忍者ブログ

独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

「認知障害」は末期老人にとってひとつの救いである

「認知症」という気持ちの悪い言葉を作った医者(記事内で認知症の第一人者と書かれている)が自分が認知症になってどう感じたかという記事だが、大半はセンチメンタルな内容で読むだけ無駄である。だが、この部分は実は最近軽い認知症になったと自覚している筒井康隆も同じことを言っている。実際、客観的に考えてもそうだろう。
なお、私が「認知症」という言葉が嫌いなのは、「認知」は「症状」ではないからである。単純に「認知障害」で良かったのである。あるいは「認知不全症候群」でもいい。
なお、「末期老人」という言葉は私が今作ったが、既にある言葉かもしれないし、無いなら作るべきだろう。言葉が無いと論じられないからだ。「終末期老人」でもいい。さすがに「臨死老人」とは言えないが、事実はそうだろう。(私自身それが目前である)

「認知症」は英語では「Dimentia」と言うようだ。日本語に直訳したらどうなるか、後で調べたい。dimensionと関係があるのだろうか。

(以下引用)


認知症とは何か。それは、ひとつの救いだと長谷川さんは言う。

photo

「余分なものは、はぎとられちゃっているわけだよね、認知症になると。(認知症は)よくできているよ。心配はあるけど、心配する気づきがないからさ。神様が用意してくれたひとつの救いだと。」(長谷川さん)

取材の最後、長谷川さんに尋ねたいことがあった。「認知症になって見える景色はどんな景色か」―。

「変わらない、普通だ。前と同じ景色だよ。夕日が沈んでいくとき、富士山が見えるとき、普通だ。会う人も普通だ。変わらない。」(長谷川さん)













PR

老人の睡眠

ゆうきまさみのツィートだが、私の場合も似ている。
なぜ睡眠が短時間しか続かないのか、不思議だ。その短時間睡眠で十分に眠れたらこんないいことはないが、残念ながら数時間でまた眠くなるので不便なのである。
私の場合、最初に四時間ほど、二度目の睡眠が二時間から三時間くらいだろうか。二度目の睡眠は眠るというよりウツラウツラしているだけという感じである。
まあ、これでは通常の社会生活と言うか、普通の仕事はできないだろう。

(以下引用)


仕事終わると、チョー眠くて布団に入るわけです。ところが2〜3時間で目が覚めちゃう。仕方がないから起き出して、ボ〜っとしているうちに腹が減ってくるので、何か食ってまたボ〜っとしてるとまた眠気が来て布団に入る。するとなんと「おお! 8時間眠れてしまった!」

「濃厚接触文化」の起源

「ナショナルジオグラフィック」記事で、この会社は科学的記事の取材を名目としたスパイ活動をしていると私は見ているが、時々面白い科学記事を書くことはあるし、素晴らしい写真撮影技術を持っているのは良く知られている。


(以下引用)


感染の原因、私たちはなぜ知らない人と握手するのか?

平和の意思表示? 細菌を共有できるほど相手を信頼している証という説も

2020.03.18
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
紀元前9世紀、バビロニア人と握手をするアッシリア王シャルマネセル3世をかたどったレリーフ。握手は古代の美術品にたびたび登場するモチーフだ。(PHOTOGRAPH BY DEAGOSTINI, GETTY)
[画像のクリックで拡大表示]

 私たちははるか昔から、友情を示したり、商取引を成立させる際に、握手やキス、ハグをしてきた。ただし、他人に触れるという行為は、不適切なものも相手に伝えてしまう。

 新型コロナウイルスの感染者が増えるなか、フランスでは国民的な習慣となっている頬へのキスを当面控えるようにとの警告が発せられた。世界中のビジネスの場では、握手のかわりにひじをぶつけ合う挨拶が採用されている。

 知らない人と触れ合うこうした習慣は、いつどのように始まったのだろうか? かつての感染症の流行の際に変化はあったのだろうか?

