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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

リハビリ方法や降圧剤への疑問

何度か書いている、兄の闘病記の一部である。
脳出血(の後遺症)からの回復を目指す人の参考になりそうな部分だけ抜粋する。
リハビリ自体が(その方法が間違っていた場合には)回復を妨げ、新たな後遺症の原因になる、という考えは、それが正解だった場合には世の中に大きな貢献をするのではないだろうか。
なお、兄は今でも降圧剤を飲み続けているようだが、その降圧剤が体に悪影響を与えている可能性が無いだろうか。(兄がしばしば訴えている体の痛みなどが降圧剤によるものだということだってありうるだろう。)血圧が105から120の間というのは、下はともかく上はむしろ低血圧と言っていいほどだと思う。おそらく兄は私同様、脳出血で倒れる前はかなり高血圧だったと思うのだが、70歳くらいまで高血圧だった人間が薬で血圧を下げることで本当に害が無いのかどうか、非常に疑問に思う。脳出血の原因だって、本当に高血圧のためかどうか、わかったものではない。

(以下引用)






そして、今7種類飲んでいる薬も、ちょっと異常だと思うので、できたら全部辞めたいと思う。

もしどうしてもと言えば、とりあえず血圧と、痛み止めのリリカぐらいを飲もう。

痛み止めはいまいち効き目は薄いけど、確かに飲まないと、より痛いのは事実だから、多少は効いているけど、これに耐えるのも、いいかなと思ったりもしているのだ。

血圧だって、この薬をやめたら死ぬよと、直美は激怒するが、果たしてそうかなー、とも思うのだ。

だって、5年7ヶ月前、倒れた時と今とはかなり健康状態は、今の方がいいはずだ。

酒もタバコもやめて、食事にも気をつかっているし、糖分も抑えているし、ほぼ言うことなしだと思うよ。

血圧も常に105から120ぐらいの間で、たまに上がっても140位だから、もう薬に頼らなくてもいいと僕は思うけどね。

一応、来週診療所で薬をもらう日だし、5年7ヶ月、診療も5分で変わらないけど、大体3時間待ちだし、これも異常だよ。


(中略)


堀尾さんも、必ず治ると言ってくれているし、今はそれを信じてやるといいと思う。

アルクラは、皆いい人だし、それは今もとても感謝しているが、実際問題としては、結果としては、皆それを信じて良くなるようにと、いろいろやっているが、僕の脳出血後の後遺症には、悪いことだった。

下地診療所でも、アルクラでも、良かれと思って、体の筋トレには、人一倍努力して、目標はエグザイルと、いつも言って頑張っていたが、逆にその為に、痛みはどんどん増し、股も肩も耐えられるギリギリまで来た。

ところが、後遺症で麻痺しているみんなは、全然痛まないと言うのだ。

僕は特殊なんだと思いつつも、よく考えてみると、エグザイルを目標にしだしてから、ちょうど倒れてから1年余り経った頃から、痛みは出はじめたのだ。



つまり、過度な運動が、全て間違っていたとしか思えないのだ。

僕は1番努力していると信じ、長嶋茂雄を抜くのだと、益々筋トレに励んだら、痛み止めを変えつつ、強い薬も効かず、ずっと苦しみつつ、相変わらず筋トレは続けていた。

誰も注意する人がいなくて、5年7ヶ月苦しんできたのだ。

つまり、下地診療所の誰も、アルクラの誰も注意せず、したとしても、ありきたりの注意だったのは、要するに脳出血の後遺症は治らないものという考えを基本に、そつのない手当てを5年7ヶ月、続けざるを得なかったのだ。



それは、今の日本や、世界の常識、基本的に脳出血の後遺症は治らない、と言う考えなのだ。

それを、初めて、”奇跡の復活”、の、1巻と2巻を読んで、僕は雷に打たれたように突然気がついたのだ。

”正しいトレーニングをやれば、脳出血の後遺症は治る”、と分かったのだ。

もっと早く気がつけば、この痛みはせずに済んだのだ。

そして今、必死に5年7ヶ月の負の治療を、取り戻そうと挑戦しているところだ。

今伊良部では、新しい仲間が治療に専念していて、僕は毎日麻痺で動かない足と、肩、腕を、”動け、動け”、と念じているところだ。

この、熱意ある念が、1番重要だと信じ、もう筋肉に負担をかけないように、念じているのだ。

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俺流「フレンチトースト」

私は他所でフレンチトーストを食べたことがないのだが、甘いのが普通なのだろうか。
私自身の作るフレンチトーストは、別に誰かに教わったりレシピを聞いたり調べたりしたものではなく、思いつきで出来たものでしかないが、その美味さは他所のそれには負けないと勝手に思っている。
砂糖は使うが、味の素も使い、菓子というより「おかずの要らない主食で、デザートも兼ねる」という性質のものである。

