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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

議論で負けないコツ

「AERA dot.」から転載。これから社会で立っていこうという人(若者)には非常に大事なことを言っている。

(以下引用)



ひろゆきの論破テクニック 「それってどういう意味ですか?」で読めること

“論破王”と評判のひろゆきのマル秘テクニックとは?(撮影/鈴木芳果)

“論破王”と評判のひろゆきのマル秘テクニックとは?(撮影/鈴木芳果)

論破力 (朝日新書)

ひろゆき

978-4022737915

amazonamazon.co.jp

 いつも言われっぱなしで頭に来ているあなたへ。討論番組に出るたび、“論破祭り”とネットで評判になるひろゆきが、思わず「そんな方法あり?」と思っちゃうような強力な武器を伝授します。新刊『論破力』(朝日新書)から、「難しいことを言ってくる人への対抗法」を紹介。思うままに他人を動かすテクニックとは?

*  *  *
■揚げ足取りは、相手の知識レベルの確認

 討論番組とかでは、いわゆる「揚げ足取り」が付き物です。

 おいらは議論じたいそもそもエンタメだと思っているので、おいら的にはぜんぜんアリの初歩的テクニックなのですが、中には「揚げ足取りは、やめろ!」とか怒り出す人もいるわけです。

 ただ、揚げ足取りに対してちゃんと答えられないのであれば、その人の主張じたいがそこまで堅固なものではないということだと思うのですよ。

 議論の前提になる知識のない人に対して、きちんと説明できない人というのがたまにいて、それはじつは、その人自身が物事をちゃんと理解していないのではないかという気がするのですね。

 ちゃんと理解していたら、自分が理解しているとおりに口に出せばいいだけなので、わかっていない人が揚げ足取りをしてきても、別にイラつく必要はなくて、淡々とわかりやすく説明できるはずです。

 けれども、なんとなく「用語」で理解しているだけなのでしょう、前提の説明なしにさらに用語をちりばめて議論を展開するような人がいるわけです。

 たとえば、「ビッグデータって何ですか?」と聞かれて、ちゃんと答えられる人というのは案外少ない気がします。「単なる統計なんですよ」と言えば済む話なのですが、そう明確に説明できない人がけっこう多いと思います。

 たぶん、「ビッグデータというかっこいい名前だから、これまでとは決定的に違う何かがある」というふうに、勝手に誤解しているせいで説明できないのでしょう。本当は「ビッグデータといわれるものすごく大量のデータを使うからいままでの統計より精度が高いというだけで、基本は統計です」というだけなのですがね。


 なので、おいらは自分がわかっている用語でも、たまに「そもそもそれって何ですか?」と、わざと質問したりします。

 もちろん揚げ足取りとかではなくて、ちゃんとわかっている人でも説明のうまいタイプと下手なタイプの人がいて、その人がどういう説明をするかで、どちらのタイプなのかを見極めたいから。

 たとえば、理系で説明が下手な人の場合、おそらく頭の中では「コード」(記号や符号)で理解しているのだけれども、言葉に変換して説明するのが苦手なタイプなのですね。

 言葉というのは人によって解釈が違うので、その人の中にきっと自分なりの定義があるのですよ。

 たとえば、「あの人、どんな人ですか?」と聞いた。すると「地頭がいい」という答えが返ってきた……と。そうしたら「地頭がいいと頭がいいは、どう違うんですか?」などと確かめない限り、その人がどういう意味で「地頭」を使っているのか、本当はよくわからないはずです。

 ということは、そもそも知りたかった「どんな人?」の答えも聞けたことにならないわけです。頭ではなく、地頭と言ったからにはその違いに必ず意味があるはずなのですよ。

 こうしたやり取りは「確認作業」であって、決して揚げ足取りではありません。もっと言えば、「そもそも頭がいいって、どういう意味で使っているんですか?」と確認しないと、論理的な議論を展開できないはずなのです。

