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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

なぜ雀荘での麻雀は摘発されないのか

誰もが疑問に思っている(少なくとも、若いうちは疑問に思って当然だろう。そのうち、その異常性に慣れて疑問にも思わなくなる。)ことを分かりやすく解説した好記事である。
長いので、分載するかもしれない。

(以下引用)

雀荘や客が賭博の罪で処罰されない理由は??弁護士が解説

(写真:Fujifotos/アフロ)

さて、前回の記事では、福岡県飯塚市の市長らが賭け麻雀をしていて問題となったことを題材に、市長らの処罰可能性について言及してみましたが、今回は、世の中に無数にある麻雀店(雀荘)のほとんどが実は違法な店で、そこで賭け麻雀をしている人達はみんな賭博罪で処罰されるのではないかという疑問についてコメントしてみたいと思います。

前回の記事:賭け麻雀が発覚した市長らは賭博罪で処罰されるのか??弁護士が解説

雀荘やその客は違法!?

まず、賭博の罪は、賭博をした人に適用される賭博罪だけでなく、賭博場を開いて利益を得ようとした人にも適用される賭博場開帳等図利罪があり、海外ではむしろ賭博自体は自由で、賭博場だけを制限しているケースも多いようです。

参照「刑法第186条第2項:賭博場を開張し、又は博徒を結合して利益を図った者は、三月以上五年以下の懲役に処する。」

さて、町中に溢れかえっている雀荘や、その客についてですが、判例の考え方によれば、金銭を賭けている限り、金額の多少にかかわらず違法であり、雀荘は賭博場開帳等図利罪、客は賭博罪に該当すると言わざるを得ません。

(ちなみに、高額賞金を取り合う麻雀大会は、賞金の原資を参加者ではなくスポンサーが出している場合には、賭博罪には該当しません。)

では、どうして平然と雀荘が営業を続けているのか?

それはズバリ警察が見逃しているからです。

そもそも、世の中の犯罪が全て捜査の対象となり、起訴されて、刑事裁判にかけられるかと言うとそうではなく、捜査についても起訴についても警察・検察には一定の裁量が与えられています。

意外と思われるかもしれませんが、捜査機関に一般的な捜査義務を明示した法律はありませんし、特に事件を刑事裁判にかけるかどうかの起訴の判断については、基本的に検察官の裁量に委ねられています。

参照「刑事訴訟法第248条:犯人の性格、年齢及び境遇、犯罪の軽重及び情状並びに犯罪後の情況により訴追を必要としないときは、公訴を提起しないことができる。」

実際に賭博の罪が科される水準は?

法律家の間では、少なくとも、1000点200円以上のレート(1時間で3万円程度は優に動くレート)で麻雀をする店は摘発されると言われており、実際、某漫画家の中目黒氏(仮)は、歌舞伎町で1000点200円の東風戦(普通のルールの半分の時間で勝敗の決着が付くルールで、実質的に時間当たりの賭金は2倍になる)をしていたところを現行犯逮捕され、10万円の罰金刑を科されました。

賭博って、凄くイメージの悪いものと思っている人からすれば、10万円の罰金だけで済むんだって思った人もいるかもしれませんが、賭博罪はそもそも最大で50万円以下の罰金しか科されない罪です。

一応、賭博罪には、常習賭博罪という加重された罪もあり、「常習性」は、賭博行為の性質、種類、賭け金額等を総合考慮して、賭博の習癖を帯びているかどうかを判断するとされていますが(昭和24年2月10日最高裁判決)、某漫画家の広尾氏(仮)は、逮捕された店に週2で通っていても、常習賭博罪は適用されませんでした。

参照「刑法第186条第1項:常習として賭博をした者は、三年以下の懲役に処する。」

話を戻しますが、某漫画家の六本木氏(しつこい)が逮捕されたレートよりも緩いレートを用いている雀荘については、基本的には、捜査機関の判断で事実上不問とする状態が続いているようです。

とはいえ、全く摘発されないかと言えばそうではなく、2011年4月27日には、1000点50円(テンゴと呼ばれており、全国の雀荘の平均以下のレート)の店が摘発され、経営者と従業員が逮捕されて話題となりました(客については不問とされているようです)。