 握手の起源として有力な説は、平和の意思表示として始まったというものだ。互いの手を握るという行為は、武器を手にしていないことの証になり、その手をゆさぶることで、相手が袖の中に何も隠していないことが確認できる。

 世界各地に残る古代の壺や墓石、石版などには、数多くの場面で握手のモチーフが登場する。結婚の場面はもちろん、神々の契約、戦士が戦いに赴く場面、死者が死後の世界に到着する場面にも、握手が描かれている。文学作品である『イーリアス』や『オデュッセイア』にも登場する。

 一方で、握手はその万能さゆえに、描かれている場面の解釈が難しくなる。「握手は今日でも人気のあるモチーフです。現代人もまた、握手を複雑かつあいまいなものだと感じているからです」。美術史家のグレニス・デーヴィズ氏は、古典美術における握手の使われ方についてそう述べている。

数千年前から、握手はさまざまな目的のために用いられてきた。写真は遊説中に支持者と握手を交わすロバート・F・ケネディ上院議員。(PHOTOGRAPH BY BILL EPPRIDGE, THE LIFE PICTURE COLLECTION/GETTY)
[画像のクリックで拡大表示]

 米国で握手が広まったのは、18世紀のクエーカー教徒の影響が大きいと思われる。階級や社会的な序列に関係なく振る舞おうとしていた彼らは、当時一般的だったお辞儀や帽子を脱ぐといった仕草よりも、握手の方が挨拶としてより民主的だと考えた。

「クエーカー教徒は仲間内で握手を習慣としており、それを今日の私たちと同じように、地位に関係なく誰にでも用いるようになった」。歴史家のマイケル・ザッカーマン氏はそう書いている。


 握手が廃れない理由を科学的に説明しようとする試みもある。2015年、イスラエルの研究者たちは、数百人にのぼる見知らぬ人同士の握手を撮影するという実験を行い、参加者の4分の1近くが、握手の後で手の匂いを嗅いでいたことを発見した。これについて研究者らは、握手は人間が無意識のうちに化学信号を検知するために行っている行為であり、他の動物たちが互いの匂いを嗅ぐのと同じ、コミュニケーションの手段なのかもしれないとの仮説を立てている。

 挨拶としてのキスにも、同じく豊かな歴史がある。キスは初期キリスト教に取り入れられ、宗教儀式の中で用いられた。「『ローマ人への手紙』の中で、聖パウロは信者たちに『きよい接吻をもって、互いにあいさつをかわしなさい』と命じている」と、アンディ・スコット氏は自著『One Kiss or Two: In Search of the Perfect Greeting(キスは1回、それとも2回:完璧な挨拶を求めて)』に書いている。中世において、キスは忠誠のしるしとして、また財産の移譲などの契約を結ぶために用いられた。(参考記事:「なぜ男は“ウェット”なキスをするのか」

 フランス語で「ラ・ビズ(la bise)」と呼ばれる頬への軽いキスは、現在、世界のさまざまな地域で定番の挨拶となっている。「ビズ」の語源は古代ローマにあると言われる。ローマではキスの種類によってそれぞれ個別の呼称があり、比較的穏やかなキスは「バシウム(basium)」と呼ばれた。パリでは、頬へのキスの回数は2回が一般的で、プロバンス地方では3回、ロワール渓谷では4回となる。頬へのキスはエジプト、ラテンアメリカ、フィリピンなどでも普及している。

 14世紀のペスト流行の際にラ・ビズの習慣は廃れ、復活したのは400年後のフランス革命の後だと考えられている。2009年にも、豚インフルエンザのせいでラ・ビズは一時的に行われなくなった。2020年2月末、コロナウイルスの拡大を受けて、フランス保健相はこう呼びかけて挨拶のキスを控えるよう求めた。「社会における物理的接触を減らすことが求められており、これにはキスの習慣も含まれます」

 ロンドン衛生熱帯医学校の行動科学者、ヴァル・カーティス氏は自著『Don't Look, Don't Touch(見るな触るな)』の中で、挨拶としてキスや握手が行われる理由のひとつとして、細菌を共有できるほど相手を信頼していることを示すというものが考えられると書いている。だからこそ、公衆衛生上の懸念事項がある時期とない時期に応じて、こうした習慣は流行したり、廃れたりするわけだ。(参考記事:「ペットとのキスはどれほど危険なのか?」

 看護師のリーラ・ギブン氏は、1929年に学術誌『American Journal of Nursing』に投稿した研究において、腕を高く上げて指を軽く触れるそれまでの挨拶が廃れ、握手が好まれるようになったことを嘆いている。ギブン氏は、握手が容易に細菌を拡散させることを示す過去の研究を引用しつつ、手は「細菌の媒介者」だと警告した。

