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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

老年という「リライフ」

これは、人生の残り時間を想定した時の私の考えたこととほぼ同じである。
基本的に、「やりたいこと以外はできるかぎりやらない」ということで、その「やりたいこと」というのは、これまでの人生で選んできた「自分にとっての優良品」をさらに良く味わう、ということである。つまり、急ぎ足で通過してきた「優良品」との付き合いを深めることだ。
要するに、自分の感覚や趣味に適合した芸術作品をじっくり味わいたい、ということである。
まあ、それだけだと飽きるから、多少は「未知との遭遇」も必要だろうが、基本的に、古典、あるいは現代の古典の中にこそ優良品はある、というのが私の考えだ。そして、新しいものの90パーセントはクズである。そんなものと真面目に付き合う時間など無い。その価値が確認されてから付き合えばいい。つまり、新しいものの中から世間と時間がクズを振るい落とし、価値あるものを古典として残してくれるわけだ。黒澤明も宮崎駿もそのようにして選別された現代の古典である。もちろん、手塚治虫など漫画の古典もたくさんある。
たとえば、手塚治虫の「W3」など、子供のころにはさほどいい作品とは思わなかったが、少し前に再読した時には、実にレベルの高い作品だと感じた。つまり、子供では分からないものもあるから、「過去の出会い」は再検討してみるべきなのである。
幸い、古典文学や古典的芸術を味わえる程度の教養は(もちろん、本物の教養人の足下にも及ばないが)蓄積されているから、死ぬまで古典が味わえるだろう。つまり、いつ死んでも、何かを楽しみ、満足した状態で死んでいけるということだ。
老年という時間において、これ以上の幸福は無いと私は思う。過去の人生はそのための準備期間であったとすら思う。そして、この幸福のためには必要以上のカネも地位も女も何も要らないのである。




小田嶋隆 @tako_ashi 5時間前

要するに、残り時間を考える時「何をするのか」よりも「何をしないのか」のほうが重要であることに気づかされるというお話なんだけど、本当のことを言えば、残り時間とは関係なく、「何を拒むべきか」は、常に一貫して「何を為すべきか」より重要だったわけだよね。

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  • 6時間前

    義理人情を踏みにじる決意さえかためれば、人生はわりとシンプルになる。 どこまで踏みにじるのかが大切なポイントではあるのだが、個人的には全面的に踏みにじるのがわかりやすいプリンシプルだと思っている。

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  • 6時間前

    病気をすると色々なものの優先順位が変わる。で、現在は 1.不必要な仕事をしない 2.つまらない人間とは会わない 3.無駄な争いには加わらない ことを念頭に置きつつ、身辺を整理している。なかなか快適だ。もっと以前からこうしていればよかったと思う。でもまあ、できっこなかったかな。

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