忍者ブログ

独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

「ever」は過去にも未来にも使う

恥ずかしながら、私は「ever」は「かつて」という、過去のことについてのみ使う言葉だと思っていた。下のツィートを見て、「いつか」と訳されているのに驚いて(実際、「かつて」だと意味不明の文になるのだが)、辞書を引くと、「いつか」「かつて」の順に訳語が並んでいた。私はおそらく「ever」を辞書で引くこともしなかったのか、あるいは引いても「かつて」という訳語だけが頭を占領していて「いつか」という字句が頭の中に入らなかったのだろう。いや、「いつか」を過去を表わす方の「いつか」と即断して、それなら「かつて」だけ覚えればいい、と思ったのかもしれない。
学校時代に我々(いちおう、私だけではない、としておく)の学習した内容には、そういう穴がたくさんありそうだ。
ただ、「いつか」も「かつて」も同じ言葉で表すのは不便ではないのだろうか。つまり、たとえるならば、「プラス」も「マイナス」も同じ言葉で表して算数や数学が成り立つのか、ということだ。




さんがリツイート

町山智浩さんの連載「映画の台詞(コトバ)」第34回は、『Can You Ever Forgive Me?~いつかあなたは私をゆるしてくれるかしら?』をご紹介。この映画、アメリカで批評家から激賞されているのですが、日本公開未定…。どんな映画かはぜひ本誌にて!

PR

「希少種=高い価値」ではなく、「希少種=需要が無いもの」

ローソンの500円コーヒー(?)についての「ネットゲリラ」記事の一部だが、コーヒーに詳しいらしい人のコメントもいくつかあって、勉強になる。
特に、「希少種というのは需要が無いから稀少になるのだ」、というコメントは秀逸。こういうひねくれた視点は大事である。


(以下引用)


-----------------------
今、コーヒー豆の値段が凄い上がってるから値上げしたいんだろうけど
誰がローソンでそんな価格のコーヒー飲むかよ

-----------------------
希少〇〇ってマーケティング流行ったの1年くらい前だろ
何もかもズレてんだよな~
だいたい希少〇〇って基本的に「言うほど需要ありません」の意味だから
このフレーズで美味さとかは全然担保してない
-----------------------


-----------------------
↑ローソンの豆って、どうせフルシティローストだろ?
あんなの焦げ味ばかり強調されて、繊細な味なんて分かりゃしねぇじゃんwww
フルシティやイタリアンって、土臭い様な安物豆を、何とか美味しく飲む為のもんだろ?

-----------------------
ググったら小売値で100g2000円くらい
500円はボリすぎだわ
てか、100円コーヒーの豆、いくらで仕入れてるのよ?
-----------------------
↑ローソンのは知らんがセブンイレブンのは1袋250gで約390円
1袋でRサイズ約13杯分
-----------------------

-----------------------
高いコーヒーは回転が悪くなり不味くなる
そこをどうするのかを知りたいんだよね?

-----------------------
↑高いの売るのは専門店でも難しいんだよね
格付けで売れなくてもいいぐらいで置いてる
メニューには書いてあるけど実際置いてないという場合もある
ブルマンがなくて専門店と言えるのか!って言う人への対策で
だからまー飲み頃に当たる事なんかねーんだよな
もう香りもへったくれもない状態で焙煎がいつか分からんという
最悪の状態だな、それ
-----------------------


-----------------------
舌は美味いと脳に伝達しても、紙コップで立ち飲みしたのでは、脳がその伝達を受け入れない。
あまり動く商品ではないし、劣化も気になるところ。

-----------------------
上のほうでも言ってる人が何人かいるけど、コーヒーを紙コップで飲むなんてもってのほか
紙の匂いが付いて台無しだ・・・
コーヒー豆だって、ちゃんと瓶に保管してなくてビニールのジップパックか何かで保管しちゃうんじゃないの?
ビニール臭が豆にガッツリ付いちゃって、これまた台無しの糞コーヒーになる

-----------------------
どんな高価なコーヒーでも、ごく普通の安タバコに勝てない。コーヒーの役目・存在価値とは、旨いタバコを吸うために喉を調整する事に尽きる。
-----------------------



-----------------------
↑安い豆を深炒りにしてるだけだよ
深炒りにすると豆の個性が消える=どんな屑豆でもokさらに深炒りにすると豆が柔らかくなるからカッターも傷まず少ない量で濃いコーヒーが作れて香りもよく飛ぶ
良いことだらけ

