忍者ブログ

独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

自由の国アメリカ

「サウスパーク」というアニメは下ネタ満載の下品アニメだが、アメリカ社会を鋭く風刺している点では実に見事な作品であり、主要人物が小学生であることでそれらの風刺が「誇張的に見える」ことが一種の自己防衛装置になっている。だが、描かれた内容は、まさにアメリカの現実そのものであり、それはアメリカの強い影響下にある日本の、作品から数年後の姿、つまり現在の姿でもある。たとえばマスコミや広告業界やネットによる洗脳などだ。ただ、登場人物の行動はやはりアメリカ的であり、日本人との違いは大きい。
アニメであるから大げさに描いているわけだが、登場人物たちは常に行動的だ。善意でも悪意でも、何か考えたら即座に行動し、まったくためらわない。そしてたいていの場合、周囲の人たちは、そのように「自己主張する者」「自分の意志で行動する人間」を尊敬し、支援する。つまり、自分が実はそういう「立ち上がった人間」に付和雷同しているという事実に無意識であり、「自分の足で立ち上がる人間を支援する社会」であることに誇りを持っている。これが「アメリカニズム」の根本であり、「自由の国アメリカ」であり、「欲望肯定の国アメリカ」であり、「独立戦争を戦った国アメリカ」である、ということだろう。
要するに、「自由とは必然的に他人の自由の制限である」という事実に目をつぶった自由主義がアメリカ社会の本質であるわけだ。その結果、自由と対立関係にある「禁止の体系」である倫理というのはほぼ無視され、民衆の日常から国家や国際政治まで絶えざる闘争の国になっているのである。
そして、「あらゆる国民の自由を守る」という無理な命題の破綻を誤魔化すために「多様性の尊重」「少数者の尊重」という偽善を行った結果、「少数者や弱者の権力の異常な増大」というのがアメリカの大きな社会問題になっていると私は思っている。LGBTなどがそれだと言えば、私を非難する人もたくさんいるだろう。PC(ポリティカルコレクトネス)という概念がアメリカ社会の表現の自由を著しく制限し、劣化させたのに気付いている人は多いと思うが、それは日本でも進行中だと私は思っている。ただし、日本の場合にはむしろ、吉本芸人によるテレビ番組劣化などに対してPCが必要だ、とも思うので、問題は簡単ではない。

話が散漫になり、満足できない文章だが、思想の下敷きとしてメモしておく。










PR