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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

家庭料理とプロの料理

たぶん、子供は大喜びだと思う。(渡すカネが三百五十円というところがさすがにカネにシビアな女性であるww 男だと五百円玉を渡すだろう。そして子供はそのうち二百円で餌を買い、残りで漫画雑誌などを買うww)
母親自身は自分の努力や苦労を過大評価するだろうが、レストランに行って不味い料理が出てきたら、その料理人の苦労や努力を評価するだろうか。
家庭料理だろうが何だろうが、結果で評価されるのである。
レトルトやスーパーの惣菜はプロが作ったものであり、家庭料理より美味いのが当たり前でもある。家庭料理は「安く手軽に(手早く)作れる」のがメリットであり、苦労したり努力したりすることに意味があるわけではない。

(以下引用)

女性ダンサー
さくら
女性ダンサー
@iiijinzenjiii
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8年間毎日毎日ご飯を作り続けた我が子にお母さんの作るご飯よりスーパーのレトルトや惣菜の方が美味しいとのお言葉をいただいたので、もう無理して美味しくないご飯食べなくていいよ、毎日350円あげるから明日からスーパーで晩ご飯買っておいでねって優しく言った。8年間お疲れ様でした
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「自分の頭で考えろ」について

もちろん、「自分の頭で考えろ」というのは、思考力や豊富な知識を持った人間でも「時代の常識」に洗脳されて間違った判断をする可能性があるから、それへの警告なのだが、小田嶋師が言っていることは一般論としてはまさに論理的であり、警句(意想外で鋭いジョーク)として面白い。馬鹿が自分の頭で考えて行動したらこれほど迷惑なことはない。

(以下引用)


小田嶋隆
@tako_ashi
「自分のアタマで考えろ」というアドバイスは、自前の思考力を持った人間に対しては、不要であるのみならず失礼でもある。かといって、思考力の乏しい人間に向けて「自分のアタマで考えろ」と言い聞かせることが果たして有効なのかというと、無駄であるのみならず有害だったりする。

洪水の直後の家屋手当

一生使うことは無いだろう生活の知恵だが、使えば役に立つことは確かだろうと推定できる。

(以下引用)


ゆんぱー
@YumPea_
床上浸水が珍しくない某島出身の人から「床上浸水したらホースを水道につないで待機→浸水がピークを超えて引き始めたら水を出して壁を洗え。一旦乾くと臭いが取れないけど、引くのに合わせて洗うとその後が全然違う」と聞いたことが。役に立つ日が来ないといいけど一応メモっています。

我が両親の「伝説」

私の兄のブログの一部だが、私自身は両親から過去の話を聞いたことが無いし、両親の生活ぶりを理解できる年齢になる前にふたりとも死んだので、こうした「家族の証言」は私にはメモして保存しておく価値がある。下の記事にも思想的に首をひねる部分はあるが、まあそれは私自身の個人的問題だ。簡単に言えば、革新思想というのは「乗せられ騙される」のは一部の人間であり、だいたいは真面目で理想主義的だから現在の悪を改善したいと思うわけである。兄は「自分は卑怯なことが嫌いだ」、と言いながら、保守派を支持するのは「儲かる方に付く」わけである。つまり、現状の悪に妥協するわけで、それを卑怯と言わないか? 

(以下引用)

大体いい奴は革新的だ。

つまり、すぐ乗せられ騙されてしまうのだ。

もっとも保守は大体儲かる方に付くし、騙す方が多いぐらいが現実的で、その現実を守るわけだ。



おかげで僕は単なる傍観者で是々非々だけなもんで、逆に右翼と言われたもんだ。

まるで右翼じゃないが、父が元軍人だったせいかも知れないな。

中学生になる頃には傷痍軍人会会長だったし、人から見れば右翼なんだろうな。

日本傷痍軍人会会長で、船舶振興会会長の笹川良一とは無二の親友で、毎年予算と言うか個人的資産を何千万円かもらっていたしな。

言っておくが父はその金は一円もポケットマネーにはしないで、戦後の3000人余りの仲間たちの為に使ったからな。

父は年中、個人的には一切金を使わなかったのは僕はよく知っている。

家族の金は母が全部作った。

それだけ母は金儲けの天才だったのだ。



尋常中学校で4年間唯一の特待生として有名だった父を、会った事もなく顔も知らないのに、周囲の人々に、”勇吉は私の夫になる人だ”、と常に公言していて、それを聞いて父は隠れて見に行ったら光子のそのあまりの美しさに度肝を抜かれ、途端に恋に落ち、卒業して会いに行くと、光子に、”私を食べさせられるようになったら迎えに来て”、と言われ、それから宮古警察署の巡査になり、史上最も若い警部になったが、その時の警察署長が具志堅そうせいで、後に60歳の定年後にオリオンビールを作った人で、父は終生仲が良かったものだ。

父はその後、軍隊で沖縄人では数少ない、まして宮古島では唯一の陸軍少佐にまで上り詰めたが、敗戦で全てを失い宮古島に帰ってきたのだ。

だが父も母も自分たちの事は一切子供たちに話した事は無い。

これらの話はハツおばさんや、父や母の友人たちに聞いた話だ。

宮古島一の美女と宮古一優秀な男の恋物語は有名だったようだ。

義務としての作業と遊びとしての作業

強制(あるいは義務化)ということほど人を精神的に追い詰めるものはない。世のほとんどの作業は強制されたり義務化されたりしなければ楽しい遊びになるだろう。
世界を進歩させてきたほとんどの科学的発見は、その研究を楽しんでいた科学者たちによってなされたと思う。科学だけではなく、文学的創造も、同じである。カネのため、つまり義務としてだけの仕事なら、ほかにもいろいろあるが、文学的創造の道に進んだのは、それが喜びを与えるからだ。だが、そのうちに義務的仕事になり、それが苦痛になる。



返信先: さん, さん
幼いころはピアノのレッスンは苦役でした。好きで始めたはずのピアノが「毎日ちゃんと練習しなさい」で嫌いになりました。でも大人になって、誰にも強制されなくなったらまたピアノが好きになりました。 ほんとはピアノは楽しいものですよね、それに気づくのにずいぶん時間がかかりました。