぜそういう奴隷的な、あるいは道具的な存在に貶められていたか、考察するべきだろう。そして、そういう地位からなぜ「人間」としての地位をだんだんと獲得できたのか。(ひとつには本物の「機械」や「道具」の発達で女性の行う労働が軽減されたことがあると思う。)
女性の性欲がなぜ男性から嫌悪されたかと言うと、推測だが、男性の知らない内的メカニズムを女性が持っていることに「未知への恐怖と嫌悪」を感じたのではないかと思う。もちろん、女性のエクスタシーに男性も関与できるが、それは(自慰でもレズでも可能であり)必須のものではないだろう。女性を「イカせる」のがセックスの醍醐味だというのは比較的近代のものだと思う。通常は、と言うか、生物的な本来的な在り方としては、男性のセックスは「射精するのがすべて」であり、女性側の快感など無関係なものである。ただし、サディズムに見られるように、背徳的な快感ほど大きいという奇妙な現象が男性にはある。


(以下引用)

ろくでなし子 祝デコまん無罪確定!
@6d745
返信先: さん
弓月先生、リプライありがとうございます。アフリカ地域で、女性が妊娠出産目的以外の性欲を持ってはならないとする、長らく行われて来た悪慣習です。母親自身が我が子へと、綿々と受け継がれて来た点でも根深い問題で、とても痛ましく、早く根絶できる事を祈るばかりです。

怒りの瞬発力

「怒りの瞬発力」というのはいい着眼だと思う。
私もまさに「(安全への注意喚起ではなく怒りの表現として)車のクラクションを即座に鳴らす」人間を奇妙に思うタイプであり、何かの問題が起こった時には、まず問題の内容を把握しようとするために「怒りの表現」はなかなか発動できない。人前で怒鳴ったのは一度しかなく、それは騒がしい教室で子供の騒ぎを抑えるためで、怒りとも違うような気がする。私の場合は社会的な不義不正への怒り、つまり公憤という形でしか怒りはほとんど生じないようだ。
その代わり、と言っていいかどうか、他者(身近な嫌な人間)への嫌悪感は心の中で蓄積される傾向があるようだ。
なお、個人的な意見だが、ヤクザや不良などは「怒りの表現を即座に行う」ことが習い性となっている人種だと思う。それが彼らの「生きるための生活の知恵」でもあるわけだ。「ナメられたら終わりだ」という人生観を持った人種である。これは橋下徹などにも言える。すぐに怒る人間が強い人間とは限らない。怒ることで相手を威嚇し、肉体的な闘争を避けることのほうが多いのではないか。

(以下引用)

今回は「怒りの瞬発力」というお話です。確かに、何かあったときに一瞬で怒る(怒れる)人と、そうじゃない人がいますよね。

山本: 私には本当に怒りの瞬発力がなくて、分かりやすいところでいうと「車を運転しているときのクラクション」です。目の前に人が急に飛び出してきて、「あぶねーだろ!!!」ってすぐ言える人がいるじゃないですか。あれ私、できないんですよ。

――そうか、確かにあれも瞬発力ですね。

 判断にすごく時間が掛かるんです。人が飛び出してきても、まず「あれ、ここって横断歩道だったっけ?」とか「信号は青だったっけ?」とか、そういう方を先に考えてしまうんです。いつも「私が悪い前提」で考えが始まるんですよ。

 だから自分に落ち度が全然なくても、一回「私が悪い」ってことで考えて、ゆっくりと「私は悪くないのでは……?」ってことが全部整理できてから、じわーって怒りが来る。

――それってロジックのあとに感情が来てますよね。理屈が確認できてからやっと怒り始める、というのは。

 そうそう。そこ(理屈の確認)を全部やらないと、やっぱり「間違えて怒っちゃったらどうしよう」っていうのが心配なので。

――「まず私が悪い前提で始まる」っていうのは、そうなった原因というか、きっかけのようなものはあったんですか?

 やっぱり私の今までの全作品で共通して言っているのが、自己肯定感の低さなんですよね。なんか自分の順位が低いんです、すごく。

――過去の作品では「小学生時代には全能感があった」と描かれていて、実際かなり奔放だったようですが。

 小学生の頃はそんなこと(自己肯定感の低さ)なかったと思うから、中学、高校、卒業してから……と、じわじわ出来上がっていったんだと思いますね。

――ちなみに、先ほど「間違えて怒っちゃったらどうしよう」と言われてましたが、間違えて怒ってる人なんて世の中にめちゃくちゃいっぱいいますよね。

 そうですね(笑)。めちゃくちゃいるし、そういう人たちに私たちは日々、悩まされてると思うんですよ。「あれ、なんで今自分が謝ったんだろう」って。

――そういう性格を直したり解決したりしたいとは思いますか?

 うーん……でも、そんなにすぐキレたくないじゃないですか。私はすぐキレる人は好きじゃないから、別に今のままでいいかな。確かに「適切な場面でキレる」ことができるようになったらスカッとはするんでしょうけど、今のままでいいです!

<(2)に続く>