 この研究の結論としてギブン氏は、友人と挨拶を交わす際には、当時の中国人が挨拶に用いていた自分の両手を組み合わせる仕草を勧めている。「そうすれば、少なくとも自分の持つ細菌を自分のもとから出さずに済みます」と、論文にはある。

参考ギャラリー:新型コロナ、非常事態ベネチアの厳しい現実、写真7点(画像クリックでギャラリーへ)
ベネチアのリアルト橋を消毒する作業員。前日の20年3月10日、イタリアのコンテ首相は新型コロナウイルスの感染拡大を抑えるため、イタリア全土に移動制限を適用するという先例のない措置を宣言した。(PHOTOGRAPH BY STEFANO MAZZOLA, AWAKENING/GETTY IMAGES)

文=NINA STROCHLIC/訳=北村京子









「健康的な生活」と脳梗塞

前にも載せたかもしれないが、作家山本弘の脳梗塞闘病記の最初のあたりだ。
要するに、完全に健康だった人間(書かれていないが、血圧も当然正常範囲だっただろう。)が、突然脳梗塞に襲われる、という話で、それなら高血圧の治療に何の意味があるかというと、医者によれば「脳梗塞などの可能性を(確率的に)下げる」というわけだ。そのエビデンスもある、ということだろう。
だが、私としては、正常血圧の人間も脳梗塞になる、という一点だけで高血圧治療を拒否したくなるのである。
なお、「物忘れ」は脳梗塞の前兆というより、既に脳梗塞になっていたということだと思う。いわば「微弱脳梗塞」とでもいうようなのが「物忘れ」なのではないだろうか。加齢とともに、その種の「微弱脳梗塞」が何度も発生し、その中で大きなものが手足の麻痺などとして表れるのではないか。
とにかく、どんなに健康的な生活をしていても脳梗塞になる可能性はある、というのが下の手記から分かる。だからと言って健康に努めるのが無駄というわけではないが、やたらと心配して好きなものも食わずあれこれ節制するのは、人生そのものを無駄にしているとすら思う。
ちなみに私は昨年軽い脳梗塞になったが、それを機に喫煙を再開し、酒も飲み続けているwww 
あと数年の命だとすれば、禁酒禁煙する意味などない。

第4話 前兆・その1

 僕がこんな事態を招いたのには、何か決定的な前兆があったのだろうか。

 僕は数日に一度、美月の帰りが遅い日など、自宅での一家団欒の夕食をあきらめ、外食で済ませている。だが別に暴飲暴食をしているわけじゃない。近所のラーメン屋や鉄板焼の店、あるいはコンビニで売っている夜食ぐらいのものだ。

 普通の日は家で食べている。普段食べないような豪勢な食事なんて、月に一度くらい、東京に行ったときに食べるささやかなご馳走ぐらいのものだ。(秋葉原の『肉の万世』のロブスターは特にお気に入り)

 妻はかつて、僕がポテトチップスを食べるたびに渋い顔した。塩分の取りすぎだと。確かに一袋に一グラムの食塩は多すぎる。最近、僕はその悪癖をあらため、いっぺんにポテトチップスを食べないことにした。

 甘いものが昔から好きだ。医師から血糖値が高いとよく警告されていた。だが常人に比べて何倍も高いわけじゃないし、血糖を抑える薬も飲んでいる。何にせよ、いきなり破滅的な影響が出るとは考えにくい。

 それに僕は酒も煙草もやらない。信じられないほど健康な人間のはずなのだ。僕より不健康な暮らしをしている人間はいくらでもいる。

 しかも僕は、今年の一月、吹田市の国立循環器病研究センターで、レントゲン、CTスキャン、MRIなどで徹底的に検査を受けた。脳などの機能に異常がないことを確認してもらうためだ。

 そう言えば、テクネシウムシンチという珍しい検査も受けた。テクネシウムという特殊な放射性元素を血管に入れ、詳しく調べるものだ。テクネシウムの半減期はきわめて短く、たった一日で使えなくなってしまう。シンクロトロンなどで作ったものを運んできて、その日のうちの使い切るのだそうだ。そんなに半減期が短いということは、たちまち他の元素に変わってしまうので、安全なのだ。