ただし、この時に摘発された店は、従業員である女性を用いて、風営法の許可が必要な営業形態の業務を行っていたとか、広告用に配布していたティッシュペーパーに堂々とレートを記載していた(普通は、風速0.5のようにボカシて書く)等と、単に他の店と変わらない運営していたにもかかわらず摘発されたというわけではないという噂も出ています(真相は不明)。

同様に、賭博の罪ではなく、雀荘が深夜営業の規制を守らずに、風営法で注意されるようなケースは普通にあるようです。

しかし、いずれにしても、店側だけでなく、客までもが逮捕されるケースは、今のところ、街では簡単には見かけない1000点200円以上の高レートの店等の特別なケースのみで、平均的な雀荘で客までが逮捕される可能性は少なそうです。

どうして違法性があるはずの雀荘が放置されているのか?

現に賭博の罪が規定されていて、判例も存在する以上、いざ摘発されれば有罪とされる可能性が高いにもかかわらず、どうしてこのような雀荘の違法状態が放置されているのでしょうか。

これには、賭博の罪が設けられた趣旨が関係しているように思います。

前回の記事でも書きましたが、判例では、賭博の罪の存在理由について、勤労等の正当な原因によらず、単なる偶然の事情によって財産を獲ようと射幸心(努力をせずに幸運を得たいと願う感情)が煽られてしまうと、怠惰で浪費な風潮が蔓延し、健康で文化的な勤労の美風を害するばかりでなく、暴行、脅迫、殺傷、窃盗、強盗等を誘発したり、国民経済の機能に重大な障害を与えたりする恐れすらあるためであると述べられてきました。

しかし、いくらなんでも、賭博を認めることが、殺傷や強盗を簡単に誘発するとは思えませんし、そもそも日本には公営ギャンブルが多数揃っており、賭け麻雀のみを規制したところであまり意味がありません。

公営ギャンブルとは、刑法で禁止されている賭博について、例外的に個別の法律によって認められているギャンブルのことで、競馬、競輪、競艇、オートレースがあります。

さらに、法律上はギャンブルとはされていませんが、パチンコ・パチスロも存在しています。

しかも、パチンコ・パチスロの市場規模は約23兆円にも上ると言われており、競馬や競輪等の公営ギャンブル全体の市場規模が約4兆円であることと比べてもかなり大きな規模であることがわかります(金額は、参照するソースによって多少異なります。以下同じ)。

そして、麻雀の市場規模は約500億円程度と言われており、パチンコ等の社会に与える影響力と比べると極めてわずかであることがわかります。

なお、各ギャンブルの市場規模の考え方が異なっており、パチンコ・パチスロは貸し玉や貸しメダルの金額、公営ギャンブルは馬券等の購入額、麻雀は雀荘へ支払うゲーム料額であり、単純比較はできませんが、それでも、少なくとも、公営ギャンブルやパチンコ・パチスロが存在する時点で、賭け麻雀だけを規制しても、賭博による社会への影響度に大きな差はないことがわかります。

さらに、射幸性を煽るかどうかという点でも、公営ギャンブルは一回のレースで全財産をつぎ込むことも可能で、ハイリスクハイリターンを選択することが可能ですし、何よりも競馬では100円で買った馬券が2000万円以上になるほどの大当たりがありえます。

パチンコ・スロットでも、機種によっては一日勝負して10万、20万円が優に動くこともあるようです。

さらにいえば、ギャンブルではない、金融商品の取引も、常に偶然性が影響し、大きな金銭が動くことはよくあり、強い射幸性があります。現に僕も昨年末に南極大陸に登山に行っている間に、FXでロスカットされて多大な損失を被りました・・。

それに対して、賭け麻雀では、プレイヤーの全員の合意の下にレートが設定されるので、自分の好き勝手に高いレートに吊り上げることはできませんし、多くの雀荘の平均的なレートである1000点100円や50円では、せいぜい1日数万円が動く程度です。

このように、賭け麻雀は、形式的には賭博の罪に該当するものの、多くの店が採用しているレートであれば、公営ギャンブル等に比べると、さほど健康で文化的な勤労の美風を害するものとは言えず、実質的な違法性は少ないと評価できます。

