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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

イスラームからキリスト教への改宗

これは、現地の人間、あるいは海外に住む人間でないと知らない貴重な情報だろう。FG氏は必ずしもキリスト教に肯定的な人間ではない(と思われる)ので、なおさら信頼性がある。

(以下引用)

イスラームを棄教する難民

2016年6月7日付けのLe Mondeル・モンド紙が
〈シリア、イラク、アフガニスタンなどからドイツへ亡命した回教徒の難民が何百人もキリスト教プロテスタントに改宗した。改宗希望者で宗教講座に熱心に出席している人も多い〉
と報道しました。第13面を全部使った大きな記事です。Frédéric Lemaîtreフレデリック・ルメートル氏の署名記事です。

F爺は、イスラームからキリスト教に改宗した人を何人も知っています。ところが、イスラーム圏の国々には
キリスト教からイスラームに改宗する人はたくさんいるが、その逆は存在しない
という事実無根の信仰があります。
「存在する」
と言っても信じてもらえないことが多いのです。それどころか
「反イスラーム運動をしている」
と誹謗中傷されます。

そして・・・イスラームを棄教した人が多くの国で他の回教徒からどんな迫害を受けているか知っているため、個々の改宗者の名前や住所を公表することは、F爺には出来ません。

こういう事情があるため、教会の場所と名前、改宗の儀式を行なった牧師の名前などを明記したこういう新聞記事は、貴重です。

数字

Stuttgartシュトゥットガルトのアラブ福音派教会の牧師Hanna Josua氏は、レバノン出身のアラブ人ですが、今年の復活祭にシリアとイラクからの元・回教徒難民8人に授洗(*)したそうです。近々に元・回教徒の受洗者の数が更に増える予定だと言っています。

(*)「洗礼を授ける」のが「授洗」で、読み方は同じですが、「洗礼を受ける」という意味の「受洗」とは別語です。

Hamburgハンブルクのペルシャ・キリスト教のアルファ・オメガ教会の牧師Albert Babajan氏は、2016年前半期だけでもイラン人とアフガニスタン人(*)の元・回教徒196人に授洗したそうです。

(*) イランのペルシャ語とアフガニスタンのDariダリー語とタジキスタンのタジク語は、一続きの方言連続体を成しており、相互に意思の疎通が可能です。

2016年の後半にはこの教会で500人ほどが受洗を希望しており、牧師はそれを受け容れる方針だと言っています。

BerlinベルリンのSteglitz地区のルーテル派(*)福音派ドライアイニヒカイト(**)教会でも、同様の現象があって、教会内ではドイツ語よりもペルシャ語を話す人の方が多いくらいだそうです。

(*)「ルーテル派」と「ルター派」は、同じことです。ドイツ語では、名詞としてはLutheraner、形容詞としてはlutheranischと言います。

(**)「Dreieinigkeitドライアイニヒカイト」は「三位一体」のことですが、ここでは教会の固有名詞の一部として用いているので、翻訳しないでカタカナ転写するのがF爺式のやり方です。

この教会の牧師Gottfried Martens氏は、受洗希望者のために「教会の儀式」「祈祷の仕方」などの集中講義を開いてルーテル派の教義を詳しく説明しているのですが、最近はどの講座にも200人を超えるイラン人やアフガニスタン人が熱心に出席するようになっているそうです。

「誠実な棄教と改宗なのか」との疑問

回教徒が大挙してキリスト教に改宗するのを快(こころよ)く思わないドイツ人も多いそうです。そういう人たちは、
〈難民認定が楽に受けられるようになるのが目的で表向きだけ改宗するのではないか〉
という疑いを口に出します。

この記事を書いた記者のFrédéric Lemaîtreフレデリック・ルメートル氏の観察では、そういうことは無いそうです。

実名を明かす人もあり、匿名を望む人もあるそうですが、氏との対話を受け容れた大多数の改宗者と改宗希望者は、故国で受けたイスラーム教条主義の武装団体からの迫害を逃れて難民となり、イスラームそのものに疑問を感じた末にキリスト教会にやって来て真摯に違いを知りたがり、何ヶ月あるいは何年か後に、改宗を望むに至ったのだそうです。

