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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

現代版八百屋お七か

これは、世界中のフェミニスト(主に女性)からの寄付のような気がする。

第一に、女を騙すのが商売の男は刺されて当然。
第二に、そういう男に惚れた女性(犯人)が可哀そう。
第三に、犯人はまだ若いうえに結構可愛いので、救いたい。
第四に、彼女は、普通の人間ができないことをやった、或る種のヒーロー(ヒロイン)であるし、愛のためにすべてを犠牲にするという女性性のシンボリックな存在である。

といった心情からのクラウドファンディングではないか。




さんがリツイート

新宿でホストをメッタ刺しにしたヤンデレちゃん、保釈金が海外のクラウドファンディングで集まったみたいwww

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「サインフェルド」のこと

アマゾンプライムに入っている人は、この「サインフェルド(となりのサインフェルド)」の視聴をお勧めする。ギャグの高度さという点では(こちらは日常的、あちらは非日常的でシュールという違いはあるが)、昔の「モンティパイソン」に匹敵するか、あるいはそれ以上だと思う。日常的な事柄から、よくこれだけ高度なジョークを考えるものだ、と感心するばかりで、自分のコミュニケーション能力を高めたい人は、頭の使い方(冗談の作り方)の参考になるかと思う。


となりのサインフェルド

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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となりのサインフェルド』(Seinfeld)は1989年7月5日から1998年5月14日までアメリカNBCで放送された、アメリカ人の4人に1人が見たという国民的コメディドラマで1990年代で一番の人気を誇ったニューヨークを舞台にしたシチュエーション・コメディ

フレンズ』の主要キャラの1エピソードギャラが10万ドルだった頃、主演のジェリー・サインフェルドの1エピソードのギャラは100万ドルであった。脚本主演のジェリー・サインフェルドと、共同クリエイターのラリー・デヴィッドが主に担当(のちにラリー・デヴィッドは降板)。

製作総指揮のジョージ・シャピロは、アンディ・カウフマンのマネジャーであり、ジェリー・サインフェルドのマネジャーでもあった。

登場人物[編集]

レギュラー[編集]

(OA版/DVD版)

本人が本人役を演じている。ユダヤ系。職業はスタンドアップ・コメディアンで、シーンの冒頭は彼のネタから始まる。彼のアパートのリビングがこの番組のメイン舞台となり、清潔好きなためか、よくほかの出演者に指摘される。ちなみにスーパーマンとシリアル好き。野球好きでニューヨーク・メッツファン、部屋にメッツの帽子が飾られ選手の写真も飾られている。ソフトボールチームにも所属している。
ラリー・デヴィッドが自身を投影したキャラクター。ユダヤ系。ジェリーとJFKハイスクール時代からの親友。ジェリーとの出会いは、JFK高校のジムにあるロープから、誤って足を滑らせ、床に落ちてきたところをジェリーがキャッチして親友になる。チビでハゲで短気で卑屈。仕事を始めてもすぐに問題を起こしてクビになってしまう。番組当初は一人暮しだったが、失業を期に親と同居。しかし初対面の女性には良く見られたいので、職業を聞かれると「建築家」と答える時がある。ながらく無職が続いたがシーズン5でレストランで出会った女性の紹介でニューヨーク・ヤンキースに面接に行き、面接の際に名物オーナーとして君臨し剛腕ぶりなどから、別名“ビッグ・ボス”と恐れられているジョージ・スタインブレナーに経営とチーム状態の不満を言い、その強気・姿勢が気にいられ採用され就職した。
ジェリーの元彼女。仕事は編集者。ジェリーと一度付き合って別れても、いまだに仲良く友人関係を続けていられるのはエレインだけ。ジェリー同様に異性にもてるがすぐに別れてしまう事が多い。車を持っておらず、運転する機会がなかなかないが、彼女の運転はとてもひどく、初めての免許試験の時に、犬をひいたとうれしそうに自慢している。
ジェリーのアパートの隣人(実在の人物ケニー・クレーマーがモデル。ケニーはラリー・デヴィッドがニューヨークのアパートで生活していた時の隣人 )。いつもジェリーのアパートのドアを激しく開け、冷蔵庫の中を物色しに来る。ジェリーの部屋の合鍵も持っている。ほぼアパートの部屋におり、仕事をしている様子はない。自身の快楽を何よりも優先するキャラクター。6年目のシーズンまでファーストネームが不明だった。シーズン4の第14話「バブー・アゲイン」で野球のファンタジー・キャンプに参加し、野球好きチームと元大リーガーチームとの試合の際にクレイマーが原因で乱闘になりニューヨーク・ヤンキースの往年の大スター、ミッキー・マントルを殴り病院送りにしたことがある、後日、「憧れのヒーローを殴り良心が痛い」とミッキー・マントルレストランに行き謝罪しに行くが警備員に追い出される。サインフェルドの登場人物で非常に人気のある人物でクレイマーがジェリーの部屋に入って来たら客席から歓声があがる。肖像権の関係でパイロット版では「クレイマー」ではなく「ケスラー」となっていた。