 しかし、テクネシウムシンチを行っている部屋に気になるところがあった。部屋の入り口には「RI室」と書いてあるのに、RIとは何の略なのか書いてないのだ。ラジオアイソトープ(放射性同位元素)の略に決まってるのに。

 それに看護婦が血管に注射する時に、「お薬の注射を入れます」としか言わなかった。世の中には科学にうとい人もいる。「放射性同位元素を入れます」と正直に言うと、不安に思う人もいる。それを警戒したんだろう。

 僕みたいに、『日経サイエンス』を毎月読んでいて、テクネシウムシンチなんて言葉を知ってる人間の方が少数派だろう。放射線は大量に浴びると危険だが、X線など医療に用いる程度の量なら心配はいらない。僕などはむしろ、あまり聞いたことのない珍しい元素を体内に入れられると知って、わくわくしてしまったのだが。

 何にしても、精密検査では何も発見されなかった。

 脳梗塞は医師にも予知できない突然の出来事だったのだ。

 だが、僕にもある種の予兆はあった。あとから思い返すと、不気味な前兆は数ヶ月前から忍び寄っていたのだ。

 このところ妙に物忘れが多いということは、内科の診察でも訴えていた。日常生活でふと固有名詞が出てこないことがあるとか、小説を書いていて登場人物が思い出せなくなるとか。

 それ自体はたいしたことじゃない。誰でも日常生活でよくあることだし、分からなければ、ネットで検索するか、自分の小説なら過去のデータを読み返せばいいことだ。だがやけにその件数が増えてきていることが気になってはいた。

 小説家は頭が資源だ。何か頭に重大な異変が生じている前兆ではないのかと疑ったのだ。

 だが医師は僕の訴えを無視した。「年を取ると忘れっぽくなるもんですよ」と。

 そして体調に異変が生じた。

 身体に生まれた異変の最初のものは、異常な疲労感だった。その日の執筆の仕事が一段落し、仕事場のマンションから帰ると、なぜか奇妙に疲れている。二階への階段を昇るのさえ一苦労で、時には最後の数段を這い昇らねばならない時もあった。

 イベントで東京に行った時のこと。会場がやけに狭い階段で、三階まで昇ったところにあるのだが、僕はノートパソコンもっていったせいで、情けないことに途中でギブアップ、パソコンをスタッフの人に運んでもらったことがある。

 ひどい恐怖を味わったこともある。台風の近づいた風の強い日のことである。たまたま近所を歩いていた僕は、吹きすさぶ強風になぜか歩調を合わせ、風に合わせて全力疾走していることに気付いた。

「ちょっと待て!   僕は何で風に合わせて走ってるんだ!?」

 わけがわからなかった。しかし、危険な行為であるのは確かだ。通行人にぶつかったら怪我を負わせてしまうかもしれない。僕はただちに風に立ち向かうのをやめ、自宅に帰ることにした。

 この謎はしばらく解けなかったが、後になって病院でリハビリを受けるようになって判明した。両足の機能が麻痺し、リハビリをしなくてはならなかったのだが、その際、気がついたのだ。悪くなった脚は、常識とは逆に反射的に小股になり、歩調はそれに合わせて速くなるという事実に。

 つまり、風に強く吹かれた際に、僕は悪くなった脚に負担をかけまいと、自然と歩調を風に合わせて歩くことにしたわけだ。もちろん、歩調を風に合わせて速くするのにはそれなりのエネルギー消費がともなうのだが、当時の僕の無意識にとっては、身体に無理をかける行為を何より嫌ったのだろう。

 今になってみれば、あのおかしな不条理な行動は、身体の異変に僕の脳が先回りして気付いていたことの証明である。全身の機能が麻痺しはじめていることに。

 脳はしばしばその人自身が気付かないことに気付く……それは僕が自作『僕の光輝く世界』で書いたことである。しかし僕自身がそれを理解していなかった。僕は脳が発していた異変の前兆を無視したのだ。

 いやまったく無視していたわけではない。僕が前述の国立循環器病研究センターで精密検査を受けたのも、度重なる異変が何か兆候ではないかと危惧したからだ。だが最先端の医療設備でも、何もおかしな点は発見できなかったのだ。

高血圧の人向けの酒とつまみ

これは、ついでに、という感じだが、酒は毎日のように飲むので、私には重要事項である。
私は何となく最近は赤ワインか日本酒中心で、プチトマトをつまみのひとつにしていたが、虫の知らせだったかwww