〈改宗すると家族や友人たちとの絆が切れてしまうため、決断には長期間の熟考が必要だった〉
と、
〈でも、改宗して本当に良かった。生まれ変わった気分です〉
と、改宗者は述懐するそうです。
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赤ん坊は赤ん坊らしく(マイナンバーカードのこと)

ここ数日ネットで大人気のFG氏のブログ記事で、マイナンバーカードの危険性がよく分かる好記事である。まあ、絶対に情報流出、下手をしたら銀行からのカネの抜き取りという大きな事故が起こるだろう。日本のITシステムなど、海外の犯罪集団にとっては赤ん坊のようなものではないか。

(以下引用)

「マイナカード」って何?

(記事に二箇所、紫色の文字で追記があります)

まさかと思っていましたが、またまた浦島爺の知らなかった情報が入ったため、四日連続で、記事を二本掲載します。これが一本目です。

「マイナカード」って何のことだ?

友人が送ってくれたリンク(*)の先にあった記事は、「マイナカード」に関するものでした。

   (*) 日本時間で20時36分に確認のためこのリンクをクリックしてみたら、繋がりません。
   〈削除された可能性がある〉という意味の表示が出ました。
   「虚報だった」可能性があり、
   「何らかの圧力で削除させられた」可能性もあります。


   追記 2020年12月19日

   虚報ではないと判りました。国会議員にも反対している人がいます。
   火狐さんがコメントでお送りくださったリンクを貼ります。


「マイナカード」なんていう文字列、見たことも聞いたこともありません。

〈「マイナカード」とは〉と入力してウェブ検索してみたら、「マイナポイント」というわけの分からないものだけがヒットしました。検索ロボットがまともに機能していません。

検索は諦(あきら)めて記事を読み進めたら、どうやら「マイ・ナンバー・カード」の略語のようです。

「マイ・ナンバー」というカタカナ列は聞いたことがあるのですが、そんなものを取得したことの無い浦島爺には、何のことだったか思い出すだけで重労働です。

F爺には「マイナカード」は無い

なぜF爺には「マイ・ナンバー・カード」が無いのか、不思議に思う読者が多いことと思います。

日本では周知のことではないらしいのですが、法律の変更が無い限り(*)
【日本国籍の海外永住者に日本の「マイ・ナンバー」は無い】
のです。

(*) もし変更があったら、居住地を管轄する日本国総領事館から必ずその旨の連絡があるはずです。

当然、「マイ・ナンバー・カード」もありません。

普段の生活でも、偶(たま)に日本へ行った時も、「マイ・ナンバー」なるものを提示せよと要求されたことはありません。要求されたとしても、
「海外永住者ですから、ありません」
と言えば済むことだそうです。そのため、いつしか、何のことだったかさえ忘れてしまっていました。

   追記 2020年12月19日

「マイ・ナンバー・カード」の取得・交付率

火狐さんに頂いたリンクの先にある記事の末尾の記載によると、「マイ・ナンバー・カード」の
交付率は令和 2 年 12 月 1 日時点で 23.1%
なのだそうです。なあんだ!!