 普通はふわっとした言葉はふわっと聞き流していればいいのでしょう。おいらもどうでもいいときにはそうしています。けれども、いざ議論となったら「なんで、いま言葉を使い分けたんですか?」とか「その言葉とこの言葉の差は何ですか?」といったことを、けっこう突っ込んだりするわけです。

 たいていの人は面倒くさいからいちいち確かめないのでしょうが、おいらは人の話を聞くのが好きだし、まあ、揚げ足取りをするのも好きなので、そういう確認作業がまったく苦にならないのですよ。


 ビジネスシーンでは、じつはこうした言葉の確認作業というのはけっこう大事だと思います。

 たとえば、何か売り込みにきた営業マンが自社について説明しているときに、「われわれはこういうことをやっていて……」と言っていたのが、突然、「私はこういうことをやろうとしていて……」とか、ふわっと主語を変える人がいます。

 たまたま言い間違えただけというのもあるのですが、そういう場合、会社の方針に反するような自分の思惑を話していることもあるわけです。

 じつは人間の言い間違いは、無意識が言葉に出ている場合があるのですよ。なので、おいらは「あれ? なんでいま、主語をわれわれから私に変えたんですか?」と突っ込みます。すると、「いま言ったことは、会社は認めていないのですが……」といったことがわかったりするわけです。

 こちらは「どういう会社か知りたい」と思って説明を聞いているのに、単なる個人の思惑をその会社の方針と誤解してしまったら、その会社と取引するかしないかの判断も間違えてしまう……といったことがあるので、ビジネスシーンでは、案外「揚げ足取り」も重要なわけです。

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水道工事詐欺?

「神戸だいすき」から転載。
宗教や神仏の話、ディープステートの話、人生論の話をさせるとかなり主観性の強い人だなあ、と思って少々辟易するが、こういう実体験の話は多くの人の参考になる。
これはおそらく詐欺の一種だろうが、こうした「詐欺かどうか不分明な」詐欺は警察や役所もほとんど取り締まらないのではないか。


(以下引用)


水道が、もれてます・・・と通知が来てね

10月の検針で「常より、ずいぶんたくさん回っています。水漏れではありませんか、業者に見てもらってください」という通知が入りました。


通常の、このころより額にして2000円ぐらい多いと言う(私は、馬鹿主婦だから、そんなものつねひごろ記録してないからわからない)


そこで、指定業者と言うところに電話しました。

業者は、各水道栓ごとに、聴診器みたいなので、音を聞いて、結果
「どこで水漏れしているか、わからない」と言う。

「わからないって?」
「メーターのまわり方をみたら、ぽつんぽつん程度なんですが、どこがわるいか、音を聞いてもわかりません。」

「では、どうしたらいいの?」
「どこが悪いかわからないから、床下をはっている水道管を全部敷き直しましょう。」

「そんな・・・日にちはどれだけかかって、費用はいくら?まさか、100万なんて言わないでしょうね。20万なら覚悟してたけど(ご近所で20万で工事をしていたので)」
「100万なんて、まさか。けど、20万では・・・」

後日、見積書が届いたら、水道のメーターから家に引き込む水道管を全部新設して約43万円!

「こんなもの、このとおりに、はいはいといって、工事はできへん」と、私は、夫に言いました。
「どこが悪いかわからずに工事が完了しても、結果、まだ、水がもれる可能性がある。原因を確定して手当てしない限り、信用できない。」

第一、考えてみてよ、築40年、もう、木造住宅としての耐用年数を過ぎている。
なんとか、使いのばして、住人の寿命までもたせたいとは思うけど、その後は、壊すだけ。

それが、どう長く見積もってもあと20年だ。

43万円の工事費を20でわったら、2万あまり・・・一年2万円までなら、工事なんかしなくても、とんとん。

いつまで、生きるのよ!もしかして、後10年なら、毎年4万払える。

近所の20万で工事をした人に尋ねたら、「水道管の圧を測って、場所を特定してもらえた」という。

当たり前でしょう!!いまどき、めくらめっぽう43万投げ込む馬鹿がどこにいるのよ。
「どうするんや?どうするんや?」と、背後で、おろおろしている夫を黙らせて、考える。

