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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

「性的なこと」を社会はなぜタブー視してきたか

私は「1+1はなぜ2なのか」のような、根本に疑問を持つことやそれを考えることが好きなので、この問題を考えてみる。
考察は、問題転載の後にする。

(以下引用)

そろそろ、「なぜ性的だといけないのか」質問していいだろうか。

(以上引用)

まず、ほとんどの先進国で性的なことはいけないとされてきた事実がある。それはキリスト教文化圏がほとんどだろうが、しかし、儒教圏でもやはり「表には出さないほうがいい」ものとして社会のモラルとなっていたわけだ。仏教圏でも色欲は戒められている。
つまり、性的なことは「社会秩序や人間関係を破壊しやすい」という共通認識があるのだろう。もちろん、性的束縛やそのモラルが人間を苦しめてもいる部分はある。
その性的な禁止や束縛の理由を考えてみると、「異性所有者の独占欲が侵害されることからの憎悪の発生」ではないかと思われる。つまり、誰でも好きなように好きな相手とセックスできる社会において社会秩序が成り立つか、ということだ。私が自分の勤める会社の社長の奥さんや娘さんとセックスして、それが許されるか、ということだ。侍社会なら、大名の奥方を平の侍が寝取って許されるか。
つまり、性的秩序は、階級や権力の維持と関係するのではないか、というのがここでの私の仮説だ。もちろん、同じ階級の者同士でも、異性の奪い合いは殺し合いになる可能性はある。
動物ですら(ゴリラだったと思うが)その集団のボスになった雄は、他の雄を皆殺しにするという話がある。(本当か嘘かは分からない)つまり、自分の種を確実に残すには、他の雄は邪魔であり、危険であるわけだ。
家とか子孫とかいう概念が希薄化したことと、フリーセックスとは強力な関係があると思う。

ここでの問題は「性的なこと」の話で、フリーセックスはその一部でしかない、という反論もあるだろうが、性的タブーの解禁は将来的にはフリーセックスに行き着くのが当然であり、場合によっては近親相姦や幼女強姦の解禁まで進む可能性もあるだろう。それは、女性の「物(モノ)化」をむしろ進めるのではないか。もちろん、そういう世界では恋愛という概念は消滅する。今の時点ですでに、女性は男性を憎悪し、あるいは軽蔑し、男性は女性を憎悪し、あるいは軽蔑する傾向がかなりあるのである。と同時に、性自体はいわば単なる性欲の「排泄」行為として市民権を拡大していくわけだ。
逆説的だが、性がタブーであるほど、性的な存在(広く言えば異性そのもの)の価値は高くなるのである。








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