F爺は、てっきり、日本国民の大多数が持たされているのだと思い込まされていました。浦島症候群の一端です。この記事の記載は、誤解を含んでいましたが、書き換えるのではなく、このように「追記を施すだけ」にします。


ディジタル監視社会

浦島F爺が「日本の常識」のごくごく一部を再入力・・・じゃなかった、再導入した上で件(くだん)の記事を読みました。震撼しました。

なんと日本政府が
【2023年度には小中学生の成績をマイナカードに紐付(ひもづ)ける】
というのです。

表向きの意図の如何に拘わらず、次の二つの結果が生じます。

[1] 政府が国民の個人情報を次々に、あれもこれもと、ディジタル管理して監視しやすいように図る。
[2] 大量の個人情報の漏洩が容易になるから、国内だけでなく、世界中のハッカーが大喜びする。

ハッカーの中には、「政府が率先して日常的に人権侵害を犯している国の国家公務員」も多数います。

「成績」は相対的なもの

それに・・・「成績」にどんな価値があるのでしょう。

今の日本には「進学校」というものがあって、そういう学校のビリの成績の子は、普通の学校の一番よりも良い成績であることが多いと聞いています。「進学校」に入ったばかりに最低の成績を付けられて、一生それが「マイナカード」に付いて廻り、個人情報漏洩の可能性も常にあるなんていうことが現実化したら、グレてしまう子も出て来そうです。

百害あって一利無い愚挙です。

権力濫用に必ず繋がる

「マイナカード」反対論に反論を試みて〈一害あるかもしれないが百利ある〉と主張するのは、
〈自分や近親の個人情報を悪用された不幸な経験の無い世間知らず〉と
〈権力の座に居坐っていて「わが世の春が永遠に続く」と思っている連中〉と
〈そのおこぼれに与(あずか)っている日和見主義者〉と
・・・・・(以下自主規制)(*)・・・・・
です。

(*) 敢えて一覧表を載せる必要は無いと判断したため、こういう形式にしました。もしかして、何を省略したのか見当の付かない方もいらっしゃるでしょうか。

権力者が国民の信頼を得ていない国々(*)では
【権力者自身が非合法に画策したことを「何者かの手で漏洩」と発表して責任逃れをするつもりだろう】
という解釈が、当然、成り立ちます。

(*) 現実の世界の全ての国のことです。「暗に特定のいくつかの国だけを揶揄または非難している」のではありません。誤解なさらぬよう、お願いします。

日本は、このま放置しておくと、根底から壊れてしまいます。

政府の愚かな暴走をやめさせる手段は、どこかにあるのでしょうか。

コメント

「GIGAスクール」

小島さんへ
マイナンバーカードに成績を載せるなど「愚の骨頂」です。成績は「絶対値」ではありません。相対値です。
同様に感じる国会議員がいて、政府に質問をしています。

https://go2senkyo.com/seijika/122181/posts/189579
内閣官房と文科省からの返事を載せています。どうやら、文科省は消極的、内閣官房は積極的のようです。その解答を読んでいて気づいたのですが看過できない変な学校が作られつつある事を知りました。
名前を
「GIGAスクール」
なんだか全く理解不能です。ICTを利用した云々。とあります。日本は間違い無く植民地化され、壊れつつあります。

Re: 「GIGAスクール」

火狐さん

反対する意見の国会議員のサイトに繋がるリンク、ありがとうございます。早速、本文に追記を施して、それを貼り付けました。

それにしても「GIGAスクール」って何のことでしょうね。横文字にカタカナ・・・日本の内閣官房って、こんな西洋かぶれしかいないのでしょうか。こんなことでは、日本は、「壊れる」どころか、滅びてしまいます。

実は

〇事態はもっと深刻で絶望的

個人番号(マイナンバー)という「国民総背番号」は2016年に実施され、全ての日本国民(正確には「日本に住民票がある全ての人、外国籍を含む」)にはマイナンバーを強制的に割り当てられています。

すでにその番号にいろいろな個人情報が続々と紐付けされています。利用範囲は今のところ法で「社会保障・税・災害対策など」に限定されていますが、収入や税に関してはほぼ掌握されてしまったと言えるでしょう。そしていつその「利用範囲の限定」が外されてもおかしくない状況にあります。(※後述の運転免許証との統合は社会保障でも税でも災害対策でもないでしょう)

現在は
・勤務先、金融機関、保険会社、証券会社にマイナンバーの届け出義務
・住民票にマイナンバーを記載したものが発行可能(記載しないこともできる)
・税の申告にマイナンバーの記載が必要
など徐々にかつ強硬にその利用を推し進めようとしています