レシピは次の通り。使う食パンは賞味期限が完全に切れた少し固めのものがいい。

1:お椀に卵を1個(作る量次第で2個でもいい。)割り入れる。
2:牛乳を適量(卵1個と等量なら、たぶん食パン2枚分くらいか。)卵に加える。
3:砂糖を小匙1杯程度、味の素をその半分か3分の1くらい入れ、よくかき混ぜる。
4:平皿に上記の卵溶液(一般的な言い方は知らない。)を適当に入れ、食パンを浸す。
5:十秒から二十秒程度浸したら裏返し、両面ともに浸す。ただし、浸しすぎないほうが美味い。(その前に6を準備しておくといい。5と6はほとんど同時だ。)
6:フライパンを熱して油もしくはバターをひき、少しして上記の食パンを入れて焼く。
7:1分から2分(火力次第だ。)で裏面が焼けると思うので、引っくり返して両面焼く。

両面とも軽い焦げ目が付く程度でいい。古い食パンのほうが、外側の「調味された味」と内側の「焼きたてパンの味」の二つが味わえて美味である。
これに使う古い食パンというのは、冷蔵庫に入れて数週間経ったものでも、黴さえ生えていなければ大丈夫だと思う。
なお、牛乳の代わりに豆乳を使ってもなかなかイケる。
子供のいる男親などは、母親不在の時に作るといい。菓子しか食わないという子供でも、たぶん大丈夫ではないかと思う。
ビタミン不足が不安なら、簡単な野菜スープかサラダでも作ればいい。今はスープの素とか冷凍野菜などいくらでも市販されているから、料理など10分でできる。小さな手鍋に適量の水と冷凍のミックスベジタブルを入れて沸かし、スープの素と塩少量を入れれば野菜スープの出来上がりだ。入れる材料を代えれば卵スープだろうが何だろうが簡単なことである。調味料も自分の好みでいろいろ試してみればいい。



とある喫茶店で「甘さ控えめフレンチトースト」を食べた。
日本の卵焼きって、お菓子みたいに甘いのもあれば、だし巻き卵もあるよね?
そこで考えたんだけど、フレンチトーストも、出汁ベースのうす塩味ってアリなんじゃないの?どうよ。
ひょっとして、もうフランスにそういう料理があったりする?



幸福になるには畳1畳半の空間があればいい。

daito氏がこれを「謎空間」と指摘(あるいは命名)したこと自体が素晴らしい。
この空間を最初に作った人も、それに追随した人たちも素晴らしい。
この空間で窓の外の風景を眺めるのも良し、コーヒーやお茶を飲むのも良し、読書するのも良しで、こういう部屋でずっと過ごしていたい。
ただし、下の写真の空間に関しては、椅子が少し残念である。籐椅子というのは、私には居心地が良くない。もっとクッションの利いたフカフカのソファーがいい。もちろん肘掛とヘッドレストは絶対必要で、リクライニングでき、足載せ(オットマン)も欲しい。椅子の横には本やパソコンやノートが載せられるサイドテーブルも欲しい。理想的なのは歯医者の椅子に上質のクッションを付けた椅子である。そういう椅子で読書し、メモを書き、眠くなったらそのまま寝るような生活が理想だ。つまり、高級独房が私の理想か?