その結果、捜査機関が、おそらく内部的に一定の基準のようなものを設けて、基本的には摘発しなくても良いラインをおよそ引いているのではないかと思います(友人の検察官にヒアリングしたものの、明確な基準はないとのことでしたが)。

その上で、賭け麻雀をしていること以外に、収益が反社会的勢力に回っていたり、風営法の順守に問題があったり、客や従業員とのトラブルが多い等といった場合に、特別に摘発されているのではないかと思います。

もっとも、このような場合にも、摘発される対象は店とその従業員に留まり、平均的なレートであるにもかかわらず、客までもが処罰されるケースは、きわめて稀ではないかと思います。

しかしながら、賭博の罪の規定が、国民経済の機能を維持するために設けられているのであれば、これに一応該当する賭け麻雀はきちんと取り締まらなければならなさそうですが・・・、これを徹底していないというのは、つまり法律が現実の実態と乖離してしまっているということです。

本来、賭け麻雀を民営のギャンブルであることを法的にも認め、レート等についても許可制にして管理し、実態と法律を合致させるべきではないかと思います。

余談・カジノ法案について

12月15日にいわゆるカジノ法案(IR推進法案・特定複合観光施設区域の整備の水産に関する法律案)が国会で成立し、同月26日に公布・施行されました。

IR推進法案は、あくまでもカジノの設立・運営の基本方針を定めるものであって、具体的な内容は、今後一年以内を目途に策定を目指しているIR実施法によります。

これら法案の成立過程では、カジノ合法化によるデメリットとして、ギャンブル依存症を誘発することが指摘されてきました。

まさに、判例が唱えてきた、射幸心が煽られてしまうと、怠惰で浪費な風潮が蔓延し、健康で文化的な勤労の美風を害するばかりでなく、暴行、脅迫、殺傷、窃盗、強盗等を誘発したり、国民経済の機能に重大な障害を与えたりする恐れすらある、というやつです。

しかし、すでに本稿でも述べているように、すでに日本には市場規模約23兆円ものパチコン等のギャンブルが存在しているのです。

そして、この市場規模の計算は、貸し玉等の金額ですが(売上高に相当)、パチンコ店が貸し出しした玉やメダルから、客が遊戯の結果獲得した玉等の金額を差し引いた金額(粗利益に相当)で見ても、約3.3兆円と言われています。

これに対して、同様に比較したラスベガス全体の粗利益は約6500億円、マカオ全体では約2.5兆円と言われており、日本にはすでにラスベガスやマカオを上回るギャンブルが国内に存在しているのです(しかも、パチンコ店は物理的に散らばっている分、国民のアクセスが容易で影響が大きい)。

それにもかかわらず、これまでパチンコ・パチスロについては法的にはギャンブルであるという区分をせずに野放しにしておきながら、初めて正面から民営ギャンブルを認める段階になり、降って湧いたように、ギャンブル依存症を誘発するというデメリットに大きく焦点が当たってしまうのは合理的ではないと思います。

また、依存症という意味では、カジノに限らず、酒、タバコ、ブランド品等、様々な嗜好・娯楽について同様のことが言えるわけで、カジノについてのみ依存症問題を厳しく指摘する必要はなく、基本的にはこれらに対する依存症が直接的に他人に害を与えるものではない以上、国民の自由な選択に任せるべきではないかと考えています。

※本記事は分かりやすさを優先しているため、法律的な厳密さを欠いている部分があります。また、法律家により多少の意見の相違はあり得ます。

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ウイルスとは何か


ウイルス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Rotavirus Reconstruction.jpg
分類(ウイルス)

ウイルスラテン語: virus)は、他生物細胞を利用して自己を複製させる、極微小な感染性の構造体で、タンパク質の殻とその内部に入っている核酸からなる。生命の最小単位である細胞やその生体膜である細胞膜も持たないので、小器官がなく、自己増殖することがないので、非生物とされることもある[1]

名称[編集]

「ウイルス」は、「毒液」または「粘液」を意味するラテン語 virus に由来して命名された。古代ギリシアヒポクラテスは病気を引き起こす毒という意味でこの言葉を用いている[要出典]

特徴[編集]