中浅炒り豆をたっぷり使った酸味がきいた濃いコーヒーは良心的な喫茶店か自分で焙煎して淹れるしかない

-----------------------
ブルーマウンテン"入り"のコーヒー

豆一万粒に一粒の割合でも、そう表記できるんだよね。
そもそも、ティピカ種はコンビニで大量販売する程の量は収穫出来ないw
手っ取り早く粗利を稼ぎたいんだろうw
-----------------------
↑なぜか日本全国どこでも買える魚沼産コシヒカリと一緒です
-----------------------


-----------------------
家庭用焙煎機とミルを買って生豆を複数種買って
ブレンドの割合を自分で工夫してやっとまともなコーヒーが飲める
一般に出回っている焙煎済みの豆は数ヶ月経過しているものと考えた方がいい

-----------------------
焙煎からの日数はハンドドリップで淹れた時に最初の蒸らしでおおよその見当は付く
新しい豆は膨らむが古い豆は膨らまない 膨らまない豆を売る店では買うな
-----------------------
↑cmみたいに膨らむのはまだガス抜き不足
膨らむ元は豆の中の炭酸ガス
焙煎して3日くらいからガスが抜けて味が落ち着いてくる
この頃から派手には膨らまなくなる
焙煎から10日もするとほとんど膨らまなくなる
味も落ちてくる
-----------------------



思考の物置としてのブログ

小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」から抜粋転載。
下で小田嶋師(私は彼を師のひとりと勝手に決めている。もちろんネットや本でしか知らない。)が言っているのは、まさしく私が文章を書く理由である。文章にするまでは、自分の考えも気持ちも私には明確にならないのである。いろいろなモヤモヤしたものが、文章化されると明確になり、そのほとんどは「解決済みの問題」としてどこかに仕舞われる。それでいいのである。いわば、精神衛生のために書いているから、読者はいなくてもいいわけだ。
ただ、ブログにしておけば、後で自分で再考察できるから、いわばブログは「自分の思想や感想の物置」なのだ。

(以下引用)

 文章を書くことの効用のひとつは、自分が何を考えているのかを知るところにある。
 特に今回のテーマのような錯綜した話題は、普通に自分のアタマの中で考えているだけでは、いつまでも行ったり来たりするばかりで焦点を結ばない。

 その、自分のアタマの中に浮かんだり消えたりしている未整理な断片を、順次根気よく書き起こして行けば、自分の考えていることの全体像をある程度把握できる。このことは、逆に言えば、文章として整形して吐き出す以前のナマの思考は、実は自分にとっても意味不明であるケースが多いということでもある。

 そんなわけなので、私自身は、普段から、まずなによりも自分が何を考えているのかを知りたくて文章を書き始めている。






認知症でも本を楽しめる

これは朗報ではないか。認知症が完全回復はしなくても、本の中の世界が体験できるなら、生きる価値は十分にある。
私の持論だが、脳の中の世界こそが本物の現実である、という考えからすれば、本を読めるかどうかというのは現実でどんな生活をするかと同等以上なのである。


(以下引用)



読書を楽しむ認知症の高齢者「文字の向こうに別世界がある」

12/8(土) 16:00配信

NEWS ポストセブン

 父の急死によって認知症の母(83才)を支える立場となった女性セブンのN記者(54才)が、介護の現実を綴る。認知症の母は、数分前のことも忘れる。だから若い頃から好きな読書はもう無理だろうと、私は勝手に思っていた。ところが母は今も本や雑誌、新聞まで読みあさる。あるとき、自分の認知症の始まりは、読書中に気づいたのだと語り出した。

 * * *
「本を開いたらね、文字がこう…紙に埋もれちゃって、何が書いてあるか全然わからないの。すぐに私、認知症になったってわかったわ」

 母の認知症診断から早や5年、記憶や見当識の障害は徐々に進んできていると感じる今日この頃、一緒に立ち寄った書店で、突然、母が話し始めた。

 認知症家族歴5年にもなると、たいていの不思議発言は受け流せるが、さすがに驚いて母の顔をまじまじと見た。

「文字が…、埋もれてたの? それいつの話?」
「いつだったかしら? 私が認知症になったときよ」

 母は若い頃から読書が好き。いわゆる“本の虫”だ。国内外の文学全集から話題の大衆小説まで幅広く読破。私が仕事を始めてからは『女性セブン』の芸能記事も熱心に読む。「文字の向こうに別世界がある」というのが口癖だ。

“文字が紙に埋もれて”というのも母らしい比喩だが、私も頭が疲れているとき、資料の活字を何度たどっても内容が入って来ず、思考停止することがある。認知症の人の頭の中は、それと似た感覚なのかもしれない。認知症の人本人ならではのリアルな証言だ。

