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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

愛とは何でしょう

男は、人類が社会化した時点から、生存のために論理性を高次元化してきた性だろう。論理的であることが生存可能性を高めるということだ。そして、論理的であるには、思考に感情を交えないことが重要だと分かってくると、どんどん思考機械(論理機械)化していく。理系の人間が女性に人気が無いのはそこである。
愛情というものほど非論理的なものはないからだ。

顔がいいとか体がいいとか稼ぎがいいとかいうのは、実は愛情の決定的要素ではない。我々は猫をも犬をも愛するではないか。では、自分の好きなタレントの顔が犬や猫の顔になったら愛するか。猫や犬は自分のためにカネを稼いでくれるか。
偶然的に、異性のあるところが気に入る。すると、その「相手を気に入った自分」を肯定し続けるために、その対象のいいところを探すようになる。こうして愛情が上積みされていくのである。つまり他者への愛というのは自己愛と通底しているのである。「誰かを愛している自分が好き」であるわけだ。

(以下引用)

感情的女性とは違い、男性には感情がなく何をされても何も感じない論理機械

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