ウイルスは細胞を構成単位とせず、自己増殖はできないが、遺伝子を有するという、非生物・生物両方の特性を持っている。自然科学生物学上、生物・生命の定義を厳密に行うことはできていないため、便宜的に細胞を構成単位とし、代謝し、自己増殖できるものを生物と呼んでおり、ウイルスは「非細胞性生物」あるいは「生物学的存在」と見なされている[15]。感染することで宿主の恒常性に影響を及ぼし、病原体としてふるまうことがある。ウイルスを対象として研究する分野はウイルス学と呼ばれる。

遺伝物質の違いから、大きくDNAウイルスRNAウイルスに分けられる(詳細はウイルスの分類を参照)。

発見[編集]

微生物学の歴史は、1674年オランダレーヴェンフックが顕微鏡観察によって細菌を見出したことに始まり、その後1860年フランスルイ・パスツール生物学や醸造学における意義を、1876年ドイツロベルト・コッホが医学における意義を明らかにしたことで大きく展開した。特にコッホが発見し提唱した「感染症が病原性細菌によって起きる」という考えが医学に与えた影響は大きく、それ以降、感染症の原因は寄生虫を除いて全て細菌によるものだと考えられていた。

1892年ロシアドミトリー・イワノフスキーは、タバコモザイク病の病原が細菌濾過器を通過しても感染性を失わないことを発見、それが細菌よりも微小な、光学顕微鏡では観察できない存在であることを報告した。またこの研究とは別に、1898年にドイツのフリードリヒ・レフラーパウル・フロッシュ口蹄疫の病原体の分離を試み、これが同様の存在であることを突き止め、「filterable virus(濾過性病原体)」と呼称した。同年にオランダのマルティヌス・ベイエリンクはイワノフスキーと同様の研究を行って、同じように見出された未知の性質を持つ病原体を「Contagium vivum fluidum(生命を持った感染性の液体)」と呼んだ。

レフラーは濾過性病原体を小さな細菌と考えていたが、ベイエリンクは分子であると考え、これが細胞に感染して増殖すると主張した。彼の主張はすぐには受け入れられなかったが、同様の性質をもった病原体やファージが発見されていくことで、一般にもウイルスの存在が信じられるようになった。その後、物理化学的な性質が徐々に解明され、ウイルスはタンパク質からできていると考えられた。1935年アメリカウェンデル・スタンリーがタバコモザイクウイルスの結晶化に成功し、これによってはじめてウイルスは電子顕微鏡によって可視化されることとなった[16]。また彼の発見したこの結晶は、感染能を持っていることを示し、化学物質のように結晶化できる生物の存在は生物学・科学界に衝撃を与えた。彼はこの業績により、1946年ノーベル化学賞を受賞した[17]。スタンリーはウイルスが自己触媒能をもつ巨大なタンパク質であるとしたが、翌年に少量のRNAが含まれることが示された。当時は遺伝子の正体は未解明であり、遺伝子タンパク質説が有力とされていた。当時は、病原体は能動的に病気を引き起こすと考えられていたので、分子ロボット(今で言うナノマシン)のようなもので人が病気になるということに当時の科学者たちは驚いた。それでも当時はまだ、病原体であるには細菌ほどの複雑な構造、少なくとも自己のタンパク質をコードする遺伝子ぐらいは最低限持っていなくては病原体になりえない、と思われていた。

1952年に行われたハーシーとチェイスの実験は、バクテリオファージにおいてDNAが遺伝子の役割を持つことを明らかにし[18]、これを契機にウイルスの繁殖、ひいてはウイルスの性質そのものの研究が進むようになった。同時に、この実験は生物の遺伝子がDNAであることを示したものと解せられた。

一般的な生物との違い[編集]

一般的な原核生物
(例:大腸菌
マイコプラズマナノアルカエウム・エクウィタンスリケッチアクラミジアファイトプラズマウイルス
構成単位 細胞 ウイルス粒子
遺伝情報の担体 DNA DNAまたはRNA
増殖様式 対数増殖分裂出芽 一段階増殖
暗黒期の存在
ATPの合成 できる できない できる できない
タンパク質の合成 できる できない
細胞壁 ある ない ある ない
単独で増殖 できる できない
(他生物に付着)
できない(偏性細胞内寄生性)

宿主に与える影響[編集]

