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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

セダンとは何か

長い割に、情報より記事筆者の意見や感想が多すぎる記事だが、少なくとも「セダン」とは何か、という私の長年の疑問には答えている。と言うより、最初の写真がすべてだ。で、SUVとは何かという新たな疑問を生んだ、困った記事でもある。そもそも、自動車のタイプ(基本形態)についての説明が少ないから、書かれた内容の意味がよく分からない。「専門家」の記事にありがちなことである。

(以下引用)



「セダン」はもう時代遅れなのか© ITmedia ビジネスオンライン

 日本の乗用車市場は、軽自動車とミニバンとSUVで全体の8割を占める印象だ。セダンやクーペ、ステーションワゴンなどは極めて少数派となってしまった。

 トヨタの場合、ボディバリエーションの多いカローラやヤリスなどは、SUVもハッチバックも全部ひっくるめた数字だけに、正確な販売台数はつかみにくい。カローラでは、カローラスポーツやツーリングワゴンも善戦しているが、SUVのカローラクロスの人気が高い。カローラに残されているセダンは多くが教習車としての需要で、残りは営業車である。

 どうしてセダンはここまで衰退してしまったのか。セダンには魅力がなくなってしまったのか。

 そもそもセダンのメリットとは何だろうか。リアのオーバーハングにトランクルームがあることによる、後席の快適性がまず挙げられる。リアのホイールハウスから侵入するロードノイズがトランク内で吸収されるため、後席には届きにくいのだ。また前後方向の揺れであるピッチングがゆったりとした動きになり、乗り心地も高めやすい。

 ゆったりした、それでいて無駄のない動きを実現することにより、ハンドリングも自然で落ち着いた乗り味に仕立てやすいのだ。さらに後続車から追突された際にも独立したトランクルームがクラッシュボックスとなって衝撃を吸収するため、キャビンの安全性が高い。

 だがこうしたクルマの動きや快適性、衝突安全性については、自動車メーカーの技術開発、解析の高度化によって、トランクを持たないハッチバックボディでも高いレベルを確保できるようになった。タクシーがセダンからハイトワゴンのJPNタクシーに入れ替えられたように、スペース効率や使い勝手を考えるとセダンである必要性は薄いのだ。今や独立したトランクを求めるユーザーは少なく、ハッチバックの方が使い勝手がいいと思うユーザーが増えている。

 昔はオフロードを走行できるような走破性の高いクルマは、ステアリングを操作してもグラグラとロールするばかりで、なかなか旋回を始めてくれないばかりか、限界も低ければ応答性も悪く、個人的には舗装路を走っても楽しいと思えなかった。

 ところが、SUVというカテゴリーが登場して以来、サスペンションの構造やジオメトリー(動き方)、アンチロールバーの強化などによって、ロール剛性を高めており、現在のSUVはハンドリング性能も十分確保されている。

●目新しく魅力的に受け止められたSUV

 何よりSUVには「目新しさ」という魅力があった。薄く長いボディが魅力だったのは1980年代から90年代。その後のミニバンブームにより箱型の大きなボディの需要が急激に高まっていった。

 しかしミニバンのような大きくて車高の高いクルマは、重心が高いだけでなくボディ剛性が低く、乗り心地を確保するためにもサスペンションを柔らかくしなければならない。操縦安定性や高速走行時の安定性を高めることが難しくなるのも当然だった。

 そこでトヨタはエンジンを水平近くまで傾け、ミッドシップとすることで室内空間を確保しながらハンドリングや高速安定性を高めたミニバンを開発、販売にこぎつけた。これは「天才タマゴ」のキャッチフレーズでヒット。のちにボディサイズを縮小して5ナンバー枠も実現し、大ヒットとなった。

 ところが、自動車税制が改正されて、ボディサイズにかかわらずエンジン排気量で自動車税額が決まるようになると、ボディサイズへの制約が一気に緩くなる。

 それもあって、その後のミニバンはFF(前輪駆動)であってもハンドリングや高速安定性を高いレベルで確保するよう開発が進められ、走りのレベルも格段に向上していった。これは手抜きや退化のようにも見えるが、実際にはユーザーが受けられる恩恵を最大化し、コストを抑えて売れるクルマを作り出す賢い手段と言える。

 つまりセダンならば無理なく実現できる性能を、異なるボディ形状でも実現できるよう努力してきたのが、この20年の日本車の歴史であったとも言える。セダンでなくてもいい、となるのは当然の帰結だったのだ。

 一方、セダンを開発するエンジニアは、無理なく余裕の仕事をこなしていただけかと言えば、そんなことはない。ライバルよりもスタイリッシュで快適に、ハンドリング性能や高速安定性を高めるよう、重箱の隅を突くような地道な改善、進化を続けてきたのだ。

 それでもセダンと比べると、これまでにないボディ形状で乗車感や使い勝手も違うSUVのようなクルマは、ユーザーにとって新鮮に感じる。せっかく買い替えるなら、そうした刺激を感じたいと思うのも自然なことだ。

 売れるクルマを作るのは企業として当然のことで、セダンが売れるように努力するより、売れるカテゴリーに新型車を投入する方が確実に収益へと結びつく。つまり乗用車の基本であるセダンが衰退していくのは、自然な流れだったのである。

●セダン離れはユーザーの“運転離れ”か

 SUVやミニバンのハンドリング性能や乗り心地が向上したことがセダン離れを招いたと書いたが、もはやドライバーの運転への関心度が低下していることも、セダンの魅力が伝わりにくい状況を招いている原因になっている。

