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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

「ひょっこりひょうたん島」と「クモサル島」

私の現在の楽しみはネットテレビと読書だが、この前古本屋で買った本の中にロフティングの「ドリトル先生航海記」があって、それを他の本と並行して読んでいる。もちろん、子供のころに読んでいるが、今、この年になって読んでも面白い。子供のころには理解できなかったことも理解できるので、こういう再読は案外有益なのである。
で、その中に「クモサル島」というのがあって、これが「漂流島」なのである。
と聞くと、私と同じくらいの年代の人なら即座に連想するのが「ひょっこりひょうたん島」だろう。私も「ひょっこりひょうたん島」は大好きだったが、しかし、それを見ている時には、「漂流島」のアイデアが「ドリトル先生」にもあったことにまったく気づかなかったのである。それは、子供の私には「著作権」という下賤な思想が知識として無かったからだと思う。つまり、アイデアは思いついた人が使用すればいいのであり、そのアイデアが誰かが既に思いついていたかどうかなどにさほど意味はない、と漠然と思っていたのだと思うが、この考えこそが、現在の著作権思想よりはるかに有益な考えだと思う。著作権のために文明は多くの発展可能性を失ってきたはずだ。
「ひょっこりひょうたん島」は、多くの子供に楽しい時間を与え、その想像力とユーモアの感覚を涵養した。とすれば、「漂流島」のアイデアが「クモサル島」の流用だったことなど、何の有害性も無いどころか、有益な活用だったと言うべきだろう。まあ、井上ひさし自身が、そのアイデアを完全に自分のオリジナルだと思い込んでいた可能性もある。
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