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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

年齢と小説の創作

若いころの私は、年を取って人生経験を積めば積むほど小説を書く能力は高まると思っていた。
しかし、現実には、若いころに素晴らしい小説を書いていた作家たちが、中年以降は創作能力が枯渇する例が多い。
その理由を考えてみる。

第一の原因は、「持ちネタが尽きること」だろう。
新しい情報そのものは幾らでも手に入るが、多くの知識を得ることで、逆に若いころのような「強迫観念」的に心をとらえる興味の対象が無くなるわけだ。
第二には「妄想力」が無くなることだろう。本物の女性を知らない間は、恋愛にしろ女体にしろ性交にしろ、どんなに素晴らしいものだろうかと妄想する。しかし、本物の女性を知れば、それは妄想していたものの半分の魅力も無いことを知るわけだ。性交なども同様だ。自慰より性交が勝ることはほとんど無い。面倒くささは倍以上だし、下手をすれば人生そのものを踏み誤る危険もある。
第三に、「(あらゆる)書は読まれたり。肉体は悲し」ということだ。世の中に存在する「面白い本」のほとんどを読んだ後で、自分が何かをそれに付け加えられると思うには、蛮勇が要る。まあ、スケールや知性的な高さでは古典を超えられなくても、古典では取り扱っていない素材や趣向を扱うことで新鮮味を出し、読者の関心を引くという「隙間産業」的な小説が毎年作られるわけである。1950年代から70年代くらいまでのアメリカの都会小説の雰囲気を日本を舞台に書くことで「村上春樹」の小説になるように、加工の仕方はいろいろある。

基本的に、小説とは19世紀で終わったジャンルであり、トルストイやドストエフスキーを超える作家や小説はもはや現れないだろう。もちろん、推理小説などが好きな人は、幾ら同じような話だろうが、推理小説でありさえすれば飽きもせず読むわけで、推理小説には限らず様々なジャンルで毎年のように新人作家が生まれ、ベストセラーを書く。だから、新作小説の需要は常にあるわけだが、それは古典を読まない層が膨大にいるからこそである。
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