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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

「姑息」考

フランス在住の「F爺」のブログ記事だが、「姑息な」という言葉のニュアンスは確かに捉えにくい。こうした語義考察は有意義である。「姑息な」に「浅はかな」のニュアンスがあるというのは確かに思えるが、「しゃらくさい」に近い印象が私にはある。「猿知恵」のニュアンスでもある。
で、問題は「姑息」という漢字である。「姑息」の「姑」は「しゅうとめ」であるが、確かに姑の嫁虐めには「姑息」のニュアンスを感じるが、では「息」は何だろうか。呼吸の意味の「息」か、「息子」の「息」か、どちらだろうか、あるいはそのどちらでもないのだろうか。「令息」のように、「息」だけでも「息子」の意味には使えるのである。まあ、嫁から見れば、姑の、自分の息子を嫁から取り戻すための悪行や愚行は「姑息」そのものだろう。

(以下引用)

皆様、それぞれに言葉を択んで詳しく含蓄の違いを説明してくださっています。大変有難いことです。

「姑息な」の語義に関する以前のアンケートにお答えくださったポトスさんと池坂夏樹さんのご意見も合わせると、次のような結論になります。

纏め

F爺は、「姑息な」という言葉には、
本来の意味である
【一時の間に合わせの、その場凌ぎの】
と、そこから派生した
【その場逃れの】
という意味から更にずれて、
現時点で
【浅はかな】
【小狡いけれども浅はかさが目立つ】
【卑怯で浅はかな】
という派生語義が成立していると考えています。

そして
【「浅はかな」という含みがあるため、狡賢(ずるがしこ)いとは言っても、
「兇悪な」「残忍な」とも通じる「卑劣な」とは一線を画している】
と結論します。

皆様は、この見方に賛成でしょうか。アンケートという形式にはしませんが、皆様のご意見をお待ちしております。

余談「姑息で姑息で姑息な」

「姑息な」に新たに「卑怯な」「卑劣な」という語義が成立している
と聞き齧った時点でF爺は、
《それが本当のことなら、「姑息で卑怯で卑劣な」という意味で、混ぜっ返して「姑息で姑息で姑息な」とも言えるんじゃないか(笑)》
と考えましたが、早とちりだったと分かりました。

「姑息な」には原義の含蓄が根強く残っているため、「卑怯な」とも「卑劣な」とも同義にはなっていなかったのです。

読者の皆様のお蔭で、今回も、2022~2023年現在の流動的な語義変化の様相の一端を把握することが出来ました。誠にありがとうございます。
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