〇個人番号カード(マイナンバーカード)の普及を強行する政府
今のところ個人番号通知カードでその番号が証明されるので、個人番号カード(マイナンバーカード)を持つ必要はありません。そのため、マイナンバーカードはまだ20%あまりの普及率にとどまっています。

しかし住民にとっても支配者にとっても一瞬で多くの個人情報を把握できるICチップ搭載の個人番号カード(マイナンバーカード)は非常に便利です。ですから無理やり、なりふり構わず100%に近づけようとする多くの施策が国民の血税によって行われています

A実施済み、実施途上のもの

・発行手数料無料
 膨大な税金を投入して普及を図っている
 時には自治体で写真撮影さえ無料で行ってカードを申請させている

・マイナポイント
 マイナンバーカードを所有しており、民間の決済業者(クレジット会社など)を登録(紐付け)すれば 決済金額に応じて最大5千円のばらまき給付

・戸籍謄本の取り寄せ
 現在戸籍謄本は本籍地の市町村役場でしか取得できないが、少しづつ本籍地以外の市町村やコンビニで出力可能になってきている(国が強硬に推進しているが、費用の問題から自治体は消極的)
マイナンバーカードがないとこの取り寄せは出来ない

B今後実施されるもの

・健康保険証とマイナンバーカードの紐付け
 2021年よりマイナンバーカードが保険証や薬手帳の機能を持つようになる

・運転免許証との統合
 2026年度と言われていた運転免許証とマイナンバーカードの統合は2024年に繰り上げるという報道がなされています。早期に運転免許証にもなるようです。

Re: 実は

「MJBぢぢい」さん

>事態はもっと深刻で絶望的

「住民総背番号」に関する詳しいご説明、ありがとうございます。これまでF爺の「知っていたつもり」でいたことは「おぼろげな認識」とさえも呼べない段階のものだったことが良く分りました。

フランスの総背番号制度と対比させて記事を立てようと思います。複雑な問題が絡んでいるので、どんな形にするのが良いか、熟考します。数日お待ちください。

No title

ゆうちょ銀行を通じた海外送金も、マイナンバーカードがないとできなくなってしまいました。以前はもちろん、そんなことはありませんでした。つい先日、必要があってゆうちょ銀行の窓口で問い合わせた時に、そういう仕組になったことを知らされ、愕然としました。

Re: No title

R君

なんと、なんと・・・。事態は、浦島爺の想定範囲を遥かに超えているのですね。「MJBぢぢい」さん宛ての返信コメントで予告した記事では、このことにも言及することにします。

ブログを運営していると、自力では「気が付かないから入手できない」情報に接することが出来ます。大きな利点の一つです。

No title

まずはお金の出入を全て掌握したいという意図が感じられます

運転免許証との統合は重大問題です。免許証はすでに身分証明書として機能しているからです。
警察・警視庁・国家公安委員会が国民を把握することにつながります。

【以下憶測】
交通違反歴はつつぬけです。すぐに犯罪歴と紐づけられるでしょう。そして政治犯・思想犯に・・・
いつかきた時代を連想させます

Re: No title

「MJBぢぢい」さん

>交通違反歴はつつぬけです。すぐに犯罪歴と紐づけられるでしょう。そして政治犯・思想犯に・・・
いつかきた時代を連想させます


「政治犯・思想犯」を目の敵(かたき)にする国家が、今、既に、あちこちの大陸や半島に目白押しなのですよね・・・。恐ろしいことです。

当ブログに本日掲載した記事〈「マイナカード」とフランスの住民背番号〉http://fjii.blog.fc2.com/blog-entry-2778.htmlにも是非、目をお通しください。

