高塔氏のエッセイの一節である。
私はモラルの一部には懐疑的だが、下のエッセイにあるような「庶民のモラル」というのは、社会が健全であり、生きやすいものであるためには大事なことだと思う。そして、そのモラルは誰にも不利益は与えないのである。個人の愚かな我欲(当人に何の利益ももたらさない)を少し我慢するだけで、他者の生活を守る、小さな、しかし大きなモラルである。
(以下引用)
商品は棚の手前に古いものが並べられる。 新しく仕入れた知識をひけらかそうと、私は母の買い物についていって、奥から引っ張り出した商品を買い物かごに入れた。 「母ちゃん、こういう店って奥のほうが新しいんだろ」 もちろん当時はそんな言葉は使われていなかったが、おそらく私は見事なドヤ顔を母に向けたのではなかったか。 それに対し母は、私の頭にゲンコツを落とした。 痛みと不満を漏らした私に、母は『アホか』と吐き捨て、諭すように説明してくれた。 冷蔵庫に牛乳が2本あったら、古い方から飲むやろ? 皆が皆、考えなしに奥から奥からモノ持っていったら、残ったモンはどうなる? こういうんはな、すぐには使わんけど安売りしてるから買っておく、みたいなモンでやるこっちゃ。 今日や明日に使う商品でそんなことしても意味ないやろ? 物事にはなんでも段取りがあって、それを考えずにただ新しいもんだけ買うんは考えなしのアホや。 ……などなど。 3人兄弟の末っ子で、幼児期の『なんで?どうして?星人』をこじらせ、理屈っぽいところのあった私は、この時『ウチの母ちゃん、なんだかスゲエ』と、思ってしまったのだ。 まあ子供は、自分なり、身内を特別と思い込むところがあるものだが、今考えても、母の言い分はなかなかに理性的だと私は思う。