昨日、息子と会ったので、その話をすると彼は「床下の水道管と言う選択肢はない」と言い切った。
「市の指定業者だからといって信用しなくていい」

息子になぜ、尋ねたかと言うと、彼が、家を新築したのに水漏れする・・・と、長い間、ぶつぶつ言っていたからだ。
「あんたとこは、どうしたの?」
「うちは、たまたまいい業者にあたった。
それで、納得のいくように説明してもらえた。
床下をはっている配管は、よほどのことがないと、穴なんかあかない。しかも、そんなところに穴が開いたら、水圧が強いから、じわじわ漏れたりしない。ものすごい勢いで噴き出す。
だから、噴出していないと言うことは、床下は除外。その43万の話は不要。

故障がおこるとしたら”継ぎ目”だけど、水漏れでもっとも、多いのは、トイレらしい。
タンクに溜る水が、見えない程度滲みだしている場合、
それと、シャワーも、多いらしい。

シャワーの蛇口を締めたつもりでも、すこし、甘くて、じわじわホースをつたって上に上がっている。でも、漏れ出さない程度だから気付かない。

うちの場合は、水道管を切って圧を測ってくれた。
そこまで、しないと43万なんて詐欺みたいなもんやで。
消費者センターに、駆け込まないと」

「いやいや、まだ、1銭も払ってないから、かけこまへん。
そらねーばあさんと、半身まひのじいさんが出てきたら。むこうも、楽勝やと思うわね。

この世代は家のローンも終わっているし、その程度の金は持っている。
なかなか、消費者センターには、かけこまない」

近所でも「屋根を見てあげましょう。見るだけなら無料です」という業者が来て、「棟瓦がづれています35万」と言われたんだって。

「でどうしたん?」
「主人が工事をすると言って・・・」

「雨漏りしてるの?」
「別に」

こういうの、多いと思うよ。
おれおれ詐欺もさることながら、「人のよさそうな顔をして、年寄りに甘えて」必要でもない工事をさせる。

羽根布団を買わせたのと、同じ手口だよね。

「まー、この子かわいいから、おばあちゃんお金出してあげる・・・というのなら、それはトントンやで、おばあちゃんも嬉しくなったんやから」と、息子。

微妙な問題やね。

今、思い出したけど、私が働いているころ、主人一人留守番してるとき、屋根業者が、勝手に屋根に上がって、どういう口実だか、10万とっていったことがあったような気がする。

男も、年を取ると騙されやすくなるなー
うっかり、留守できない・・・騙しやすい家のリストに載ったかもしれん。


しかしながら、私のこれからの課題は、まず、シャワーの栓をがっちりしめてからメーターを確認する・・・これで、動いてなかったら、万々歳だけど。

そうでなければ、トイレの水にかかって、最後、自分でどうにもならなかったら、もう一度、業者をさがして、ちゃんと圧を測って、場所を特定してもらう・・・何か月かかるかわからないけど、ね。

