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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

八切史観とは何か

八切止夫の「切腹論考」にはいろいろと示唆的な事が書かれているが、まだ全部読んではいない。以下の文章は、八切氏の発言ではなく、それに触発された私の妄想である。

とりあえず、「八切史観」は、日本史とは日本原住民と大陸系侵略者の闘争史である、という思想だと見ていいのではないか。武士や非人などは日本原住民で、公家や朝廷は大陸系であるわけだ。
そして、大陸系侵略者が原住民宣撫工作として用いたのが仏教だったわけである。
つまり、聖徳太子の頃が、その闘争の一番最初のものだったと思われる。蘇我氏が大陸系の中心で、その神輿に担いだのが今の皇室の祖だろう。
征服された日本原住民がエタ・ヒニンやサンカとなり、百姓(八切氏は原住民の中の「投降者」だと見ているようだが)となり、その中で武技(屠殺の技)を持つものから武士が生じたわけで、武士は公家の下働きであり下層階級だった。
仏教は「まつろわぬ民」を精神的奴隷にするための手段だったわけである。単なる手段だから、公家や皇室も本気で仏教を信じてはいない。だから、古来の日本神話伝説を「古事記」や「日本書紀」では採用したわけだ。また、「神道」というものも、べつに存在していなかっただろう。単なる地方地方の土俗風習や迷信が総合されて「日本神道」になっただけで、大陸系侵略者への反発から「神道」というものを仏教に対抗して作ったのだと思う。

織田信長の仏教嫌いというのも、鎌倉武士が仏教の中で禅宗だけを採用したのも、八切史観で納得がいく。なお、「八幡神」は、武家の守護神だが、「ハチ」は日本原住民に与えられた名称だと「切腹論考」ではされている。

ところで、初期の仏教の教えというのがどんなものだったか、よく分からない。般若心教的な「哲学」でなかったことは確かだろう。仏像の荘厳さで恐れ入らせる類のものだったかと思う。仏教の真髄を理解していたのは聖徳太子くらいではなかったか。
彼の「世間虚仮、唯仏是真」とは、現実(外界)は虚構であり、虚構(心が作り出すもの)こそが真の現実である、と私は解釈するが、それは私と同じ思想である。外物は、心の中で受容されることで現実化されるわけだ。それは、心が現実を作る、と言っていい。
ところで、「仏(佛)」とは何か、と言えば、それは漢字から判断するしかない。「弗」とは、「非ず」の意味で、ニンベン(人)にこれが付くわけだから、「人に非ざるもの」となる。つまり、「人であることから脱却すること」が「仏道」だとなる。一般には、人としてのすべての迷妄から脱却することだろうし、また六道輪廻から脱却すること、あらゆる欲望(愛情も欲望である)から脱却することである。つまりは「超人」となる道であり、「祖佛を殺す」禅宗などもその意味では仏教であるわけだ。
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