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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

理想の実現とは何か

世間では夢を持てとか夢を追うことは素晴らしいとされているが、その夢とは理想と言い換えてもいいだろう。だが、そこで常に無視されているのは、その夢乃至理想とは、いつの時点での夢あるいは理想なのか、ということだ。仮にそれが幼児期の夢なら、お菓子やケーキ、好きな食べ物を腹いっぱい食いたいという程度だろう。そんな夢など、大人なら簡単に実現できる。
では、中学くらいの時期の夢あるいは理想か。そこでまた生じる疑問が、大人や教育者が勧める夢や理想とは「優れた(成功した)人間になること」に限定されることだ。中には宇宙飛行士とか野球選手やサッカー選手のような、普通の人間には絶対に実現不可能な(いわば小学生的な)夢も含まれる。むしろ、そういう誇大妄想的な、自分の身の程を知らぬ夢こそが「素晴らしい夢だ」とされたりする。
で、私の中学生時代の夢は、誰からも文句を言われず、遊んでくらしたい、というものだった。そしてそれは実現したが、それは仕事をやめて年金生活に入ったからだ。
つまり、夢というのは、どんな夢を、いつ実現するかというのが問題で、中には、長い間の我慢の末に実現できる、「くだらない夢」(私のような夢)もあり、それが世界的な大富豪の幸福より価値が無いとも限らないのである。
世界的な成功者の「夢」は、成功するまでに体験した苦労や、成功して後のくだらない人間関係や社会的危険性などと釣り合う「夢」だったとも限らない。まあ、若いころはテレビや映画の美しい女優やタレントと寝るのは凄いことだと想像するだろうが、それが日常なのは、むしろ芸能プロダクションや暴力団の幹部だろう。大富豪は、彼ら女衒的連中の手配する美女や美少女と寝るだろうが、常にスキャンダルを怖れるしかない。そして、その美女や美少女との性交が、他の「普通の女性」との性交より素晴らしいとも限らない。(何となく、文の語尾が「限らない」だらけだが、これは、この文章が世間の「思い込み」を否定する内容だからである。)
ということで、夢や理想とは案外馬鹿げたものだ、という話である。持つなら、容易に実現できる夢を持つことであり、その場合それは夢でも何でもなく、ただの実現可能性の高い「計画」の「目標」になる。たとえば中学生や高校生が志望校に入るのは夢でも何でもない。きちんと計画を立てて、それをちゃんと実行すれば、たいていの人は志望校に入れるのである。志望校の過去問5年ぶんくらいを解いて、その研究(志望校の問題の傾向把握と対策)をするだけで合格可能性は5割方上がるだろう。

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