 運転支援システムやカーナビの充実により、運転自体へのドライバーの支配度は以前と比べ明らかに低下している。

 走行中にふらつけばレーンキープアシストが修正舵を入れてくれ、高速道路ではACC(アダプティブクルーズコントロール)が前走車に追従して速度を調整してくれる。よそ見をしていても衝突被害軽減ブレーキが、前走車への追突を防いでくれる。

 目的地を入力すれば、最適なルートを案内してくれるカーナビは、今や思考停止したドライバーにルート通りに運転させるように、立場が逆転してしまった。そのため1分でも到着予測が早ければ渋滞ルートを選ぶナビに従ってしまうことでさらに渋滞はひどくなり、週末は高速道路の渋滞が慢性的に起こっている。

 まだまだ一般道ではドライバーが運転操作をしなければいけない領域が大半だが、多くのドライバーはクルマの機能に頼り切り、できる限り手抜きの運転をしたがるようになってきたように見える。高齢化や運転免許取得の容易さが背景にあるだろう。

 衝突事故を未然に防ぐような危機回避能力は、明らかにボンネットや車高が低いセダンが優れている。しかし、クルマを購入するとき、そうした基本的なクルマの能力を気にする人はほとんどいないだろう。むしろ大きなクルマの方がぶつかったときに安心、と思うのではないだろうか。

 これまで自動車メーカーはドライバーの疲労を軽減し、交通事故被害を減らすための機能を盛り込み、精度を高め、実際に交通事故死傷者を激減させることに成功した。だが、ドライバーの安全意識は高まったどころか、低下しているようにすら感じる。

 一度、車高が高く室内も広い(SUVがセダンより広いとは言い切れないのだが)SUVやミニバンに慣れてしまうと、乗り降りの楽さや大きなクルマを乗り回す余裕は捨てがたい魅力だ。

 残価設定ローンを使って高級ミニバンを乗り回す層は別としても、リセールの高さや乗り回したときの満足度から、目新しさを感じさせるカテゴリーやモデルを選びたくなる傾向もセダン離れを加速させている。

●プリウスは奮闘しているが……

 唯一、気を吐く存在なのがトヨタのプリウスと言えるだろう。ハイブリッド専用車両として5代目となる現行モデルは、従来であればセダンの部類には入らないクルマだ。しかし空気抵抗軽減のためのスタイリングを優先した結果としてハッチバックを採用しているに過ぎないので、クルマとしての目的はセダンと変わらない。

 現行モデルは燃費以外にもスタイリングや走行性能などの魅力を高めたモデルであるが、消費者がプリウスに求めるのは、十分な室内空間と安全性、それに何より燃費性能である。これは従来セダンが求められてきた要素そのものと言っていい。

 そのプリウスですら、アルファードに販売台数で負けているのだから、セダン的なクルマの需要が低いのは明らかだ。それでもコンパクトなボディでより燃費性能の高いアクアよりも売れている。セダン需要としてプリウスが支持されているのは明白であろう。

 見方を変えれば、2024年1~6月の登録台数で判断するなら、プリウス以外にセダン的要素のあるクルマはクラウン(これもSUVモデルの人気に支えられている部分が大きい)とMAZDA3くらいしか50位以内にはなく、クラウンとMAZDA3を足しても実質的なセダンモデルはプリウスより少ない。

●スポーツカーの衰退もセダンに影響

 セダンと同様に絶滅危惧種と言われているのが、スポーツカーのカテゴリーだ。本来、スポーツカーとは運転を純粋に楽しむためのクルマで、決してハイパワーである必要はなく、乗員は2人で荷物を積むスペースも最小限に抑えられている。

 それにゆったりとしたボディサイズを与え、荷物や人を乗せやすくして、高速巡行性を高めたのがGTであるが、現在ではスポーツカーとGTの区別さえ曖昧になった。それはスポーティーな車種が少ないことと、多機能を求めるがゆえの進化によるものだ。

 4ドアでもスポーツカー以上の性能を誇るクルマは存在するし、ライトウェイトで実用性も確保した5ドアハッチバックモデルは、完全にスポーツカーと同じ使い方ができる。これは現代のクルマならではの魅力とも言えるだろう。

 そんなモデルを走らせることに魅力を感じるドライバーは、今は極めて少ないだろうが、それでも国内だけで年間4万~5万台は売れているのだから、まだまだ需要はある。しかしながら環境規制への対応など、これからスポーツモデルが生き延びていくのはセダン以上に難しい。

 従来、スポーツカーユーザーが結婚して家族ができることでセダンやワゴンへと乗り換えていたものが、ミニバンやSUVへと移っているのだから、セダンはますます減少するばかりだ。救いは、やがて子どもが独立すれば、本来のクルマ好き(?)へと戻って、再び運転が楽しいスポーツモデルなどを所有するケースが多いことだ。だが、これも何もしなければ減少していくだけとなる。

 このところトヨタやマツダはクルマづくりだけでなく、クルマ好きを喜ばせ、育てようという努力を続けている。他メーカーもブランドとドライバーを密接につなげる努力をしていく必要がある。

 自動運転や電動化ばかりを追求するだけでは使い捨てのクルマ、その場限りのモビリティに成り下がってしまう可能性もあるのだ。クルマは便利なだけの乗り物ではない。セダンやクーペなど、所有し運転する楽しさを味わえるクルマを存続させなければ、自動車メーカーにも未来はない。

(高根英幸)

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