ウイルスによる感染は、宿主となった生物に細胞レベルや個体レベルでさまざまな影響を与える。その多くの場合、ウイルスが病原体として作用し、宿主にダメージを与えるが、一部のファージやレトロウイルスなどに見られるように、ウイルスが外来遺伝子の運び屋として作用し、宿主の生存に有利に働く例も知られている。

細胞レベルでの影響[編集]

細胞変性効果(円形化)培養フラスコの底に敷石状に生育している培養細胞がウイルスの感染によって円く変形し、やがてフラスコからはがれてプラーク(空隙、写真中央)を形成する。
細胞変性効果(合胞体)敷石状に生育した培養細胞同士がウイルス感染によって細胞膜の融合を起こし、細胞核が中央に凝集して(写真中央)多核巨細胞様の形態になる。

ウイルスが感染して増殖すると、宿主細胞が本来自分自身のために産生・利用していたエネルギーや、アミノ酸などの栄養源がウイルスの粒子複製のために奪われ、いわば「ウイルスに乗っ取られた」状態になる。

これに対して宿主細胞はタンパク質や遺伝子の合成を全体的に抑制することで抵抗しようとし、一方でウイルスは自分の複製をより効率的に行うために、さまざまなウイルス遺伝子産物を利用して、宿主細胞の生理機能を制御しようとする。またウイルスが自分自身のタンパク質を一時に大量合成することは細胞にとって生理的なストレスになり、また完成した粒子を放出するときには宿主の細胞膜や細胞壁を破壊する場合もある。このような原因から、ウイルスが感染した細胞ではさまざまな生理的・形態的な変化が現れる。

この現象のうち特に形態的な変化を示すものを細胞変性効果 (cytopathic effect, CPE) と呼ぶ。ウイルスによっては、特定の宿主細胞に形態的に特徴のある細胞変性効果を起こすものがあり、これがウイルスを鑑別する上での重要な手がかりの一つになっている。代表的な細胞変性効果としては、細胞の円形化・細胞同士の融合による合胞体 (synsitium) の形成・封入体の形成などが知られる。

さまざまな生理機能の変化によって、ウイルスが感染した細胞は最終的に以下のいずれかの運命を辿る。

ウイルス感染による細胞死
ウイルスが細胞内で大量に増殖すると、細胞本来の生理機能が破綻したり細胞膜や細胞壁の破壊が起きる結果として、多くの場合、宿主細胞は死を迎える。ファージ感染による溶菌現象もこれにあたる。多細胞生物の細胞では、ウイルス感染時に細胞周期を停止させたり、MHCクラスIなどの抗原提示分子を介して細胞傷害性T細胞を活性化して、アポトーシスを起こすことも知られている。感染した細胞が自ら死ぬことで周囲の細胞にウイルスが広まることを防いでいると考えられている。
持続感染
ウイルスによっては、短期間で大量のウイルスを作って直ちに宿主を殺すのではなく、むしろ宿主へのダメージが少なくなるよう少量のウイルスを長期間に亘って持続的に産生(持続感染)するものがある。宿主細胞が増殖する速さと、ウイルス複製による細胞死の速さが釣り合うと持続感染が成立する。テンペレートファージによる溶原化もこれにあたる。持続感染の中でも、特にウイルス複製が遅くて、ほとんど粒子の複製が起こっていない状態を潜伏感染と呼ぶ。
細胞の不死化とがん化
多細胞生物に感染するウイルスの一部には、感染した細胞を不死化したり、がん化したりするものが存在する。このようなウイルスを腫瘍ウイルスあるいはがんウイルスと呼ぶ。ウイルスが宿主細胞を不死化あるいはがん化させるメカニズムはまちまちであるが、宿主細胞が感染に抵抗して起こす細胞周期停止やアポトーシスに対抗して、細胞周期を進行させたりアポトーシスを抑制する遺伝子産物を作る場合(DNAがんウイルス)や、細胞の増殖を活性化する場合、またレトロウイルスでは宿主のゲノムにウイルス遺伝子が組み込まれる際、がん抑制遺伝子が潰された結果、がん化することも知られている。

個体レベルでの影響[編集]

ウイルス感染は、細胞レベルだけでなく多細胞生物の個体レベルでも、さまざまな病気を引き起こす。このような病気を総称してウイルス感染症と呼ぶ。インフルエンザ天然痘麻疹風疹後天性免疫不全症候群(AIDS)などの病気がウイルス感染症に属しており、これらのウイルスはしばしばパンデミックを引き起こして人類に多くの犠牲者を出した。

