忍者ブログ

独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

臆病と卑怯と卑劣

私は昔、知人の知人(女性)に「人間性判断」として「卑怯だ」と評価されたことがあって、非常なショックを受けたものである。私は自分でも認める臆病者だが、「卑怯」ではけっしてないつもりだったからである。
臆病というのは欠点ではあっても、たいていの人間はそうであるはずだ。しかし、「卑怯」となると、これは少年漫画や子供向け映画でヒーローが悪党の卑劣なやり口に対して「この卑怯者!」と叫ぶ場面がよくあったことから分かるように、「卑劣」と近いニュアンスであり、「邪悪さ」「不正」を多分に含む言葉なのである。
まあ、「卑劣」とは「卑しく、劣っている」ことであって、それを邪悪だとかいうのは「倫理的に劣っている」ことを意味するのだろう。で、「卑怯」のほうは「卑怯」の「怯」が「おびえる」意味からして、正義のヒーローの強さに怯えるから卑劣な手段を使って勝とうとする、その姿勢を言うわけだと語義的に判断していいのではないか。そして、私はその種の「卑怯さ」は自分には無いと思っていたから、「卑怯」と人格評価をされたのはこの上ないショックだったのである。
あるいは、私が自分の不利益を顧みず、政府批判や上級国民批判の内容の記事を自分の幾つかのブログで書いているのは、そうしたことへの不満からかもしれないし、それらのブログを「あまり人目につかない」形で、つまり「ブログランキング」に登録しないで書いているのが、その「卑怯さ」の現れと言えるとは思う。
PR