訳もわからず、43万も、出してたまるか。

異変は、この夏、あまりの暑さにシャワーを日になんどもかかったところから、発生しているからね。

絶対温感と相対温感

人間の体が外界の温度を感じる「温感」は、絶対温感ではなく相対温感である。
つまり、前日より急に冷え込んだ場合は、たとえ14度程度でも異常に寒く感じるし、前日が10度程度の時に今日が14度ならむしろ暖かく感じるようになっている。
まあ、通常は、数日かけて体がその気温に慣れていくので、冬のさ中には案外寒さを感じないのである。
風呂の温度もそうであり、冬場に体が冷え切っている時には、30度程度でも当初は暖かく感じるし、38度39度で十分に熱いのだ。つまり、冬場はさほど風呂の温度を上げる必要はなく、私の場合なら39度にしている。40度だと、冷え切った体にはむしろ痛いくらいの熱さなのだ。38度でもいいが、それだとすぐに体温と同じ温度に下がるから湯冷めをするだろう。
部屋の暖房でも、夏場は18度でも涼しくて快適なのに、冬場だと温度設定を24度から25度くらいにしている家庭が多いと思う。実は、18度でも暖かいのであり、私などは個室では16度にしていて、それでも暖かい。それ以下にはおそらく「暖房」の温度としては設定されていない。
エアコンの長所は、湿度を下げるところにもある。私の個室だと、冬場は湿度が70%くらいあって、押し入れの中の物がかびる恐れがあり、湿度を下げるために暖房を点けているという面もある。点けると、テキメンに湿度が50%以下に下がる。
冬場だと外に干しても洗濯ものが乾きにくいのは、気温が低いところで空気中の水分が飽和してしまうからだろう。つまり、暖房は洗濯物を室内で乾かすのにも有効である。まあ、乾燥機付きの洗濯機を使うのもいいが、暖房なら人間も一緒に温められる。
なお、エアコンの稼働コストは、室外の気温との差が大きいほど高くなり、小さいほど安くなる。
つまり、夏場は高めの温度に、冬場は低めの温度に設定するのが賢い利用法であるし、そのほうがおそらく健康にもいいはずだ。体自体が自然の気温に適応するように作られているのだから、あまり室外の気温とかけ離れた温度に設定するのは賢明とは言えないだろう。

天道は「是か非か」ではなく「明るいものの味方」

「神戸だいすき」という、どちらかと言うと政治記事の多いブログの記事だが、人生論として面白い。
特に、幸運の神(女神かどうかは知らない)が、「善悪ではなく、明るい人間を好む」というのは、これはいいところを突いていると思う。
実際、成功者というのは悪どいことをやることも多いが、基本的には明るく前向きの思考の人間が多いのではないか。周りに人間を引き寄せるのも、明るい人間だし、周囲に人が多くなれば成功の手がかりもつかみやすい。
まあ、私は昔から平凡無難な一生が一番、と思っていたし、人付き合いも苦手だし、そろそろお終いも近い年齢だから、私には無縁の話だが、下の記事は若い人には参考になると思う。


(以下引用)


幸せの青い鳥

私は、両親が不仲で、母親が(当時は気付かなかったけど)うつ病で、精神不安定だった・・・さびしい、悲しい生い立ちでした。

だから、なんとかして幸せになりたいと思いました。

世の中の人みんなが幸せであってほしいと、願いました。


どうしたら、幸せになれるだろうと、様々な工夫と努力をしました。


その結果、心は外向きでなければ

利他の心でなければ、明るくなれないと気付きます。


つまり「自己中心」であっては、ダメなんです。


ところが、この自己中心という言葉が表す意味に二つあって

「我利我利亡者」=自分さえよければいい。なんでもかんでも欲を出して我田引水・・・というのが「自己中心」だと思われがちですが、

これが、微妙でね。

「自己中心」というのは、決して「自分になんでもかんでもとってくる」ことではないんですよ。

そうではなく「常に一人称でモノを考える人」が、自己中心なんです。

なにかがうまくいかないとき
「私は、ああいう努力も、こういう心遣いもしたのに、なんでうまくいかないの?」と「私は・・・」という人は自己中心なんです。


そうではなく「これが、ダメなら、次は、どの手で行こうか」と、思いを外に向ける・・・これが、大事なんです。

そもそも、幸せな人を観察していたら、必ずしも「善良」ではないのに、なぜ?というのが、多くあるでしょう?

反対に、一生懸命他人に、尽くしているのに、なんで、あんなふうに気の毒なの?という善人がけっこういるでしょう?

神さまは不公平だ!!というケースはよくあるんです。
こんな状況をほっておくなんて「神も仏もあるものか!」と、思うことありませんか?

