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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

映画「フリークス」のこと

私はアマゾンという会社が嫌いなのだが、アマゾンプライムビデオというネットテレビは良く見ている。というのは、他のネットテレビと違って、古い白黒映画(洋画がほとんど)がたくさん見られるからである。それらを見ていていつも驚くのは、昔の映画のレベルの高さである。ただ、これは若者には理解できないかもしれない。私が十代二十代くらいだと、まず理解できなかっただろう。
たとえば、数時間前に見ていた「フリークス」(アマゾンでは「怪奇館」とか何とか別の邦題をつけていたが、何だったか忘れた。)は、身体障碍者がウジャウジャ出てくる奇抜な映画で、ホラー映画かと思われそうだが、実は「本当のフリーク(奇形者)は、身体の奇形ではなく、心の奇形である」という、哲学的主題を持った作品なのである。この映画では、サーカス(カーニバル)一座の中の一番の美女(という設定)が、精神的には最大の怪物なのだ。その他の身体障碍者(奇形者)たちは、ほとんどがまともな精神を持っている。しかし、体の奇形のため、その精神まで見てくれる人は少ない。
或る意味では、「エレファントマン」のテーマの先行的作品だと言えるだろう。
まあ、特に女性に見てもらいたい作品だ。「恋をする」というのが、外見だけで決まるなら、奇形者にとって恋というのは存在するのか、という興味深い話でもある。見ているうちに、奇形者たちの外見はほとんど気にならなくなり、むしろ愛らしくすら見えてくる。(この映画に出てくる奇形者たちは、一部を除いてほとんどが現実の奇形者だと思う。今ではPC規制のために作ることが不可能な映画だろう。)
この映画を「ヒューマニズム」映画だとする批評は見たことが無いが、実はヒューマニズムに溢れた作品である。たぶん、淀川長治あたりなら、真価を認めたのではないか。
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