中村うさぎインタビュー(2) 現代倫理学概論 2020年06月06日 ──買い物依存、ホスト、整形……。世間が考える中村うさぎ像というのは、自身の強烈な欲望に突き動かされている姿だと思うんです。そういったエネルギーは今どこに向かっているんでしょうか? 中村 ……今は、もうなくなってしまったのかもしれないな。それでも恋愛欲求みたいな感情だけは、退院直後もまだ残っていたんです。だけど車椅子のオムツ生活だから、実際はどうにもままならないわけですよ。出会い系で誰かと知り合ったところで、夫に車椅子を押してもらいながらラブホ行くわけにもいかないしねぇ(苦笑)。 ──若いうちは「50歳にもなれば、恋愛なんてどうでもよくなるはず」と考えがちですが、実際は男女ともにそんなこともないですよね。 中村 もちろん個人差はあるとは思うんですよ。私の場合は「性欲」というよりは「承認欲求」みたいなものが強いんです。「女として誰かから求められたい」という感情ですよね。セックス自体が楽しくて仕方ないというタイプも世の中にいますけど、私自身はそうではなかった。この承認欲求というものは、身体が悪くなったところで急に消えるわけもないですから。 たしかに私は売り専で買ったり、出会い系サイトで知り合った男とやったりもしていました。だけど病気してセックスができなくなったところで、欲求不満は特に感じませんでしたね。セックスという行為自体は大して重要じゃなかったんだと思う。 ──とはいえ「相手から求められたい」という感情の中には、「性的に求められたい」というニュアンスも含まれているのでは? 中村 もちろんですよ。でもそれは「性欲」とはまた別の欲求でしょ? 「セックスしたい」という欲求ではなく「欲情されることで女としての自分の価値を確認したい」という承認欲求なんです。「女である」というのは一体どういうことか? 「女」の定義はひとつやふたつではなく、もっと多面的なものだと思う。で、少なくとも私にとって女であるということは「子どもを産む」みたいな要素とは切り離されていて、「男の欲望の対象である」ということが大きな意味を持っている。 自分が好きな人から好かれたい。これは誰しもが持つ感情だと思います。だけど現実は自分が好きでもない人から欲望のまなざしで見られたりもする。じゃあ、このシチュエーションをどうやって受け止めるのか? 私の場合は「快感」と「不快感」が入り混じった気持ちになるんですよね。 ──自分の中で矛盾を抱えた状態? 中村 やっぱり女だと若いころに痴漢されたり、男の人につきまとわれたりして、怖い目に遭うことが多いじゃないですか。だから男性の性的な視線に対する嫌悪感というのが、どうしても根強く残ってしまう。痴漢に遭ったときの屈辱感とか羞恥心というのは、男にはちょっと想像できないと思いますよ。一種の男性嫌悪というか……。 でもその一方で、自分が年を取って誰からも性的な視線を浴びなくなると、なんだか自分の価値が暴落したような切ない気分になるわけです。「男の欲望の対象であることの快感と不快感」というアンビバレントな気持ちは、多くの女性が抱えていると思います。で、人生の時期によって、快感の方が優勢だったり不快感の方が強かったりする。私自身、「男なんてもういいや」となった時期が30代半ばくらいでやってきましたし。 ──それは前の旦那さんと離婚して、そのあと恋人とも別れた時期ですか? 中村 そうです。その男とは不倫だったんですけどね。それで別れてからは「鉄の処女期」が到来するんです。鉄の処女期に私が何をしていたかというと、オカマとばかり遊んでいました。ホストにハマる42歳くらいまで、8年くらいは「一生、男なんて必要ない」と本気で思っていましたね。 PR