他人の顔と名前

私は昔、予備校や塾の教師をしていて、その時に一番困ったのが人の名前を覚えきれないことだった。授業で教えることで頭が一杯だのに、毎年替わる生徒の顔と名前を覚えることなど不可能であり、よほど特徴的な顔や名前でないと無理だった。何より困るのは、顔と名前は恣意的な結びつきであり、その結びつきは、いわば、英語のアルファベットに慣れている者がロシア文字のアルファベットを読めと強制されるようなものなのである。あなた、「CCCP」の読みが「エスエスエスエル」だと言われて、納得しますか? wwww
なお、顔と名前を覚えるのが得意な人は、この苦労が分からないらしく、自分の名前と顔を他人が覚えていて当然だ、と思っているらしいのがまた癪に障る。誰も、お前の顔にも名前にも存在そのものにも興味などないわ。この世界には、そんなものより興味深い存在が無数にある。もちろん、私は他人が私の顔や名前を覚えなくても当然だと思っている。






きょうは漫画家が人の顔と名前が覚えられない話題でTLにぎわったけど、最大の理由は「どうでもいいから」だと思うw



クラシック音楽とアニメ

「フィンランディア」は、すべて素晴らしいが、特に構成が素晴らしい曲である。出だしの、陰鬱だが重厚な迫力のある、まるで北欧の鬱蒼とした森や湖を思わせる楽曲から、最後の、まるで神々の闘争にドンパチと花火が揚がるような「ロックな」終曲まで、まさにフィンランドの自然と、そこに住む人々の隠れた情熱の結晶のような名曲だ。
ついでに、「カレリア組曲」も、素晴らしい。その中の「ポホヨラの娘」を、私は大島弓子の「いちご物語」をアニメ化したらテーマ曲に使いたい(使ってほしい)なあ、と昔思ったものである。なお、「フィンランディア」の冒頭は、「つぐみの森」の最初のシーンに使ってみたい。小曲だが、「トゥオネラの白鳥」は、山岸凉子の「白い部屋のふたり」にぴったりだと思う。なぜかシベリウスは少女漫画に似合いそうな気がする。
怪獣映画なら、シベリウスよりも、ベートーヴェンの「ウェリントンの勝利」が最適だろう。その中の「重量級の怪物のせめぎ合い」を思わせる部分を、なぜアニメなどに使わないのか。まあ、クラシック好きのアニメ作家が庵野秀明以外にあまりいないためだろう。エヴァンゲリオンでのバッハ(「主よ人の恵みの喜びよ」だったか)など、素晴らしい使い方だった。



  1. 二十歳くらいまではクラシック音楽はあまり聴いてなかったのだけど、たまたまFM東京の「音楽の翼」(というタイトルだったと思う)で「フィンランディア」が流れて、「なんだこのかっこよくて燃える曲は!」と超感動して、以後シベリウスにハマった。

  2. ちなみに、シベリウスの『カレリア組曲』の「間奏曲」を、自衛隊の怪獣迎撃準備のシーンに乗っけると、大変よくマッチすると個人的には思っております。この曲を流しながら、ほら、目を閉じると富士の裾野をM41や61式戦車がやって来る光景が見える(笑)




有名人は家庭を作らないほうがいい

「谷間の百合」記事の一節である。
これはなかなかの卓見かもしれない。
私は、結婚という制度に肯定的だが、社会的に影響力の強い仕事をしている人間は、家庭がかえって足かせになるのではないか。
今の時代、家庭が無いと不便なことはほとんど無いのであり、家庭よりも「秘書」か「マネージャー」のような存在のほうが有意義だろう。セックス相手が欲しければカネで買えばいいし、こちらが有名人なら相手の方から体を提供するだろう。有名人はなまじ家庭を持つと面倒が多すぎる。自分の作った財産を子供に残したいというのは封建時代の思考であり、現代ではほとんど無意味だろう。それどころか、自分の子供だけを特別視するところから、多くの社会的害悪も生まれている。上級国民の馬鹿息子などがその最たるものだ。


(以下引用)


家庭を持つ=社会的信用という通念がありますが、わたしは、公の仕事一筋で生きる人は子どもはつくらないほうがいいのではないかと思います。
大女優と言われている人の多くは子どもがいませんが、わたしはそれが正解だと思っています。
子どもを持ったばかりに苦労の絶えない女優さんもいて同情を禁じ得ませんが、有名税と言ってしまうにはあまりにも不条理なものを感じます。