 母はさらに饒舌になった。

「若い頃は、本を読んでいると、文字が躍るように目に飛び込んで来たの。ススッと」

 これはわかる。おもしろい小説などは、文字に誘われて物語に引き込まれる。

「でもね、最近、私の認知症、治ったのよね」と、衝撃的告白。またまた驚いて母を見た。

「だって、また文字が躍るようになったんだもの!」

◆認知症でも読書の楽しさは実感できる

 母が認知症の診断を受けたばかりの頃は混乱がひどく、物盗られ妄想で私を悪魔のように罵ったかと思えば、無気力と激昂が不規則に表れた。いちいち私は動揺し、途方に暮れていた。以前のように読書を楽しみ、文学を語る母は消えたのだと思った。数分前のことも覚えていないのに、読書を楽しめるわけがないと。

 ところが違ったのだ。認知症発症から1年ほどして、今の住まいのサ高住に転居が決まり、母が長年かけてそろえた数十冊の文学全集を、処分せざるを得なくなった。たぶん母にはもう不要だが、宝物だろう。不安定な母をどう説得するか悩みつつ、恐る恐る切り出すと、思いがけない答えが返ってきたのだ。

「かまわないよ。もうこれは全部読んだし、また新しい本を買う楽しみがあるから」と。

 まだ本が読める…? 戸惑いながらも一筋の光を見出した気持ちだった。

 生活環境が整った新居で落ち着きを取り戻すと、母は本当に精力的に読書を再開した。通院などの外出先で目ざとく書店を見つけては、興奮気味に新刊本や雑誌を手に取って目を輝かせる。書店に入ったという出来事はすぐに忘れてしまうのだが、読んで、母の言う“文字の向こうの世界”を楽しむ瞬間は確実にあるらしい。書店の看板やズラリと並んだ本の表紙、活字などが、母を引き寄せるのだ。

 最近の母の愛読書は認知症関連の実用本。その前向きな心意気がうれしい。

女性セブン2018年12月20日号

酒好きとアル中の違い

勝谷誠彦というのはテレビ画面で一度か二度見たことがあるような無いような、そんな程度の印象しか無いので、その仕事内容は知らないが、確か大病の手術をして、自宅に戻ってすぐに酒を飲んだのが悪くてそのまま死んだとか何かで読んだと思う。
で、そこから、アル中の怖さがネットの話題になっていたと思うが、酒好きの死に方としては理想的なのではないかwww
大伴旅人だったか、中途半端に人であるより、来世では酒甕に生まれ変わりたい、と歌った万葉歌人もいたくらいで、酒好きが酒で死ぬのは本望というものだろう。
ただし、アル中というのは酒の味も何も分からなくなっているのではないか、という気もする。最初は美味くて飲んでいたのだろうが、末期には、酒であれば何でもいい、という、いわば「餓鬼道」に陥っているのをアル中と言うのだと思う。

「白珠の歯に沁みとおる秋の夜の酒は静かに飲むべかりけり」

と若山牧水が歌った酒の飲み方は、アル中とは程遠いものだろう。

ついでに言えば、長生きが幸福であるなどと私はまったく思わない。50歳以下で死ぬのはさすがに早いとは思うが、60歳くらいまで生きたらだいたい十分ではないか。老化に伴うマイナスを考えたら、70歳くらいで死ぬのが理想的なような気がする。そうすると、70歳定年だと死ぬまで働くことになり、私のようにテレビゲームをしたり漫画を読んだりするのが楽しみで生きている人間にとっては生きた意味も無いように思う。
私は「遊びせんとや生まれけむ 戯れせんとや生まれけむ」という梁塵秘抄の唄こそが人生の真実だと思う者である。
偉人の人生も、ある意味、気の毒だな、とすら思う。


(以下引用)




勝谷誠彦氏は肝不全で死去 長生きのために酒量減らす方法

公開日:

 コラムニスト・勝谷誠彦氏の死去にビックリした人もいるだろう。1960年12月生まれの57歳。8月に重症アルコール性肝炎で入院し、今月28日に肝不全で死亡した。

 勝谷氏は酒好きの上に、うつ病にも悩まされていた。

「とにかく酒が強かった。夕方から飲み始めて深夜1時、2時まで飲むのは当たり前で、一種のアルコール依存症。3年前の5月にうつ病を発症してから引きこもりがちになり、さらに酒量が増えたようです」(担当編集者)

 医学博士の米山公啓氏によると、日本酒を毎日3合飲む生活を5年以上続けると、アルコール性障害になる可能性が高まるという。肝臓のアルコール分解機能が低下して重症アルコール肝炎から肝不全で死亡したり、肝硬変から食道静脈瘤破裂や肝がんで死亡するなどいくつかのケースがある。いずれも飲み過ぎが原因だ。