また、動物ではウイルス感染が起きると、それに抵抗して免疫応答が引き起こされる。血液中や粘液中のウイルス粒子そのものに対しては、ウイルスに対する中和抗体が作用する(液性免疫)ことで感染を防ぐ。感染した後の細胞内のウイルスに対しては抗体は無効であるが、細胞傷害性T細胞やNK細胞などが感染細胞を殺す(細胞性免疫)ことで感染の拡大を防ぐ。免疫応答はまた、特定のウイルス感染に対して人工的に免疫を付与するワクチンによっても産生され得る。AIDSやウイルス性肝炎の原因となるものを含む一部のウイルスは、これらの免疫応答を回避し、慢性感染症を引き起こす。

ウイルス感染症における症状の中には、ウイルス感染自体による身体の異常もあるが、むしろ発熱、感染細胞のアポトーシスなどによる組織傷害のように、上記のような免疫応答を含む、対ウイルス性の身体の防御機構の発現自体が健康な身体の生理機構を変化させ、さらには身体恒常性に対するダメージともなり、疾患の症状として現れるものが多い。

老齢とかすみ目

参天製薬のホームページ記事だが、何かの専門家というのは、過去の偉い先生の言説を疑いもしないで、それに沿って仕事をするものだ、という感じがする。
と言うのは、私はここ数年、かすみ目に悩まされていたのだが、とある漢方薬を二錠飲んで数時間後には、これまでになくはっきりと視界がクリアになり、その原因と思われた「目ヤニ感」もかなり軽減されたからである。何より、目の焦点を意識して調節しなくても、自動的に視界全体の「見た所」に焦点が合う、というのは、かなり久々である。
つまり、かすみ目の原因が目のレンズ(角膜)の調節機能の衰えにある、というのは正しくても、それは薬(目薬とは限らない)で治るものである可能性は高いのではないか。
その漢方薬の名前はあえて書かないが、有名なもので、あちこちのメーカーが出している。老化に伴う様々な症状の軽減、もしくは改善に効果があるらしいが、私にとっては、かすみ目が改善されただけで、結構高いカネで購入した価値はあったと思う。しかも、最初の二錠での効果である。(実は定量は一回四錠だが、試験的に二錠だけ飲んでみたのである。)
だが、こうしてパソコン画面を見ていると、目の集中力が落ちる感じはあり、やはりパソコン浸りは目に良くないな、と思う。
まあ、とりあえず言えるのは、眼の問題だから目薬で治す、というのはかなり短絡的で、内臓とか神経とか脳機能に関連している場合も多いのではないか、ということだ。現代医学は、はたしてそこまで考えているか。

(以下引用)


目のかすみが起こるしくみ

パソコン作業などを長時間続けると、水晶体を伸ばしたり縮めたりしてピントを合わせている毛様体筋という筋肉の緊張状態が続き、ピントを合わせる機能が低下して、視界が一時的にかすむことがあります。

老眼(加齢による機能の低下)が原因の場合
年齢を重ねると、次第に水晶体の弾力性や、水晶体の厚さを調節する毛様体筋の働きが低下し、ピントを合わせるのが難しくなります。このため近くのモノが見えにくくなります。

政治学の名著30

きはむという人のブログから転載。
まあ、有名な書名だらけだが、私はほとんど読んだことがない。吉本隆明の「共同幻想論」は最初のページで挫折したような記憶がある。「共同幻想」という言葉を作っただけで意義のある本だと思う。吉本がどういう意味で使ったのかは知らない。
私が読んだのはマキャベリの「君主論」とプラトンの「国家」だけか。読みたいと思っている本は多い。トクヴィルの「アメリカの民主主義」は断続的に下巻(しか持っていない)を読んでいるが、実に名著だと思う。

(以下引用)

私撰・政治学の名著30


2007/04/24(火) 15:43:55 http://awarm.blog4.fc2.com/blog-entry-335.html

山内昌之『歴史学の名著30』(筑摩書房:ちくま新書、2007年)
佐々木毅『政治学の名著30』(筑摩書房:ちくま新書、2007年)