あれねえ・・・観点が違うんですよ。

神仏の助けは、暗い顔をして、恨みがましく「なんで、こんなことに・・・」とうつむく人には、来ないんです。

他人様からずううずうしいやつ!と、思われても、明るく、豪快に、素直に「ほしい」と手を出して、「よっしゃー、やったー」という人に、幸運はやってくるんです。

幸運の神様が見ているのは、人の明るさですね。
明るくて水平線より、高いところに常に視線を置いて、希望を持っている人
(この人が、いい人か、ずるい人か、冷たい人か、・・・そういう角度は、要らないんです)

反対に、ふと気づくと、視線が、ぽとりと足下に落ちて、ため息をつき、「じっと手を見る」人には、幸運の女神は微笑まない。
「暗さがきらいなんですね」

ただ、それだけですよ。私の見るところ。
「大丈夫、心配しなくていい、必ずいいようになるから。
最後は、一番よくなる」
そう言い切り、思い切る人でないといけないんです。

暗い運命を引き寄せてしまいます。

そのことに気付くまで、私は、善良で真面目な、献身的な暗い人でした。
だから、いつも人生にケチがつく。

なんで、私だけ、なんで、こんなことに・・と、いつも、心の中で、自分の傷をなめている。

いい人なんですよ。
他人様をだまそうとか、傷つけようなんてしない。

何か、うまくいかないと、他人を責めないで、自分を責める・・・なにしろ善良なんです。

でも、これって駄目なんですよ。
「自分」も、責めてはいけないんです。
自分だからいいだろう・・・と、自分を責めたらいけないんです。
此の世で一番大切な自分じゃないですか。

その一番大切な人を責めたり貶めたらいけないんです。
この人生を引き受けます!と言って、此処に出てきているのに。
その人生をくらーく見てはいけないんです。

自分を劣ったもの、無力なもの、弱いモノ、悲しい存在、なにもできない、いくら努力してもどうしようもない・・・そういう風に貶めてはいけません。
これが、人生における最大の罪です。

他人の金品を盗むよりなお悪い。
少なくとも、自分を幸せにすると言う点では、最悪です。

ということが、わかってからは、私は、物事がうまく進まないときにこそ、勇気を出します。
「野球は2ダウンから」
「きたか!こういうことは毎度のことだ、必ず抜け道がある」

「大事なことには、必ず妨害が入る・・・その妨害を乗り越えたとき、人は、本物になる。
よっしゃ!ほんものに、なるチャンス到来!」

これが、幸せな人の考え方です。

自分のことなんか、考えていません。
あれを、こうして、ああして・・・と、ものごとの手順とか理念ばっかり追いかけている。

そういう心の働きが、人を幸福へと導きます。

まあ・・ところが、なかなか目線を水平線より高いところに持ち上げるのは、難しいんですよね。癖ですからね。ふと、目線を落とすのは、癖ですから。

なかなか治りません。

けど、自分がうつむいていると気付いたら、視線を上にあげる努力をすべきです。
繰り返し、繰り返し、それが習慣になるまで。

それぐらいの努力ができなくて「幸せになりたい」なんて、言葉を言うんじゃないよ。
自分の人生を助け起こせるのは自分だけ。
人には、他人の人生を引き起こす力なんてないんだから。

幸福になるための力は、各人、自分の中に持っています。信じることです。

世界を少しだけ幸福にすること

林原めぐみではなく、一般人のようだwww
まあ、生活の知恵ということでメモしておく。
おそらく実体験だろうから、信頼していい情報ではないか。そして、こういう悲惨な出来事は身近な人しか知らないことなので、ネットなどで知識を共有していくのはいいことだ。
小さいが、世界を少しだけ向上させ、少しだけ幸福にするのが、こういう「自分の利益とはまったく無関係の、本物のボランティア」である。何も被災地に行ったり、障害者(その他もろもろ)のために何かをすることだけがボランティアではない。



さんがリツイート

昨日砂糖を盛大にひっくり返した私ですが、これまで色んな粉をひっくり返し学んだ教訓をお伝えしたい。

「カレー粉は掃除機で吸うべからず」

カレー粉を一度吸い込んだが最後その掃除機は息絶えるその日まで一生掃除する度にカレー臭。フィルターを洗っても無駄です。いいですかカレー粉は掃(文字数