誤答と倫理性

子供の思考過程を大事にする、というのは大事だと思う。誤答でも、そこには何かの「論理」があったりする。
下の記事の中で感心したのは、子供が250を200と50に分解したことだ。これは250という数字を「収まりが悪い」数字だという感覚があるのだろう。そして、「いったん分けて、それを足しても元の大きさの数字である」という算数の基本をちゃんと押さえている。200ミリを20センチとしたところも、単位というものを把握している。後は、50ミリを5センチに換算するのを「うっかり忘れた」だけで、その思考過程は非常に面白い。
つまり、「間違った答えでも算数的思考は合格点」だと言えるだろう。数字を分解した思考は他の子供よりユニーク性もある。
だが、大勢の子供を限られた時間で相手にする教師にはそれほど丁寧にひとりひとりの子供と対応する余裕が無いことは言うまでもない。そして、「250mm=70cm」に教師が〇を付けたら、多くの子供やその父兄からこの教師が非難され、教師として不適格だとして退職を迫られるのは確実である。

(以下引用)


「3+1=5」にマルをつけた数学者が語る、子どもの算数の見守り方 間違いを否定せず、考えた道筋を共有しよう

(2021年6月18日付 東京新聞朝刊に一部加筆)
子育て世代がつながる
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神戸大大学院理学研究科教授の谷口隆さん

 数字に興味を持ち始める3歳ごろから、子どもたちは時につまずきながらも、だんだんと数の世界に親しんでいく。算数は正解・不正解が分かりやすいだけに、子どもの間違いや、得意・不得意を気にする保護者も多い。算数の基礎を学ぶ小学校低学年くらいまでの段階で子どもが苦手意識を持たないよう、周りの大人はどうサポートすればいいか。数学の専門家に聞いた。

「5だね」…新たな一歩を大切にしたくて

 「3+1=5」。子どもが足し算の問題にこう答えたら、学校の先生も保護者も、普通は「×」を付けるだろう。

 ところが、「○」にした数学者がいる。神戸大大学院理学研究科教授の谷口隆(たかし)さん(44)=代数学=だ。当時3~4歳で、足し算を覚えて間もなかった娘に口頭で尋ね、「5」という答えを「そうだね、5だね」と○にした。正解の「4」も教えなかった。

 谷口さんは「答えは一応3より大きいし、また7や8のような見当外れの数でもない。何より、それまで指を使って足し算をしていた娘が、初めて指を使わずに導いた答えだった」と振り返る。「いずれ足し算はできるようになる。指を使わずに足すという新たな一歩を大切にしたかった」

誤答にも、部分的には正しい推論があった

 現在は小学生の長女、幼稚園児の長男の2児の親でもある谷口さん。算数に取り組む2人の様子を観察し、誤答にも常に理由があり、部分的には正しい推論をしていることに驚いた。こうした発見を、近著「子どもの算数、なんでそうなる?」(岩波書店)でも紹介している。

図解 子どもの誤答、どう考えたの? 谷口隆さんの娘が小学2年生の頃の実例から 「250mm=70cm」と答えた娘に 「どうやって考えたの?」 「250を200と50に分けたの」 「それで?」 「200mmは20cmでしょ?」 「うん」 「だから、20+50で70cm!」 なるほど、50mmの方は5cmに直さずに足してしまったのか ↓ 考え方の道筋は正しかったこと、どの部分で間違えたかが分かる ↓ 適切なヒントを出せる

 子どもは考えた答えを誤りだと否定され、正解だけを押しつけられるうち、自分で考える意欲を失っていくという。谷口さんは「ある時点で誤った認識をしていても、月日がたち、学びが深まるにつれて、自ら誤りに気付いて修正する力が子どもにはある」と話す。

無理に正解に導かず、どう考えたかを聞く

 とはいえ、誤答は気になるし、テストで×が付いていたら解き直させたくなるのが親心。どのように声を掛けたらいいのか。谷口さんは「どう考えてその答えを出したのか、正解にたどり着けずに困っているかどうか、の2点に注目して」と助言する。