山内の方が圧倒的に面白い。私が歴史学より政治学に比較的詳しいだけ点が辛くなっている分を差し引いたとしても、そうである。パラパラと見遣る限りでは、佐々木の方は、いかにも教科書的な説明的文章になっており、記述も味気ない。それに対して山内は古今東西の歴史書を公平かつ巧みな筆致で魅力的に描いており、読み物として値している。佐々木の選を謗るつもりもないが、山内の方が選考基準をより明快にしており、読者が納得しやすい配慮が払われている。物語として、あるいは現実としての歴史についての語りに交ぜられる、学問としての歴史学の視座から注がれる視線も、良い塩梅を感じさせた。ほとんど読んでいない「歴史学の名著」への読書欲を駆り立てられながら、しかし私の頭は何故か「政治学の名著30」の私撰案へと向かうのであった。ということで、以下。


Ⅰ.政治と闘争
孫武『孫子』
ニッコロ・マキァヴェッリ『君主論』
マックス・ヴェーバー『職業としての政治』
カール・シュミット『政治的なものの概念』


Ⅱ.国家と政治
プラトン『国家』
アリストテレス『政治学』
トマス・ホッブズ『リヴァイアサン』
ジョン・ロック『市民政府論』
ジャン・ジャック・ルソー『社会契約論』
モンテスキュー『法の精神』


Ⅲ.民主政
ジョン・ジェイ/アレクサンダー・ハミルトン/ジェイムズ・マディソン『ザ・フェデラリスト』
アレクシ・ド・トクヴィル『アメリカのデモクラシー』
ハンス・ケルゼン『デモクラシーの本質と価値』
カール・シュミット『現代議会主義の精神史的地位』


Ⅳ.近代の法・経済・政治
アダム・スミス『国富論』
エドマンド・バーク『フランス革命についての省察』
ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル『法の哲学』
カール・マルクス『資本論』


Ⅴ.全体主義と政治
フリードリヒ・アウグスト・フォン・ハイエク『隷従への道』
ハンナ・アレント『全体主義の起原』
丸山眞男『現代政治の思想と行動』


Ⅵ.国家と権力
吉本隆明『共同幻想論』
ロバート・ノージック『アナーキー・国家・ユートピア』
ミシェル・フーコー『知への意志』


Ⅶ.自由
ジョン・スチュワート・ミル『自由論』
アイザイア・バーリン『自由論』


Ⅷ.公共性
ハンナ・アレント『人間の条件』
ユルゲン・ハーバーマス『公共性の構造転換』


Ⅸ.正義
ジョン・ロールズ『正義論』
ジャック・デリダ『法の力』

現今の「犯罪状況」

(承前)ここに掲載されただけでなく、その続きもあるが、ここまで転載。

3 再犯状況

(1) 再犯率
 調査対象者の再犯率は,表のとおりであり,殺人17.2%,傷害致死32.9%,強盗39.1%,強姦38.5%,放火26.1%である。再犯の罪名を限定して再犯率を見ると,殺人では,粗暴犯(注1)による再犯率は5.5%,傷害致死では,粗暴犯による再犯率は21.1%であり,強盗では,財産犯(注2)による再犯率は28.4%,強姦では,性犯(注3)による再犯率は15.6%であり,放火では,放火による再犯率は7.5%であった。
 また,重大事犯者は,表のとおり,満期釈放者と仮釈放者で再犯率のかい離が大きい傾向があり,仮釈放者の再犯率は比較的低いが,満期釈放者は,再犯率は高く,傷害致死,強盗及び強姦では,半数以上の者に再犯があった。
(2) 再犯期間
 再犯に及んだ調査対象者について,本件犯行の罪名ごとに,再犯期間(出所から最初の再犯に及ぶまでの期間)を見ると,強盗,強姦及び放火では,再犯期間が1年未満の者が4割以上であった。また,出所後1か月未満で再犯の犯行に及んだ者は,29人(再犯者の9.0%)であり,そのうち24人は満期釈放者で,そのほとんどは頼るべき親族等もなく,頼るべき親族がある者も出所後そのもとに帰住せず,住居不定の生活を送っていた。

表1 再犯状況(罪名別)



