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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

英語とその精神風土

古本で、積ん読状態だった花田清輝の「恥部の思想」という、恥ずかしい題名の文庫本を流し読みしていると、しばしば「フォーチューンハンター」という言葉が出て来る。この本は映画評論なので、映画の登場人物への形容語である。英語のfortuneには大きく言って「未来」と「財産」のふたつの意味がある、というのは中学生レベルの常識だろうが、あるいは私の勘違いがあるかもしれない。まあ、そういう意味だとしておく。何が言いたいかと言うと、アメリカ人の「カネ儲けへの全面的肯定」思想のことだ。それが英語の単語にしばしば現れるという話である。
「未来を作る」ためには「財産を作る」必要がある、というのは世の東西を問わないだろうが、しかし、我々日本人はそれを露骨に言うことを好まない。投機的行為は「山師」とされるのである。実際、投機と博打の間に本質的な違いはない。で、英米人は「企業」のことを「エンタープライズ」と言うが、それが同時に「冒険」をも意味するのは、某テレビ番組の「エンタープライズ号」でとっくに理解している人が多いだろう。私などは、なぜ宇宙船の名前が「企業号」なのか、長い間悩んだものだ。
すなわち、英米人にとって企業活動はビジネス(仕事)であると同時に冒険でもあり、それは企業経営者だけに限定される、賞賛すべき行為だということだ。そこに、英米企業の社長や社主や幹部社員が超高給を取る理由があり、彼らが失敗しても責められない理由がある。つまりそれ(金儲け崇拝)が精神的風土なのである
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