 無理に正解に導こうとせず、まずは子どもの話をよく聞く。子どもの考えを想像で決めつけず、なぜそう考えたか教えてもらい、納得できる部分は共感して、感心したり面白いと思ったりしたら、子どもにそう伝える。「誤答でもよく聞くと『へ~、そんなことを考えていたのか』と思わされることは結構多いですよ」と言う。

 「行き詰まって困っているようなら、ヒントを教えて困難を取り除いてあげればいい。話を聞いてほしそうだったら聞き役になる」。子どもが必要とするサポートは個々のケースで異なる。どのタイミングで、どう働き掛けるのが一番効果的かを考えながら、子どもの様子を見守り、助け舟を出そう。

今だけを見て「苦手」と決めつけないで

 長い目で見て算数の力をつける上で大事なのは、自分の頭で考える姿勢だという。谷口さんは「自分で考えてたどり着いた答えは、正誤にかかわらずすてきなもの。正解を教えたり、誤りを訂正したりするのに躍起になるのではなく、子どもが考えた道筋を一緒に楽しんで」と訴える。

 「現時点だけを見て『この子は算数が苦手』と決めつけたり、口にしたりするのは避けてほしい」とも。心身の発達と同じように、算数の学び方や進度には個人差がある。「その子が自分なりのペースと関心の持ち方で学んでいるのであれば、焦らなくて大丈夫。大事なのは、一人一人が自分に合った形で算数を学んでいくこと。それこそが本人にとって糧となる」と話す。

写真

谷口隆さん著「子どもの算数、なんでそうなる?」(岩波書店)

我々は「世界に対する信仰と希望」を持っているか

小谷野敦の「退屈論」の解説(野崎歓)の中に、ハンナ・アーレントの次の言葉が引用されている。


(以下引用)

「わたしたちのもとに子どもが生まれた」という言葉こそは、世界に対する信仰と希望を告げる最高の表現である。      (「人間の条件」)

(引用終わり)

「世界に対する信仰」という言葉が素晴らしい。我々は今、世界に対する信仰と、そして希望を持っているだろうか。先進国のすべてで少子化が起こっていることは、人類の多くが世界に対する信仰と希望を失ったことを示しているのではないだろうか。

世界は、挑戦し改革し支配する対象ではなく、「信仰」すべきものかもしれない。なぜなら、それは無限の神秘に満ち、無限の美に満ち、あらゆる生き物に無限の恩恵を与える存在だからだ。

戦争の娯楽性

小谷野敦の「退屈論」の中に書いてあるが、村上龍が「才能の無い人間が戦争をしたがる」ということを何かに書いているという。この発言はなかなか重要なものかもしれない。で、小谷野はこの言葉に加えて、人類の3分の2は才能が無いのだから、戦争が無くならないのは当然だ、とこの思想を敷衍するのだが、それも面白い。
で、私は前に「いじめの娯楽性というものを考えないといじめ問題は解決できない」と書いたのだが、戦争についても「戦争の娯楽性」は重要な問題ではないか。戦争、あるいは闘争が娯楽性を持つのは自明のことである。ただ、それに生死がかかるので、人々は戦争や闘争の娯楽性を無視することになる。もちろん、戦争の中の日常は娯楽とはかけ離れた苦痛に満ちたものだろう。しかし、その反面、精神の高揚やスリル、つまり「ゲーム性」は平和な日常からは得られないレベルで生まれるのではないか。これは、テレビゲームなどでは暴力の発生が不可避であり、映画やテレビのドラマでも暴力が常に興奮を生む原動力であることに通じている。
しかも、自分自身は兵士としての苦難と無縁で、安全な場所から戦争を指揮する人間(だいたいは才能の無い人間)にとっては戦争とは一番面白いゲーム以外の何物でもない。
これが、世界から戦争が無くならない一番の原因であり、戦争によって得られる経済的利益など、単なる付随物にすぎない。これが、私の「戦争論」だ。