(以下、引用先は同前)


「血圧」を適正化させる“酒”と“つまみ”(2)日本酒が血管を若返らせる

 では血圧を急変動させないためには、具体的にどんな種類の酒を選ぶべきか。秋津医師は語る。

「先にも触れたように、酒を飲めばいったんは血圧が下がります。でもこれは一過性のこと。長期にわたって飲み続ければ、やはり動脈硬化は避けられません。飲むのなら、動脈硬化を予防するポリフェノールが多く含まれる赤ワインなどを選ぶほうがいい」

 1992年、フランスのセルジュ・ルノー博士が、大量に脂肪食を摂取しているにもかかわらず、フランスでは心臓病やガンによる死亡率が他国に比べて低い理由は、国民が多飲する赤ワインの中に含まれるポリフェノールに抗酸化作用と血液凝固抑制作用にあることを発表。赤ワインは一躍注目されることになった。

「赤ワインを飲んだからといって動脈硬化が治るわけではありませんが、赤ワインは酒の中でも動脈硬化を抑える成分が多い。あとはアミノ酸を含んだ日本酒。これも同様に動脈硬化予防作用が期待できるので、飲むのなら蒸留酒よりも醸造酒のほうがお勧めです」(秋津医師)

 滝澤医師も「アミノ酸をたっぷり含んだ『天之美禄』である日本酒が一番」と断言する。

「日本酒を飲むと、他の酒類を飲んだ時より長時間体温が2度ほど高い状態が続き、皮膚表面の血液循環がよくなる。頬がほんのり染まってくるのは、末梢神経が広がり毛細血管の働きが活性化するからです。また日本酒には15%程度のアルコールとアミノ酸、糖分、ビタミンなど120種類以上の栄養物質が含まれていますが、中でも3大栄養素のひとつであるアミノ酸には血管を拡張させる作用が。アミノ酸が2〜10個程度つながったペプチドは血圧を降下させる作用があります」

 人間は血液により脳細胞や心筋へ栄養物を供給しているが、年を取ると血液の溶解作用が弱まり、血小板が凝集することで血栓ができる。結果、血液の輸送を阻害してしまうのだ。

 日本酒には血栓を溶解する酵素であるポリフェノールやウロキナーゼ、プラスミノーゲンなどが含まれているので、血液をサラサラにしてくれて血圧の急変動も防ぐ。だから、動脈硬化の防止に効果的なのだという。

「動脈硬化を引き起こす大きな要因のひとつが、動脈内壁に沈着した悪玉コレステロールの酸化です。日本酒に含まれるポリフェノールには悪玉コレステロールを酸化させないビタミンCやE、グルタミンなどの抗酸化物も多く含まれています。つまり、日本酒を飲んでいれば、血管も『ほろ酔いついで』に若返るというわけです」(滝澤医師)

 ただし、空腹での飲酒は血圧を急変動させる呼び水になるので注意を。胃が空っぽだとアルコール成分が胃で急速に吸収され、血中アルコール濃度が急上昇。肝臓での分解が追いつかなくなると血圧が大きく変動し、悪酔いの原因にもなるのだ。

 ならば、この目線で「つまみ」にもこだわってみよう。

 酒のつまみと言われて、まず思いつくのが、この季節なら枝豆だ。枝豆のたんぱく質にあるメチオニンはアルコールの分解を助け、肝機能の負担を軽くする。

 さらに枝豆は、高血圧の原因となるナトリウム(塩分)の排出を助け、利尿作用を促すカリウムを多く含んでいる。血圧適正化の意味において、実に理にかなった食べ物と言えよう。できればお皿に山盛りの量を用意しておきたい。

 加えて、栄養満点でアルコール代謝にも絶大な効果を発揮するのがトマトだ。ある実験では、酒を飲んでいる時にトマトを摂取することで、アルコールの代謝に関わる酵素が活性化し、体内アルコール濃度や体内にとどまる量が抑えられることが明らかになっている。つまみとして楽しむのはもちろんのこと、トマトジュースをチェイサーにしてみたり、焼酎割りで楽しむのもアリかもしれない。

 あるいは、お酒の前にコンソメスープやポタージュスープを飲んでおくと、血圧の急変動を抑えてくれる。自動販売機やコンビニなどで缶入りの温かいスープを手に入れておくといいだろう。