さんがリツイート

旅館のこの謎空間めちゃ好き。
あとキレイに撮れた。









島耕作にとって女性とは何か

「島耕作」シリーズ(最初の役職が何だったか、覚えてもいないwww)は、好きな人間と嫌いな人間がはっきりと二分される作品だと思うが、女性の中でこのシリーズを好きな人はいるのだろうか。
はっきり言って、この作品の中の女性とは、女性器に目鼻が付いているだけの存在だ。
暴言を言うことになるが、実は現代の女性、特にビジネスシーンに関わりのある、野心的な女性像としては、この作品に出てくる、奔放で性的に「解放された」女性たちはかなり現実に近いのではないかと思う。島耕作にとって女性が女性器に目鼻なら、女性群にとっても島耕作とはペニスに目鼻にすぎない。気軽にセックスを楽しみたい女性なら、島耕作は理想的な相手だろう。そこでは人格は問題にならない。一見上品そうでカネがあり、性的能力があれば十分だ。
その女性たちがみな、要所要所で島にとって都合の良い存在であるのが、この作品が「サラリーマン御伽噺」として一部の人々に人気があるところだろう。つまり、釣る相手が人間の女か魚かの違いがあるだけで、「島耕作」と「釣りバカ日誌」は非常に近い存在なのである。魚の背後には会社の社長(会長か)か上司がいて、主人公にあれこれ便宜を図ってくれるのは、「水戸黄門」の印籠みたいなものだ。
言うまでもなく私は女性崇拝者であり、女権拡張論者であるので、「島耕作」シリーズは大嫌いなのであるが、そこには主人公への嫉妬がまったく無いとは言わないwww

(以下引用)


島耕作のスピード感は、『君に届け』を2コマで置き去りにする

2018/02/26 12:00
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人生、一寸先はセックス。

『課長島耕作』シリーズを読んでいると思うことである。とにかく次の瞬間に何が起こるのか分からない。人は突如としてセックスをする。そこで浮かぶのが冒頭の言葉だ。人生、一寸先はセックス。これが真実だったのか。

もっとも、「島耕作にとっての人生は」と言ったほうがいいかもしれない。私はべつに一寸先がセックスの人生を送っていない。たいていの人もそうだと思う。島耕作という特殊なサラリーマンにとってのみ、人生一寸先はセックスなのである。本当にこの人は、油断すると女と寝ている。

さて、一方で『君に届け』というマンガを読んでいると、この世にセックスなど存在しなかったような気がしてくる。なにか悪い魔導師にだまされて、われわれは性行為で子供ができると勘違いしていたのではないか。人類は本当は、手をつなぐことで子供を生んでいたのではないか。

しかしふたたび『島耕作』のページをめくれば、人類は息を吸うような自然さでセックスをし、挨拶がわりに不倫している。

同じ地球という惑星で、同じ男と女が扱われているのに、この違いはなんなのか。もしも私が異星人で、『島耕作』と『君に届け』を参考に人類のことを学ぼうとすれば、「島耕作と風早は同じ男なのか?」という問いを断末魔に、頭が破裂して死ぬだろう。

『君に届け』においては、実際にひとつの想いが「届く」までに、1000ページ以上が費されている。そして読んでいる最中、われわれはそれを長いとは感じないわけである。たしかに爽子と風早の二人は、これだけの時間、これだけの枚数を費さなければ、お互いの想いを伝えあうことはできなかっただろう。しかし島耕作にとって、知り合った女と数ページでセックスに至るのは普通のことだ。すさまじい速度で君に届いている。

セクハラの起こる理由

「紙屋研究所」記事の一部を転載。


(以下引用)


 「職場のハラスメント研究所」代表理事の金子正臣は、セクハラをする人(ここでは男性)は「特別な人ではありません」と言う(「しんぶん赤旗」2018年10月15日付)。酒の席で、なりゆきで……などと言い訳にもならない言い訳でやってしまう。金子はその理由を二つ挙げている。

 

ひとつは職場でも異性を「性的対象」と見る傾向が男性に強いことです。それは性差ではなく、社会的な刷り込みによるものだと考えます。日本では女性の「性の商品化」が著しく、幼いころから女性を性的対象としてみる機会が非常に多く提供され、後天的にその性向がつくられてしまっています。(前掲)

 

もうひとつは女性差別の構造です。日本社会に根深い女性蔑視を背景に、職場でも女性にはサポート役や「職場の潤滑油」的業務を求める性的役割分業意識が強い。また子育てなど家庭の役割のため、残業が当たり前の「男社会」の働き方ができない女性は、労働力として「二流」だという思いがある。さらに管理職比率は圧倒的に男性優位です。職場のドアを開けたとたん、普通のお父さんが部長や専務になると、自分が格段の権力を持ったと錯覚し、部下を見下す視線が生まれます。(前掲)