4 重大事犯者の処遇上留意すべき点

 調査対象者について調査・分析した結果に基づき,重大事犯の罪名ごとに,重大事犯者の処遇上留意すべき点を考察すると,次のような点を挙げることができる。

(1) 殺人
 殺人の事犯者は,一般的に,他人の生命や身体を尊重する意識が希薄であると考えられるが,このことは,粗暴犯の有前科者率が約3割に及んでいることにも表れている。他方で,殺人の事犯者で粗暴犯前科を有する者では,粗暴犯の再犯率は,14.5%であった(殺人の事犯者全体では5.5%)。
 殺人は,動機等において相当に異なるタイプの犯行があるが,その幾つかについて見ると,まず,暴力団の勢力争い等から殺人に及んだ者は,有前科者率が79.2%と顕著に高く,粗暴犯の有前科者率も50.0%であり,他方,再犯率(45.8%)が高く,その再犯は,財産犯,薬物犯,粗暴犯と様々な犯行にわたり,規範意識の欠如や粗暴性向が大きな問題であることをうかがわせる。憤まん・激情から殺人に及んだ者は,殺人の事犯者の42.0%を占めているが,憤まん・激情を抱くに至った背景として,感情統制力の欠如や他人を暴力で支配しようとするゆがんだ考え方(なお,憤まん・激情による殺人のうち,約2割は,配偶者又は交際相手に対する犯行であった。)などの問題を有する者が少なくないことがうかがわれた。一方,親族に対する殺人の事犯者は,それ以外の殺人事犯者と比べ,前科数が少なく,再犯率も低く,介護疲れ等から親族を殺害した者では,再犯がある者はいなかった。
(2) 傷害致死
 傷害致死の事犯者も,粗暴犯の有前科者率が3割を超え,他方,粗暴犯前科を有する者は,再犯率が50%を超え,粗暴犯の再犯率も40.0%と高い。
(3) 強盗
 強盗の事犯者は,財産犯の有前科者率が3割を超え,他方,強盗前科を有する者及び3犯以上の財産犯前科を有する者では,財産犯の再犯率は50%以上であり,強盗の再犯率も20%を超えている(強盗の事犯者全体で財産犯の再犯率及び強盗の再犯率は24.5%,8.3%)。
 本件犯行時の就労・居住状況を見ると,強盗の事犯者は,無職であった者が約60%と高く,住居不定であった者も30%を超え,さらに,強盗の再犯があった者の再犯の犯行時の生活状況を見ると,無職であった者は80%近くであり,住居不定であった者も60%を超え,就労・居住状況が不良であることが,強盗の大きな要因となっていることがうかがわれる。また,本件犯行時にギャンブル耽溺の問題を有していた者(強盗の事犯者の13.5%)は,強盗の再犯率が16.3%と高く,強盗の再犯があった者では,再犯の犯行時にこの問題を有していた者が半数近くであり,この問題も,強盗の要因になっていることがうかがわれる。
(4) 強姦
 強姦の事犯者は,性犯の有前科者率が13.1%であり,他方,性犯の前科を有する者では,性犯の再犯率が37.5%にも及び(強姦の事犯者全体では15.6%),性犯罪を繰り返す者は,更に性犯罪の再犯に及ぶリスクがより大きいことがうかがわれる。
 また,本件犯行が面識のない被害者宅に侵入する態様での強姦である者は,強姦及び性犯の再犯率が,それぞれ,23.3%,30.2%と高い。
 なお,強姦の事犯者は,本件犯行時における有職率が高いが,強姦の再犯に及んだ者の再犯時の有職率も高く,就労状況が安定していることは,強姦の抑制要因としてはほとんど意味を持たないと考えられる。
(5) 放火
 放火は,殺人と同様に,動機等において相当に異なるタイプの犯行があるが,再犯率は,本件犯行の動機が「受刑願望」である者や「不満・ストレス発散」である者で高く,そのうち,放火の再犯があった者は,孤独な生活を送り,疎外感が放火の犯行の背景になっている者が多い。
 なお,放火は,その他の重大事犯とは異なり,本件犯行での受刑中に懲罰を受けたことがなかった者でも再犯率は低くなく,また,仮釈放者の同種重大再犯率(放火の再犯率)が満期釈放者と異ならないなど,個々の事犯者の再犯リスクを判断することが困難ではないかと思わせる分析結果も表れている。