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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

若い女性はなぜBL漫画やBL小説を好むのか

私にとっての長年の謎は、少女漫画はなぜあれほど男性同性愛に関心を持ってきたのか、という問題だ。その答えが、前にも引用した小谷野敦の「聖母のいない国」の中に出ていたので、引用する。これは小谷野自身の言葉ではなく、中島梓(栗本薫)の言葉(要旨)らしい。

「それは思春期を迎えた少女たち、そしてそれがやや成長した若い女たちの、女性性からの逃走である」「ゲイを描き鑑賞している限りにおいて、彼女らは自らのセクシュアリティに直面せずに済む」

これは自分自身でもBL小説を書いて同人誌などを主宰していた栗本薫の言葉だけに、かなりの信頼性があるのではないか。つまり、知的な女の子たちが架空の舞台で「男をおもちゃにして遊ぶ」遊びがBL小説やBL漫画なのではないか。その裏側には、彼女たちが自らのセクシュアリティ(適切な日本語が必要だ)を重荷に思っているという事実があるかと思う。
というのは、彼女たちの人生は「自分のセクシュアリティをどのような形で社会に『売る』か、あるいは『売らない』で生きるか」ということが大きな問題として控えているからである。このセクシュアリティは彼女たちの大きな資産でもあるが、災いを呼び込む可能性を持つ資産でもある。
男の場合には、セクシュアリティは、ホモセクシュアルな人間を除いてほとんど問題にならない。と言うのは、男は何かの刺激で発情しても、それは自慰行為で即座に解消されるからである。一般男性にとって自らのセクシュアリティは自分の人生の資産にもならないし、重荷にもならない。
そういう「重荷を持たない男」を同性愛というセクシュアリティの中に投げ入れて重荷を負わせる遊びがBL文学やBL漫画ではないか。ある意味「男社会への復讐」でもあるだろう。
ということで、長年の疑問がやっと解決したようだ。まあ、その解答が正しいかどうかではなく、一応の解答が得られただけで満足である。



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